« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月

2009/06/30

事前には難しいけど変化に際しては対応できる能力

20090630_dscf1584_1s


ある日、不意に汗が止まらなくなるくらいの蒸し暑さに直面して、
もう梅雨入りしたのか、と実感する。いや、実感させられる。

外出したときに強烈な日射に目を細め、青空に浮かぶ白い雲を見て、
ふと聴覚に意識を向ければ蝉の声、となれば盛夏が近いのか。

こんなとき、時間の流れに対して受動的になっていないかと、反省する。
もちろんヒトの多くは、そうなりがちなものと思っているのだけれど。

できれば数年単位やそれ以上の周期で繰り返されるモノゴトに対しても、
早めに予兆を察知する知恵をつけて、早めに対応していきたいトコロ。

まだヒトの生活サイクルに近いタイムスケールなら割と認識しやすくて、
季節の移り変わりなども、その枠内にあるけれど、それでもまだまだ。

毎年この時季になると思うのは、徐々に蒸し暑くなっていく環境の中で
生活していくウチに身体が慣れてゆく感覚。少し遅れつつも追随している。

きっと、状況の変化に接して、ようやく変わっていくのがヒトの基本。
とすれば、その前から変わろうとしているのは、思い上がりなのかも。

だからといって知恵を働かせるのが悪いとも、当然だが思っちゃいない。
思い上がるコトなく上手に先を見通して早めに対処できればそれが良い。

|

2009/06/29

自称逸般塵の不通の日記(95) 初蝉

20090629_p5280018s


例によって徹夜仕事の早朝、
自宅前の大きな木の上の方から、
「ジー~~ジョワー~~」と音が聞こえてきた。
たどたどしく鳴き始めた今年最初の蝉の声。

あの根元で最後の脱皮をしたものか。

発声練習をしているかのように音程は安定しない。
それでも限界に挑戦しているかのようなロングトーン。
1匹しかいないくせに、烏が縄張を主張する嗄れ声さえ
易々と圧するほどの強い存在感。

ベランダには、破れた網戸を張り直すまでの臨時で蚊取線香。
迫り来る盛夏の予感。

10分ほど鳴いて、蝉は黙り込んだ。
まだちょっと出番には早かったのかもしれないな。

|

2009/06/28

本文とは全く関係ないが車裂きという刑罰が昔のヨーロッパにはあったそうだ

20090628_epsn6748_1s


たいてい長年に渡って使い続けるものではないから高い金は出せない。
けれども安く作る構造では強度が低くて安全性に疑問が生じてしまう。

街中でベビーカーを見掛けると、そういった構造的な問題が
この商品に関連して社会の中に潜んでいるように思えてならない。

乗客が乗客だけに、使っているウチに汚れたりするものだけど、
たとえばシャーシ部分だけでもリユースするなど、できぬものかな。

--
バスに乗ったら、他は皆、
シルバーパスが適用されるような乗客ばかり。
ジジバババス? と口には出さず早口言葉のように言ってみた。

高齢者は、若い世代のように素早く乗り降りできない。
だからバス停によっては停車時間が長くなってしまう。
バスの時間は、いつも不規則。

そんなバスに時間不足の人たちが乗るコトは少ない。刻はカネなり。
相場は個人差あるが最近は1分1イラ。2分でイライラ、10分10イラ。
なので急ぐ人たちは自分専用に車輪つきの乗り物を使う。

おかげで余計に、交通弱者ばかりのオムニバス。
でも換算レートの高い人たちが皆「個人専用」を使ったりすると、
そういう人たちが多く向かう場所などは混雑しまくるワケだ。

駐車場の手前は駐車待ち場があり、高速道路も拘束道路に化ける。
バスが目指す駅前には小型乗用車も無数に出入りしてるから
ロータリーというよりノッタリー。

バスは渋滞の中さらに待つ交通機関となってゆくのだろう。

--
これまで自動二輪には興味を持たずにいたのだけれど、
ふと機会あって気になったから、いろいろ考えてみた。

道路や車両や運転者や駐車場、それぞれ縦割りで作られた法の
狭間に落ちてる存在らしくて、「けっこうザル」という人もいる。

逆に言えば司法当局の現場判断が通りかねない危険も伴うワケだが、
自動二輪の世界を楽しむには、そのあたりも織込む必要があるらしい。

そして立法の連中も、積極的にガバナンスする気はなさそうだ。
要するに問題が生じなければ対処しない、そういう分野なのだろうね。

ちなみに、一部の発動機つき三輪車の位置付けは、近く法令が変わって
ユーザーの中には面倒を強いられるコトになる可能性があるとも聞いた。

たぶん、余計な仕事を増やすマイノリティだ、という程度にのみ、
桜田門や霞ヶ関や永田町の世界しか知らぬ連中は、思っておろう。

「1億総○○」は、いつまで通用するものなんだろうね。

|

2009/06/27

通称コンフォーマルタンク

20090627_20090611391ts


先日購入した携帯電話はビジネス用と銘打つだけあって、
最近にしては珍しく大容量電池パックも用意されている。

充電頻度を減らしたいので当初から買うつもりだったが、
本体と同色のモノが入荷してこないので色違いを買った。

結果、ツートーンカラーになってしまった。
これはこれで悪くないなとも思ったりする。

もとよりスリムでもスマートでもクールでもない端末。
よりクールならざる方向へ向かっても、別に良かろう。

この電池パックが劣化してもなお他の機種に目移りしていなければ、
そのときこそは本体と同色の電池パックを買い足すかもしれないが。

|

2009/06/26

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(31) 四十而魅惑、五十而不知命

20090626_20090516372t


40代どころか50代になっても、
なお惑っていたって構うまい。
そういう人も身近には少なくないし、
しばしば魅力的だ(ときに迷惑だが)。

そうそう、思い出したよ。いつの頃からか、
『40代か50代にならないと芽が出ない』
なんて気がしてならなかったんだ。
ここ数年、身近にいろいろありすぎて、忘れてた。

|

2009/06/25

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(30) 火のないトコロにも対岸の火事

20090625_epsn6777_1s


少し戻るが「パッシブなワガママ」に、もう一つのベクトルを発見した。
ある意味で非常に利己的な考え方だなあと、我ながら興味深く思うので、
その概略を説明しよう。

他者が非難を浴びているトコロに第三者的な立場で関わる状況を例にする。
要するに目の前で対岸の火事を見ているような、場面だ。

このとき、非難を受けている人物の弁護は、あんまりやらない。
逆に非難する側と一緒になったりも、あまりしない。

(どちらかの味方に立つのは、その時点で入手できる限りの情報を総合して
充分な理由があると認められるような場合に、おおむね限られている)

ただ、そういう問題を抱えるコトにならないようにするには、
どのような回避策があるのかを、傍観しつつ考えていたりする。

ただし、「そんな失敗、私なら陥らない」なんて考えるコトは少ない。
それこそエラソウだと思えるものだが、それ以外の理由がむしろ大きい。

そもそも殆どのヒトにはおおむね共通の各種本能が備わっているし、肉体や
頭脳、精神の制約条件もある。雑な言い方をしてしまえば「ヒトゆえの限界」。

多少の性格や能力の違いなどで失敗を免れ得るケースもあろうが、
それだけでは回避できない失敗例も少なくないものだと、考えている。

ヒトの限界によって陥るような失敗に対して対策しようと考えるなんて、
それこそエラソウだと思えるものだし、ヒトデナシになるのも当然か。
まあそんな利己性があるらしい。

しかも、そうしていてもなお失敗をしでかしたりするのは、
そして周囲に嫌な想いをさせて苦しんだりするのも、ヒトゆえか。

続きを読む "役に立つか苦言かどうかは受け手次第(30) 火のないトコロにも対岸の火事"

|

2009/06/24

せめて人を愛せよ(汝自身を含めて)

20090624_20090510370tsqs


日本語は主語なし文が成り立つ、ちょっと特殊な言語だと思う。
自分自身について語る文でさえも、「私」「僕」「俺」「自分」
など一人称代名詞を含めず記述するのは、そう難しくないコト。
実際、このブログでも、特に明示してこなかったが、ほぼ全く
一人称代名詞を使わぬつもりでいたし、それで書き続けてきた。

また日本語の一人称代名詞は多種多彩であり、どれをとっても
英語の「I」のような万能単語ではないので、いずれかを選択
した時点でその語が示すイメージに引きずられてしまいがちだ。
一人称代名詞を避けるのは、そんなイメージを排したいから、
そして(ブログにありがちな)自己主張色を弱めたかったから。

とはいえ、こうしてブログを書き続けているのだから、当然
全く自己表現をしたくない、というワケでは決してないのだ。
少なくとも、自己について問われれば答えるようにしている。
周囲に理解されにくい性質があるもんだから、それは必須だ。
ただし、我を出すのを抑え気味にしようとする気持ちはある。

実際には普通の人間と大差ない存在なのだと、思ってるけれど、
過去にも何度か書いてきたが、外見は「悪オヤジ風」らしいし、
性格は「パッシブなワガママ」、しかも半ば本能的に他人との
間合いを取ろうとする性質があるものだから、放っておいても
周囲からは「どこか違った人間」と思われてしまいがちである。

だからこそ、いわゆる「どこか違った人間」にありがちな、
我を張った風には、したくないだけ。それが本音。

ああいう人たちに怨みは持たないつもりだけれども、
実際には過去に何度も辟易させられたり、困ったり、
ときには損害を被ったと言えそうなケースもあって、
せめて周囲に、そういう迷惑はかけたくないと思う。

(「アクティブなワガママ」ではない現状、たぶん大丈夫だとは思うが)

振り返ってみれば、パッシブなワガママでありながら、実際には
周囲から求められているように行動しようと必死になってしまい、
その度が過ぎたために却って信頼を損ねたケースもあったりする。

夢くらいは(儚いと知りつつ)思い描いたりするし、
もし嬉しいコトがあれば舞い上がってしまったり、
嫌なコトがあればイライラしたりムカッとしたり、
あるいは凹んで弱って自己卑下していたりもする。
その程度の、ごく普通の人間なのだと、示したい。

いや、むしろ普通の人間より、消極的なのだろう。
過去の大きな痛手だとか現在の生活の苦しさなど、
いろいろな重荷ににメゲそうになりつつも、まだ
それでも「死ぬまでは」生き続けようとしている。

さすがに、これでは消極的すぎるのだろう。

ここしばらく、そんな反省をする機会が続いたように思っている。
だから、「ありがちでない」そして「あまり迷惑でない」ような
アクティブなワガママを、今後は目指そうかと思うに至った次第。

なかなかアクティブなワガママになりきれないのは、
もともとの性格に依存する部分も少なくないけれど、
それより今まで生きてきた上でのさまざまな負荷が、
きっと強く強く心理的な抑制をしているのだと思う。

だからこそ、改めて過去と向かい合おうとしている。

続きを読む "せめて人を愛せよ(汝自身を含めて)"

|

2009/06/23

なんとなく過去を振り返りたくなる年頃になってきた可能性

20090623_epsn6745_1s


今回で666件目の記事となる。ときたま休みつつ3年近く続いた
過去の書き込みを合計すればテキストだけで約1MBに達する。

質より量、量より質。いずれも常に正しいとは思わない。
量は質を変える。スケールが変われば主たる法則も変わる。
基本的に毎日更新で2年あまり続いているのだからもはや
何かを演じて出せる領域ではなくなりつつあるともいえる。
あるいは演じ続けていたとしてもそれが身に付いてしまい
すっかり性格の一部として定着してしまうほどであろう。

ときたま、何となしに過去の記事を読み返すコトがある。
テーマや方向性が少しずつ変化しているように見える部分も
あるけれど、そんな中にも変化しない部分があるように思える。

せいぜい自己や周囲や社会の事件を眺めつつ勝手に内省を
繰り返しているに過ぎないような気がするけれど、それでいい。
そういう卑小な存在でも書き残す価値がないワケじゃない。
だから今後も適当に書き続けていくのではないかと思う。

ところで最近、自分で自分をコントロールできていないケースが多いと気付いた。
いや、今までコントロールできていると思い込んでいたコト自体が、
何らかの誤解によるものだった可能性も高いのだけれども、それとは
少し違って、今までの方法では制御を外れる確率が高まったような、そんな気が。

かれこれ10年近く使ってきた自称年齢にも、今年で並ぶ。
当初から意図していた通り、今後も自称年齢を変えず使うつもり。

つまり逆鯖が、通常の鯖読みとなるだけであり、どちらにせよ
年齢を詐称している点は全く違わないのだが、これがまた、
気持ちの上では大きな違いになるかもしれない。

実年齢を上回る逆鯖状態では老成した考え方を重視する傾向があり、
鯖読み状態になればそれが逆転する可能性もある、という程度だが、
まあそんな気分だけでも、結構、ヒトって変わってしまうものだからね。

とりあえず、せっかく試してみようかって気になったのだから、
この機を捉えて、自分で自分の背中を押してみりゃいいんだよな。

|

2009/06/22

自称逸般塵の不通の日記(94) 呼ばわる声に応える思考

20090622_dscf1091_1s


中年男だって悩み事の一つや二つ、当然のようにある。
いやむしろ否応なしに悩まざるを得ないようなモノゴトが無数に
積み重なった結果として気付けば中年になっただけかもしれんが。

いくら悩んでもどうしようもないような悩み事を抱えて朝、
午後から出掛ける予定があるので一眠りしようとしていた頃、
横になって目を閉じれば窓の外でカラスどもが騒がしい。

先日のソレとは違った印象で、それぞれが適当な場所から
大声を上げて呼び合っているような感じの鳴き声が続く。
お互いに鳴き交わして縄張りを主張していたりするのかも。

内容は分からないが一羽が鳴けば別のカラスが鳴き返し
それにまた他のヤツらが鳴いて応えるといった具合で、
いつまでもガアガアギャアギャアと、五月蠅くて困る。

無関心でいられないとなれば、何らかの感情が生じがち。
眠ろうとしているトコロに騒音だから、「嫌」な方向だ。
欲しくもないトコロに飛び込んでくる広告のようなものか。

考えてみれば、関心を持てと迫っているワケだ、コレらは。

持とうとしていないトコロに、そう来られればどうしたって
嫌な気分にさせられてしまうのが人情というものである。
ましてやそれが相手の利のためとなれば、なおのコト。

むしろカラスは広告よりも、ヒトから何かを得ようとする
ような考えが希薄な分だけマシなのではないかとも思える。
そもヤツらの声はヒトに向けられたものでさえないのだし。

そう考えればカラスの声も、さほど気にならなくなった。
まあ悩み事ばかり考えていられなくなったのだから、
実際それも悪くないってトコロなのかもしれないが。

|

2009/06/21

こっくりさんのそっくりさん

20090621_20081015670ts

ニヒリストというかペシミストというか、そういった
方向性を共有する対話仲間(?)のU君と話をしていたとき、
「偶像をヒトが作り上げているのと同じくらいに、
社会における幸・不幸もまたヒトが作り上げるもの」
てなコトを喋っていたのを思い出した。

「神の見えざる手」的発想は、古今東西問わずある。
しかし考えてみれば歴史の中に伏線が張られている。
誰かが張った伏線を、後の時代の人が知らずに引く。
いやむしろ誰もが意識せぬままに伏線を張り巡らす。

それぞれのベクトルの総和が世の軸を動かしてゆき、
ときには誰かの望み通りに動いたかに思えたりする。
でもそれは多くの偶然と一部の思い込みが主成分で、
特定個人や集団の意図など、添加物程度でしかない。

損をした分の見返りだとか、悪事を働いた者への
応報なんてのも、まあ、そんな具合に生じている。
だから、そうなるケースもあるけれど、ならない
ケースも、少なからず存在しているというワケで。

少なくともヒトビトが今、生活している場はヒトの世界。
それ以外の世界ではどうだか知らないけれども、
ここでヒトを裁くのは基本的ににヒトであって、
この世ならざる場にいるカミサマじゃないんだよな。

意識していようがいまいが、だいたいそうなってる。
ヒトにはカミサマの意図が読めないのも、当然か。
まあ糾える縄の如くに禍福いずれも含まれていると
思っておけば、気休め程度にはなるだろうか。

|

2009/06/20

損した気分が心を害する確率は明示されていません

20090620_20081213009s


「損したんだから、その分の見返りはあるよね?」
なんてついつい思ってしまいがちなのがヒトてヤツで。
でも考えてみれば、そんなの誰も保証してないワケだ。

もしかしたらどこかにカミサマがいて艱難辛苦に報いてくれる、
そして現世だの此岸だので叶わなくても来世か彼岸で云々、
といった具合に思っていられるなら、幸せも感じられよう。

このような考え方は、ヒトが歴史の中で編み出してきたもの。
ヒトと世界との関わりの中で生じる矛盾を受け入れるために。
だから矛盾を受容するための道筋を示すシキタリスともいえる。

だがそういった考え方に馴染めない人たちも少なくない現代、
資本主義が民主主義を揺るがしかねないくらい強い影響力を
持つまでに至った現代は、カネの「見返り」が幅を利かす。

「損」がカネ以外の内容だったとしても、多くの場合、
「見返り」にはカネ換算して通用させられていたりする。
実際、ヒトはカネ換算する仕組みも営々と作り上げてきた。

でも、カネなんかでは、気持ちが晴れるコトはないもので。

結局「損した」気持ちはずっと残り続けてしまう。
カネ換算の見返りを払う義務を負った側も、気は晴れまい。
(いろいろな方向性が考えられるけど、いずれにせよ)

善悪好悪の比率が保たれているなんて信じないのに、
それでも気持ちの上では均衡を要求している現代人。
この相反性こそ、いかにもヒトらしくあるとは思う。

もし仮に何としても均衡が保たれねばならぬとするならば、
それは他から与えられるコトを求めるのでなく自ら探求し
得ようとする気構えが必要なのだろうとも思うのだけれど。

とはいえそれが却って他者に不均衡を感じさせるような
内容であるなら結果的に均衡状態を実現するのは困難で、
それこそ再び自らの身に返ってくるのではないだろうか。

あるいは均衡などしないと合理的に割り切って考えるか、
逆に心理に従うなら比率が保たれるよう気を配っていけば、
矛盾を解消できるかもしれんが、それはそれで違うハナシに。

だって、矛盾がない存在なんて、ヒトとは呼べないもの。

--
過去にヒトが蓄積してきたベストプラクティスを集約すれば、
ヒトゆえの矛盾を受け入れるのが気楽に生きる術だとも読める。
もちろん「分かっちゃいるけど何とやら」の類も、含めて。

このところ極貧生活を続けているだけにカネの有難味を
否というほど思い知らされているのが現実だけれども、
そういったトコロもまたヒトやヒト社会の矛盾なのだろうと。

自らの中に矛盾を見出し、他者の中にも同じ矛盾を見出し、
そしてヒト社会に普遍的な矛盾であると知り、そうやって
ようやく諦めがつくのがヒト。そんな気がしている昨今。

まず自らの中身に何らかの鍵を見出すのが肝要なのだろう。
もしかしたらそれは鍵に思えて実は自己欺瞞かもしれないが、
多様な鍵を拾っていけば、中にはマトモなのも含まれよう。

せめて後々の「損した」感を軽減するコトを「見返り」としたい。

|

2009/06/19

“だからこそ”、どう考え、どのように行動するのかを振り返る

20090619_dscf2597_1s


「厳しい経済状況だから少しでも利回りの良い投資先を求める傾向」
が見られると、あるニュース番組で投資詐欺被害について語っていた。

件の経済危機を引き起こした“犯人”についても、いろいろな団体や
個人が挙げられているが、そもヒトが持つ、そんな傾向によるものだ。

状況が悪い中でもなお、“だからこそ”と良い結果を求める。

“だからこそ”ヒトの周囲には悪いコトが重なるというもの。

悪い状況を知った上で結果に繋がらないような方向性で考えてるのか、
あるいは悪い状況が、どういう内容なのかを深く知らないだけなのか。

たとえば投機ビジネスを手掛けた企業や、その中にいた個人などを
強欲と批判するのは簡単なハナシだけど、出資してた人については?

だいたい、無色のカネなんて、なかなか存在しないものだ。

いやむしろカネってのは、ヒトの欲望の色がついてるよな。

預貯金や保険、年金などのカネは巡り巡って利回りを求め投資される。
無数のステークホルダーの欲望で色づけされ、より多く得ようとする。

個々人や家庭にしてみれば、ささやかな欲求でしかないかもしれないが
それが無数に集まって、強力無比な強欲が作られ幅を利かしてきたので。

そういう背景を知ったヒトは、どう考え、どのように行動するかな。

|

2009/06/18

知識は増えこそすれ、減るもんじゃなし

20090618_p5270009s


現代社会においては、「知らなかったがゆえに失敗した」よりも、
「知っていたが失敗した」というケースの方が、厳しく非難される。
批判の文脈には「実は知っていたはずだ」なんてのも含まれていたり。

今や、知るコトにはリスクが伴うとも、いえる。
そのせいかヒトの多くは、あえて知ろうとしないコトもある。
もともと強い好奇心を持つ生物であるというのに。

いや、あるいはリスクを避けるなど、意識していないのかもしれない。
思考能力は無限にあるワケではないから、あまりに多すぎる情報が
却って思考を妨げる場合もあって、それを避けるためとも考えられる。

まあいずれにせよヒトは、生物としては異様に強い好奇心を持ちつつも
知るコトに対して抑制的でもあるという、相反する性質があるようだ。
そして日常生活を営む必要最低限の知識で落ち着こうとする傾向がある。

だが日常の生活にない状況が発生したとき、それでは対応しきれない。

好ましくない事実を、結果が確定した後から知る辛さは、
その程度はともあれ、誰であろうと心当たりあると思うが、
現在進行中の好ましくない状況を徹底的に知るのもまた辛い。

知るリスクの中には、知ったトコロで何もできないような場合だとか、
行動を起こすのに多大な身体的心理的労力を必要とする場合などもまた、
含まれているから、あえて知ろうとしない方が、よほど気楽ってもんだ。

もしそんなとき、知りつつも何も考えず、新たな行動を起こしたり
既存の行動様式の変化を為さなかったとすればそれは、たしかに
何も知らずにいたより良くないものとされて致し方ないのだろう。

でも、知らずにいれば、あるいは知らぬようにしていたとすれば、
好ましくない状況を好転させられる可能性を放棄する危険も高い。
結果はともかく、知ろうとする意識そのものは、重要ではないか。

もちろん好ましくない状況を好転させようとする目的においては、
結果を目指すコトが重要だ。だから、知るだけでは全く足りない。
知った上で、どう考え、どのように行動するか、それこそ大切だ。

知るコトのリスクは考えるコトのメリットで補償できるだろうか。
それについては、もっと明確に意識して取り組んでみない限り、
知る機会を得るコトさえ、できやしないんじゃないか、と思う。

|

2009/06/17

自称逸般塵の不通の日記(93) カラスの勝手じゃない?

20090617_dscf2579_1s


最近、近所で妙なカラスの声が聞こえてくる。
微妙なイントネーションを伝えるのは難しいが、
カタカナで書けば、こんな感じか。

「コヮアァァ?」

何故、語尾上げ?

ある朝など、他のカラスと、こんなふうに会話していた(たぶん)。

「カヮ」

「コヮアァァ?」

「カァ カァ」

「クルルル……ンヮアァァ?」

「カァア!」

「コヮアァァ!?」

発音が明瞭でなく、間延びした口調でかったるそうに語尾上げで喋る若者を、
せっかちで短気な年寄りがたしなめているような、そんなトコロかね。
「いざわ、いざわ。チンタラ喋ってんじゃないぞ」と。

あるいはカラスの世界にも、たまに他とは異なる発音の個体がいて、
コミュニケーションに苦労しているというだけかもしれないが。

|

2009/06/16

タメにする行為がダメにしてしまう危険性

20090616_dscf1913_1s


多くの制約があるなど厳しい心理条件下では、
感情の動きが激しくなって理性が動きにくくなってしまう。
そんな状況の中で感情を御するには、どうするのが近道か。

今回は、落ち込んだり焦ったりするような、どちらかというと
“ダメになる方向”の感情の動きについて考えてみよう。

こういうとき、たいていヒトの心理は萎縮してしまうものだ。

萎縮する度合いを低められればいいのだけれども、
それを最初の目標にするのは、なかなか難しいハナシ。

では、ダメになる方向の意識の動きに慣れていけるかどうか。
その原因として例えば孤独感、絶望感、挫折感などがあろうが、
実際には状況によって、これらには強弱があるものだ。

だとすれば、程度の弱い毒を克服するコトで慣れられないか。
身体の免疫システムのような効果は、心理にも期待できるだろう。

とはいえ病原菌やウイルスとは違い、誰にでも応用できるとも思えない。

むしろ毒物か何かのように、量が少なければ急性毒性としては耐え
られるけれど、継続的に摂取すれば慢性毒性が現れる可能性もある。

あるいは、その病毒に対して耐性を獲得したとしても、
同時にヒトならざる別の生物となってしまっているか。
だとしたら、やはり危険な試みとなってしまうなあ。

|

2009/06/15

自-分解-析

20090615_epsn6076_1s


感情のまま動いてしまえば良くない方向へ入り込んでしまいそうなとき、
その感情とは異なるトコロへ向かおうとする理性が働く場合もある。

そんな葛藤に陥ってしまったら動き出すのは非常に難しいものだし、
だからといって無理に感情を押し込めて理性に従っても後が大変だ。

流れに逆らい続けても長続きしない。感情を無視してヒトは生きられない。
むしろいっそ流れより早く進んでみたら、いいのかもしれない。

感情を理性と同じ方向に導いてやれば自然に動けるのではないだろうか。
感情の動きを愛でつつ、それを飼い慣らして御せるなら、それが良さそうだ。

いささか難しいコトだろうけど、たとえば感情を押し殺し続ける苦しみとか、
感情に流され続けるよりマシだろうから、その方法を考察する価値はあるはず。

そしてひょっとしたらたまに、それを実現できていると思えるような
状況もあるように思われるので、今後は機会を捉えて解析を試みよう。

in-vivoな近リアルタイム解析となると非常に困難なものではあるけれど、
何度も挑戦しつつ解析手法そのものも改良していけば、いけるかもしれない。

|

2009/06/14

たまには時事ネタ(51) 何というか常に新鮮な感覚が、良くも悪くも

20090614_epsn5723s


第6段階宣言が出たってコトは、いよいよ公式に
本格的なものとして認定されたワケだな。

疫病の汎世界的流行は人類の歴史に於いて何度も
繰り返されてきたが、同時に常に新しいものでもある。

なにせ「100年に一度」=「未曾有」とされる世の中
といっても経済危機など大戦期以来、100年未満だが。

なにしろヒトってのは忘れるものでね。いろいろと。

パンデミックとされるインフルエンザ流行だって同様。
大戦後にも相当な規模で流行していなかったっけ?

頻度が低いから、記憶も薄れてしまうのだろう。
一生に数回程度の遭遇率なら記憶コストも割高だからな。

おかげで、繰り返しなんだけど新しく思えてしまう。
かつて乗り越えた歴史も忘れて、恐怖に駆られる。

幸か不幸か、今の時代には情報なら溢れるほどある。
探せば、それなりの情報を得られる環境も整っている。

とはいっても知るコト自体が大切なのではなくて、
それを知った後でどう行動するか、の方が重要だ。

何となしに行動していれば、きっと前車の轍。

ヒトが自然に行動すれば陥るような罠が自然に
仕掛けられているようなもんだから、そうなって当然。

ならぬようにするには、一捻り二捻りしてやって、
ヒトの自然な行動パターンから少し外れるが良かろう。

かといって自然ならざる行動というのは難しく、
ヒトの道を外れぬような工夫もまた要るワケで。

|

2009/06/13

自称逸般塵の不通の日記(92) 梅雨の晴れ間の出来事など

20090613_dscf2167_1s


複数の友人たちから、ほぼ同時に夕食に誘われたりする。
ときたま集まって飲む仲間内なので、全員で集合した。
1~2カ月ほど前にも、ほぼ同じパターンがあった記憶が。

しばしば一緒に飲み食いする仲だから行動パターンが似るのか、
こういうケースも割と少なくなかったりするあたりが興味深い。

ちなみに1人だけ1~2日前に先行して来るのがいたりして、
それは彼の性格に由来するトコロがあるのかもしれないが、
これまた妙に、同じようなパターンを構成していたりする。

まあ、楽しく飲み食いする機会が重なるのは、悪くない。

|

2009/06/12

理系用語で読み解く社会(51) 俯瞰全変態

20090612_epsn6312_1s


コドモからオトナになるとき、
たいていは、そのままであり、
何かが変化するとは限らない。

所持品とか点数化できるステータスとか、
そういうトコロばかり気にするコドモは、
オトナになっても、やはり気にし続ける。

コドモの頃から知恵を働かせるコトを知らずにいれば、
どうしたってオトナになっても知恵を使うのは苦手だ。
もっと訓練しておけば良かったとは、日々後悔してる。

コドモの頃から利用してきた店を、
オトナになっても使い続ける例も多い。
他の世界を見る機会がなければ、そうなる。

安売り店などが、ある程度の期間を経て
気付けば高級志向になったりするのも
そんな動向の裏返しなのではないかな。

きっと世代交代ってのは、
こんな風に生じていくケースも
あったりするんじゃないだろうか。

今は、たぶん分化していく時代。
交わるよりも別れていく方が多い。
世代だけでなく階層などもまた。

|

2009/06/11

都会における、エンジンと車輪のついた個人向け排他的ファッションアイテム、についての考察

20090611_epsn5695s


晴れた休日、道を歩いていたら、
欧風の軽快というか華奢な印象の幌車に
メリケン趣味の超扁平極太タイヤ、
なんていうクルマを見掛けた。

あれじゃあクルマが可哀想だ、と思ったが、
ソレを乗り回しているのは若いカップル。
要するに都会におけるクルマというのは
ファッションの一環と考えられているようだ。

この不況下においても、贅沢する人は
それなりの贅沢を続けているとも思う。
そもヒトの多くは見栄のために使うカネなら
ギリギリまでケチらないようにするものだし。

もちろん郊外では生活に欠かせないものだけど、
公共交通が発達している上に駐車場確保が難しい
都市部においては詰まるトコロ贅沢品だから、
飾り立て磨き上げるのが経済力の証となるらしい。

時代の進み方には地域によってムラがあるというより、
地域ごとに異なる方向性を持ちつつ並行している、
というのが正解なのではないかと思う。
乱暴な言い方をすれば、日本の二本化だ。

ちょとハナシは変わるがクルマというのは
「個を育てる」環境ではないかと思う。
個人的関係のみを小さな箱に閉じこめ、
外をシャットアウトする、排他的な印象。

今のヒトビトにおいては、より小さな個体数の集団で
楽しむパターンが増えているってトコロなのだろう。

排他的な個人空間は周囲への配慮に欠けたまま
一方的に拡大する方向性を持ったものでもある。
とはいえ都市部の空間は限られたものでしかなく
誰かが取れば他の誰もが取れなくなってしまう。

飾り立て磨き上げられた車体の外側に
冷たい輝きが見えるのも、納得である。

まあ貧乏人の僻みでもあるのだろうけど。

|

2009/06/10

所持品紹介(20) 夏の必需品ひとまとめ

20090610_p5300045sqs


自他共に認める暑がりで汗かきだもんで、
夏は特に持ち物に気をつけねばならない。
「健康で文化的な生活」を自ら維持すると同時に
周囲に与える不快感を可能な限り抑えようと、
まあそれなりには工夫をしているつもりだ。

まずタオルは必須。
鞄には常に1本以上を常備している。
遠出するとなれば2本、3本。
まあ冬でも使う機会は少なくないから
季節に関係なく持っている可能性は高いんだが。

扇子は、毎年のように買っている。
軸が樹脂では弱いので避け、
金属軸のものを選ぶようにしているが、
それでも布や紙が破れたり縒れたりするので
だいたい1年程度で使い物にならなくなる。

そして帽子。
昔から被り物は好きなんだけれども、
その趣味は徐々に変わりつつある。
最近ではワイシャツ・ネクタイ姿も多いので
昨夏にはパナマ帽を買ったりした。

夏のアイテムは長持ちしないのが多い。
昨年のパナマも汗染みが出て、少し歪んでいる。

これらは素材の風合いを活かして
薄く軽く仕上げて涼しげにしているから
耐久性が低いのも致し方ないワケだけれども、
おかげで、いろいろと変化を楽しめたりする。
今年の夏は、どんなのを調達するかな。

|

2009/06/09

自称逸般塵の不通の日記(91) 月毎の刈込

20090609_20080904628sqs


髪を切って涼しくなった。
頭皮まで風が当たる。

行きつけの床屋は暑くなってくると
通常より短めに刈り込んでくれる。

まだ風が涼しい時季、
これで当面は凌げる。

来月あたりからは、
それも厳しくなってくるが。

我慢できなくなってきたら
致し方なくエアコンを使おう。

夏の前の、どこかしら
落ち着かぬ生温い空気。

|

2009/06/08

リスクマスキング

20090608_20090510368ts


大阪出張の打診を受けたのは2週間ほど前か、
インフルエンザ騒ぎの最中だったと記憶している。
そういえばマスクを用意しておいた方が良いかと
近所で探してみれば、どの店も全滅状態。

恐怖心はヒトにとって他の感覚をマスクするものだ。
たとえば他者を思いやる気持ちとか。
「東京から出ない連中が買い溜めする理由はなかろうに」
などと考えてから、そこに気付いて、自戒した。

その後、出掛けるたびに通り掛かったドラッグストアへ
入る日々が続き、ようやく在庫のある店に出会った。
そこでは5枚入りを2箱だけ買うコトにしたのだった。
使うとしても出張時だけ、同行者の分を入れても足りる。

しかし蓋を開けてみれば出張の頃には沈静化しつつある。
念の為に1箱だけ持参したものの、使わず仕舞いだった。
いずれ東京でも使う機会があるかもしれないので、
コイツは部屋の片隅に置いておくつもり。

--
晴れた休日、出掛ける途中のバスの車窓から
病院の庭にテントが並んでいるのが見えた。
隔離のために発熱外来を設けているようだ。
しかし、この日は真夏日であった。

今後、梅雨に入れば蒸し暑い日が続くのだし、
さらに後には夏が控えている。
テントの空調がどのようなものかは知らないが、
屋内よりは効きが悪かろう。

患者が別の熱で倒れてしまわないか、ちょっと心配。

|

2009/06/07

出張旅行記(26) 続・車内務戦乱

20090607_20090417324ts


先日の大阪出張では、久し振りに
N700系の車内無線LANサービスを使ったが、
混雑しているのか非常に通信が遅く、
Webメールのログイン画面もロクに出ない有様。
新着メールのヘッダのみ確認で諦めた。

前に使ったのは3月後半、一般向けサービス開始後
1週間も経たぬ頃ゆえ混んでいなかったのだろう。
少なくともPHSくらいの速度は出ていると感じられ、
トンネルなどで切断されないメリットを含めると
“使える”サービスだと思っていたが……。

あれから3カ月も経たぬのに。

今は不況下で、インフルエンザ騒ぎもあって、
新幹線を利用する人も限られているのだろう。
仕事の必要で利用してるのが大半だから、
時間の有効活用にと移動中も仕事したりする。
「とりあえず繋ぎっぱなし」も多いんじゃないかな。

アーリーアダプタ層には
多くのユーザーが参加して混雑する前に
サービスを堪能できるような利点もあると
思っていたけど、その期間というのは
場合によって非常に短くなるものらしい。

まあそれはともかく。

ひとまず新幹線での移動中においては、
通信環境を理由として一部の仕事を回避するコトも、
まだ当面は許されるらしい。
もちろん遠からず設備も強化されて、
再び“使える”ようになるとは思うが。

|

2009/06/06

自称逸般塵の不通の日記(90) 降れば土砂降りゲリラ豪雨、の仕事

20090606_epsn6824_1s


今週は、どうしたコトか急に忙しくなった。
ほぼ毎日アポイントがあって、
都内のみならず横浜や大阪まで出た。

何カ月か、仕事が極端に少ない状態に
慣れてしまっていた心身には、
いささか強い刺激となったな。

持ち帰った仕事は来週一杯くらい掛かる。
今後の食い扶持のためにキッチリ片付けるべく、
山積みの資料を前に唸る日々が続く。

カネになるのは、これらを仕上げて
請求を立てて先方で処理されてから。
まだ当面は極貧の生活を維持せねば。

夜明け前が最も暗いとは、よく言ったもので、
先に見えてきた明るい材料を前にしながらも、
糊口するため目先の金策にも唸る日々となる。

それに、今回の仕事の山は一時的なもの
かもしれないので、その先も楽観はできない。
まだまだ気は抜けないってワケだな。

とはいえそれでも少しばかりは
明るい材料を得て元気が出た気がする。
雨降って地固まる、とでもいうのかね。

|

2009/06/05

休符が入って至急開始できる準備が整わなかった件について

20090605_20090510365sqs


新たな携帯電話をいろいろと設定している中で、
ケータイバンキングのアプリを登録していたら、
いつの間にか給付金が入ってたコトに気付いた。

区では低額窮付金の処理を後回しにしていたように思える。
もともと年度の変わり目で事務作業量が多い時期だったし、
給付手続開始が5月になったのも、致し方ないものと思う。

かなり無茶な方法で可決させてまで年度内給付開始を
主張していた連中にとってみれば、成立させた以上は
彼らの手を離れたものなので気にならないかもしれないが、
結果として多くの国民には間に合っていない事実を認識し、
立法に携わる者としての責任を自覚してもらいたいトコロ。

ていうか税金集めて再配分するためのルールを決めるのが
議会の仕事じゃなかったのかと思うのだけれども、それを
全国民を対象に無条件で再配分するってのは、業務放棄?

まあそれでも貰うけどね。カネには困ってるんで。
でもこれが所得税や住民税の減税措置だったなら、
2~3カ月は早く還元されていたはずだなとも思う。

|

2009/06/04

自称逸般塵の不通の日記(89) ないトコロから始まる

20090604_dscf2787_1s


そういえば先日、
住民税の督促が届いたときのこと

封筒を空けると中に小さな黄色い紙があって
「催告」と、でかでかと赤い文字で印刷してある

その下には「期限までに支払わないと差し押さえる可能性」
など警告するような文章が延々と続く

(ちなみに裏面には夜間窓口の案内や窓口リスト
などが並んでいる。相談に来いってコトらしい)

貧乏暮らしゆえ過去にも何度か経験があるものの
やはり何度見ても落ち着かない

貧乏人にしてみれば「差し押さえられて餓死しろというのか」と
そう受け取られかねないメッセージではないか

ましてや仕事が減って耐乏生活に突入した段階では
盗人に追い銭、じゃなかった泣きっ面に蜂

そんなワケで役所へ行って延納止むを得ぬ旨を伝えるとき、
ついでにそういう感想も言っておいた

「まず相談を」的な文言を目立つように入れられないかと
それこそ「催告」に負けないくらいの存在感で

役人の仕事は制約も多いと思うが
多少の善意を含ませる余地くらいあるだろう

余地は悪用するだけじゃなくて
善用するコトだってできるはず

まあ納税義務もロクに果たせぬくらい稼げぬ風采の上がらない
中年男ごときが言うハナシではないのかもしれないが。

|

2009/06/03

自称逸般塵の不通の日記(88) ある小雨がちな曇りの日に

20090603_dscf1533_1s


どちらにせよ冷房をつけるまでもない時季、
だからこそかもしれないが。

--
例によって仕事を大切にチビチビやってて
ようやく片付けて、午後の用事まで一休み
しようとしていた朝のこと。

近所というかほとんど隣の中学校の
校庭で生徒たちがワイワイ騒いでるトコロまでは
普段通りだったのだけど、突如。

スピーカーがガリガリ鳴って、
ハウリング混じりの教師らしき声。

体育祭の練習らしい。
そういえば近所に通知が回っていた。
そうか今日からか。

しかし大まかな日程だけ書いてあって、
特に時間帯などは示してなかった。

学校生活を終えて久しい中年男には、
しかも勤め人でなく自由業では、
そのあたりの感覚が失われていた。

せめて工事の通知のように
時間帯を書いてくれればなあ。

このブログの常として固有名は出さないが、
むしろ逆に他のトコロでも気付いてくれれば
という気もするので、出さなくていいよね。

わざわざ伝えても、その学校だけしか
改善されないだろうから大した効果はない。

安アパートだから窓を閉めたトコロで
外の音を遮断できるワケもなく、ただただ
眠気と音の板挟みになりつつ思っていた。

--
午後の用事を終えて帰宅した直後、
多数のターボファンエンジンの音が響いたので
ベランダに出て見上げてみれば6機デルタ編隊のT-4が
空を低く覆う雲の下を飛び去っていった。

垂れ込めているが明るい雲を背景とした機影は
コントラストが強すぎ黒く沈んでいたし、
一瞬の出来事なので塗装までは判別できなかったが
もしやアレは展示飛行チームの練習か。

梅雨空になりがちな時季、展示飛行隊は
あまり活動しないと思っていたから気になって
調べてみれば横浜の開港祭と書かれている。
やはり特別なイベントの都合であったか。

|

2009/06/02

「まだ下がある」の使い方

20090602_20081228055s


もっとコストを削れるけど、今はこのへんで。
まだ削る余裕があるから、もう少し耐えられる。

都会の片隅で一人暮らしている中年男は
貧乏だけでなく孤独にも慣れている。

もっと貧乏になっても、もっと孤独になっても、
もう少しくらいなら耐えられるような気がしている。

まだ下があるウチは、余裕があるってコトだと
そう思ってみれば、それなりに気楽にもなれる。

だから、まあ、ひとまず。

|

2009/06/01

自称逸般塵の不通の日記(87) 電話改選

20090601_dscf1824_1s


ここ数日、移動体を中心に電話の使い方を工夫してみた。
回線を維持しつつ少しでも通信費を抑えようと考えたのだ。

たとえば同一事業者内での無料通話や、
メール無料のプランなどを優先する。

どうしても通話料や通信料が発生する部分は
できるだけ一つの事業者に集約したり無料通話分を使う。

一部の契約は使い方を見直して、大きく変えた。
比較的親しい数人の相手にはメール宛先変更もお願いした。

これで、少しはコストを下げられる見通しだ。
それでも無理なら、さらに手を打つ必要があるだろうけど。

|

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »