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2009/04/13

自称逸般塵の不通の日記(77) 「楽しみは……」

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ちょっと田舎に出て散歩でもすれば楽しく過ごせる。
あるいは気に入った分野の本を読むのも悪くないし、
適切な話し相手がいれば茶飲み話もまた佳いものだ。

また人によっては家事そのものを楽しんでいたりして、
ほとんど掃除洗濯炊事だけでも日々を満足できる上に、
加えて季節の変化などあれば、さらに楽しくしている。

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こういった例をみていると、ヒトの楽しむ要素とは
一体どのようなモノゴトなのかと考えてしまう。

この要素というのは数知れず存在すると思われるが、
その多くは現代社会の中で埋没し忘却されているか、
または金銭を要したり(新たに作られたものに多い)、
といったのばかりになっているような気がしている。

昔からヒトはそれぞれに多様な楽しみ方を持っていて、
豊かでない中でも前向きに生きていける活力を得ていた。

なのだけれども、それが近年は使われなくなってきて、
それと入れ替わりに新しいのが作り出されてきたものの、
多くは各種資本が作り出すものだから、カネがないと
楽しめないような性質のものばかりとなっている。

すると中流層が崩壊して下層に落ち込んでいく中では、
そいうカネを要する楽しみ要素が使えなくなっていき、
それもまた貧乏に由来する苦しみとして感じられよう。
膨張続ける社会から排除されたような感覚でもあるか。

もちろん、もっと下をみればキリがないくらいに下まで
あるので何処までも落ち込んでしまいそうな不安もある。
それは間違いなく見逃せない危機的状況ではあるけれど、
とはいえ必要以上に恐れていては逆効果というものだ。

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相変わらず暖かい陽気の週末、ずっと読書で過ごした。
昔から読書は好きだし、散歩するのも飽きないものだ。
成人してからは対話や酒なども楽しんでいるワケだが、
要するに一生ひたすら、こんな感じで過ごせるはず。

そもそも器用貧乏な性質だから、高度に組織化が進んだ
今の社会のような環境では重宝されこそすれ、目立った
成果を出せないもんだから大きな稼ぎは非常に難しい。
なので余計に、一人で適当に生きていこうとするのだ。

「何をしたいのか」という視点で改めて考えてみると、
組織の枠外で適当にやっていきたいだけなのだと思う。
あとは生きていく上で最低限、プラス少々の楽しみを
得られる程度に稼いでいられれば、それで充分だろう。

こんなヤツでも普通に生きていくコトを許容するような、
そういう許容範囲の広い、懐の深い社会であってほしい。

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