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2009/06/18

知識は増えこそすれ、減るもんじゃなし

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現代社会においては、「知らなかったがゆえに失敗した」よりも、
「知っていたが失敗した」というケースの方が、厳しく非難される。
批判の文脈には「実は知っていたはずだ」なんてのも含まれていたり。

今や、知るコトにはリスクが伴うとも、いえる。
そのせいかヒトの多くは、あえて知ろうとしないコトもある。
もともと強い好奇心を持つ生物であるというのに。

いや、あるいはリスクを避けるなど、意識していないのかもしれない。
思考能力は無限にあるワケではないから、あまりに多すぎる情報が
却って思考を妨げる場合もあって、それを避けるためとも考えられる。

まあいずれにせよヒトは、生物としては異様に強い好奇心を持ちつつも
知るコトに対して抑制的でもあるという、相反する性質があるようだ。
そして日常生活を営む必要最低限の知識で落ち着こうとする傾向がある。

だが日常の生活にない状況が発生したとき、それでは対応しきれない。

好ましくない事実を、結果が確定した後から知る辛さは、
その程度はともあれ、誰であろうと心当たりあると思うが、
現在進行中の好ましくない状況を徹底的に知るのもまた辛い。

知るリスクの中には、知ったトコロで何もできないような場合だとか、
行動を起こすのに多大な身体的心理的労力を必要とする場合などもまた、
含まれているから、あえて知ろうとしない方が、よほど気楽ってもんだ。

もしそんなとき、知りつつも何も考えず、新たな行動を起こしたり
既存の行動様式の変化を為さなかったとすればそれは、たしかに
何も知らずにいたより良くないものとされて致し方ないのだろう。

でも、知らずにいれば、あるいは知らぬようにしていたとすれば、
好ましくない状況を好転させられる可能性を放棄する危険も高い。
結果はともかく、知ろうとする意識そのものは、重要ではないか。

もちろん好ましくない状況を好転させようとする目的においては、
結果を目指すコトが重要だ。だから、知るだけでは全く足りない。
知った上で、どう考え、どのように行動するか、それこそ大切だ。

知るコトのリスクは考えるコトのメリットで補償できるだろうか。
それについては、もっと明確に意識して取り組んでみない限り、
知る機会を得るコトさえ、できやしないんじゃないか、と思う。

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