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2009.05.22

たまには時事ネタ(50) 豚に震う・演習

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東京でも新型インフルエンザの感染が確認された。
遅からず出るものと思っていたので、驚くほどではないが。

流行中のH1N1豚インフルエンザの対策に関しては、関係者それぞれが、
それぞれ自分なりに考えて仕事をしている様子が見受けられる。

たとえば検疫やウイルス型の分析などは日を追って迅速になった。
医療機関も若干の混乱はあるようだが淡々と仕事をこなしている。
徐々に明らかになってくる病態に対しては感染研や厚労省なども
事前に想定していたマニュアルを柔軟に変更しつつ対応している。

また一方ではマスクの売り切れが頻発しているというけれども、
あるいは一部で休校などに伴う混乱もあったりするようだけど、
それでもなお多くの人たちが警戒しつつも社会生活をなんとか
大きく変えずに継続させようとしている様子が感じられる。

これは、評価したい。

もちろん日常の慣性力が働いているせいもあるとは思うし、
加えて強毒性のH5N1鳥インフルエンザへの対策を想定して
準備も心構えも整っていたトコロに対して、より低毒性の
ウイルスが流行したから、与しやすいという考えもあろう。

おかげで多少、拍子抜けした人もいたかとは思う。
だが、おかげで動き出すのも素早く、その後の対応も
最善ではないにせよ、決して悪い方ではない。
未だ感染拡大中で死者も出る病だから決して油断はできないが。

インフルエンザ流行というのは過去にヒト社会が何度となく
経験してきた疫病だから、それを詳しく分析すれば
それなりに今後のシナリオを想定するコトは可能だ。
そう、未来についても、ある程度は想像できる。

東京をはじめ他の都市でも感染者が確認されて患者数は増加を続け、
ひょっとしたら、その中には若干数の死亡例も出るかもしれない。
並行して日本国内で外国の感染例についての報道は激減していくが、
いつWHOがPhase6を宣言するかどうか、には注目が集まりそうだ。

そして、いつしか徐々にウイルス禍も終息していって、
慌ただしい日々の経済や政治のニュースに埋もれ、忘れ去られてゆく。
人類は、今回の新型ウイルスも、乗り越えたのだ。いやめでたい。
……などと考える人は、もう少数だろう。ただ記憶の外に押しやるのみ。

さらにいうなら、今回のウイルス騒ぎの動向をもとに
また異なったウイルスが生じた場合にどうなるかと
以前よりさらに詳細なシナリオを検討するような向きは、
おそらく一般大衆の中には、ほとんどいないのではないか。

斯くして非日常は再び日常の慣性力の流れの中で見えなくなってゆく。

そこで気にしておきたいのは、この騒ぎが
「狼が来たと嘘を吐いた少年」的な効果を
今後の社会にもたらしてしまわないかどうか。
社会のベクトルは、しばしば一般大衆で動かされる。

ウイルスの変化は非常に早く、いきなり新種が登場する。
今回のウイルスが沈静化しても、また遅からず次が来る。
そのときに病原性や感染力がどうなるかは分からない。
あるいは感染拡大中に別の新種が加わる可能性もあろう。

予想外の事態に直面すれば情報が錯綜して混乱するだろう。
それでもなお日常の慣性力に引きずられる人々もいる。
逆に非日常へと即座にシフトして自己防衛心ばかり強まって、
未だ日常空間にいる人などを攻撃する連中も出てこよう。

どちらの立場も、少なからず世の中に登場するはずだ。
でも、どちらにしろ、あまりおすすめできる反応ではないと思う。
双方の存在が結果的に社会の混乱を拡大するのは間違いないだろうし、
日常と非日常の一方に偏れば現実の半分を不適な視点で見るコトになる。

日常の中には非日常が潜んでいて、混在したまま共存しているのだから。
Memento moriてのは幾通りもの解釈(何れも不正解じゃない)が可能だが、
生は常に死を伴うものと考えてみれば日常と非日常の関係も見えよう。
(そもそも不正解などとは、滅多なコトでは決めつけられないものだけど)

余談が過ぎた。ともあれ災害を拡大するかどうかは人間次第。
もともと人間がいなけりゃウイルスだろうと地震や火山や
台風だろうと災害にならんのだけれども、それはともかく、
ヒトの選択が結果として多くのヒトを死に追いやった過去は、ある。

そう、未来についても、ある程度は。

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