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2009.04.14

たまには時事ネタ(44) 補正してほしいよ、散々なんだから

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報道されている概要を眺めただけだが
相変わらず今回の補正予算案も回転寿司か。
各省庁ごとに売れ残りをセールしていて、
それが束ねられて、15兆円だったっけ。

各省庁の中のさらに細分化された組織の中で、
それぞれの分野のみ注目したような視点で、
高度に個別最適化された雑多な内容の政策を
単に束ねただけでは、隙間だらけである。

どうみても全体最適化ができない道理だ。

「100年に一度」に相応しい対応かどうか。
霞ヶ関では、どんなふうに認識しているのか。
また、それを永田町では理解しているのか。
そして、マスメディアや有権者の認識は。

全体最適を実現するためには、その素地として、
各自が全体の中の立場を弁え、全体が向かう
行く末を考え、そして自ら考え行動していく、
といった社会思想が不可欠だと思う。

だが残念ながら日本は逆方向に走ってきた。

高度に組織化された、現代の日本社会。
ひたすら効率化を追求し世代を重ねてきた結果、
各自は重層的な社会・組織構造の中に身を置く
限りにおいて全体像を意識せず済むまでに至る。

おかげで日本海を隔てた隣国たちの考えさえ、
ロクに読み取り理解するコトができていない。
それどころか同じ列島に暮らす日本人の間でも
組織外の人たちのコトになると、からっきしだ。

他者への無関心、即ち愛情を持てないのだな。

その点こそが最も憂慮すべきトコロだろう。
関心を持ってもらうには(加えてあわよくば
憎悪や嫌悪より愛情を持ってもらいたいのだが)、
まあひとまず存在を認知してもらわねば。

--
先日、同じく自営業のu君に誘われて出掛けたとき、
2人で、こんな話をしていた。

我々のような働き方をする人たちは、
霞ヶ関の連中からは存在を認識されていない。
今回の補正予算なども、そうとしか思えない。

今回の不況の対策からも漏れているが、そもそも
基本的にセーフティネットから漏れた存在である。
官僚の生き方からは到底、想像もつかぬのだろう。

霞ヶ関に認識してもらう方法は
いろいろあるが、まずは社会一般に
生き方を認知してもらう必要があろう。

我々の世代には間に合わないだろうが、
次の世代で同じような生き方をする
後輩たちに、役に立てばいい。

その日、昼食に入った回転寿司で、u君は
流れていない寿司ネタを注文したのだった。

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