今日、そうしたつもりはない
なにせ競争というのは集団の中の一部だけが参加している
つもりだったとしても全員に押しつけられる性質がある。
他を押し退けて先へ進もうとする存在がいる限り必ず
そいつに押し退けられて後に残される存在もいるのだ。
競争にもメリットがあるコトは承知しているつもりだが
競争したくなくて自動的に押し退けられたような存在は
競争をしたがる連中が他を押し退けて先へ進もうとした
その結果として後に残されるコトになったものである。
かれらは犠牲ないし献身者と考えて差し支えあるまい。
当人たちの意思がどうであったかはともかく結果として。
ヒトが自然界の中で弱い存在だった時代であればそれは
半ば自然的で半ば人為的な淘汰作用をもたらしただろう。
けれども現代のようにヒト全体の生活環境をヒト自身が
破壊するコトも難しくないような時代においては過剰な
競争を放置しておくだけでヒトの存亡にも悪影響を与え
かねないのだから多様な存在を残していった方が望ましい。
とはいえ競争と保護とを上手に両立するのは非常に難しい。
どちらか一方に振れてさらに正のフィードバックが効き
傾斜は回復するどころか大きく傾いていくばかりなのだ。
そして最後には限界まで達して急激に破綻へ向かっていく。
そんな残念な道筋が容易に描けてしまうとはいえ、
そもそもヒトが現在のような繁栄を得るコトができたのは
過剰な競争心闘争心によるものだという可能性も否定できず
だとしたらそれこそヒトの原罪ってトコロなのかもしれん。
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