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2009年7月

2009.07.31

ヒトの間に、ヨの中に

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烏たちは、
ヒトが社会生活を営んでいるからこそ
都市で繁栄できているのだとは、
思い至っていないだろう。
そう思えてならぬ。

人間たちは、どうだか知らないが。

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2009.07.30

憮活のシーズン

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嫌そうなんだけど、大声で怒鳴る。
それが近所の、体育会系中学生と烏の共通点か。

不慣れな日常に身を委ねつつ、
半ば我を忘れているようなひとたち。

もしや嫌々にでも、続けていれば
自然とできるようになるんだろうか?

前向きにならないと、やらないし、
前向きになれないと、やめていた。

そんな人生を送ってきた身としては、
容易に解決できなそうな、疑問。

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2009.07.29

皮肉な嘆

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ここ10日ほど断続的に個人的イベントが重なって、飲み食い喋る
(しかもカネを借りて)ばかりの夜が幾つか続いて明けた後の朝。

なんというか、全力でぐったりしてしまって、しばらく動けず。
自宅で仕事する予定だったが、遅れて迷惑をかけてしまう結果。

イベント続きで財布は軽くなるばかり、身体は細ってゆくばかり。
どうやら、飲み食いしすぎると消化吸収が抑えられる体質らしい。

ひょっとしたら、暑さのせいで夏バテしつつあるのかもしれないし、
貧乏生活のストレスもあろうが、それだけではないような気がする。

予定の入らない日には、自宅でゴロゴロしつつ残務を片付けて、
炭水化物と脂肪と塩分を中心とした粗食で英気を養っていこう。

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2009.07.28

網の外は静かなもので、読書や考え事には都合良い環境

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「某SNSで通知しておけば関係者全員に伝わるものと誤解しているのではないか」
てな疑問の声が、先日のイベントの参加者から聞かれた。事実そうかもしれない。

日本人なら誰でも知ってる(?)例の大手SNSだとか、世界中で流行ってるという
某呟き垂れ流しサービスなどは、そういう錯覚を与える傾向があるように思う。

あまりに多くの人が使っているものだから、
使っていない存在がいるとは思われにくい。

これらは、既にヒト社会において“マス”メディアの域に到達した。
そこに加わっていない人間は、もう通常の枠の外にいる存在である。

そういえば、小さい頃にはTV番組の話題が分からなかったっけな。
今でもバラエティ番組などは苦手で、ニュースばかり観ているよ。

声をかけてもらえれば嬉しいから都合が合う限り応じるけれど、
もし忘れられているなら、それはそれで構わないと思っている。

アクティブになるのは対人関係よりも散歩。
むしろ人付き合いに関してはパッシブな方。

おそらくは、網の中にいても楽しく感じるコトだろうけど、
網の外でも気にしない性格だから、そっちにいるのが多い。

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2009.07.27

自称逸般塵の不通の日記(105) 変化のベクトルは変わらない

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高校時代の後輩の結婚式に行ってきた。
集まった中には十数年振りに会うヤツもいて、
いろいろと懐かしい。

たいてい皆、高校卒業後に変わっていったが、
卒業後に何度か会ってるような連中では、各人の
方向性がおおむね維持されているのが分かる。

こうして見ていると、ヒトの性格付けというのは
成人するまでの間に基礎が作られるものらしい、
という気がしてくる。

たとえば太るヤツは太るし痩せるヤツは痩せるし、
笑わせるヤツと笑わされるヤツの関係は変わらず、
長老は長老のまま、という具合。

ついでに、別の後輩から、昔のノートを受け取った。
高校時代から、日常の中で思ったコトなどを書き続け、
それを後輩たちに読んでもらっていたのだ。

返ってきたのは、大学の頃のノートだった。
今ここで書いてるブログと大差ないような、
ペシミスティックな内容。

基本的な考え方は大きく変わっていないようだが、
この頃は今よりもっと、荒んでいたような印象。
丸くなっていく方向性にあるのかもしれない。

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2009.07.26

自称逸般塵の不通の日記(104) 抜け殻を置いて飛び立つ

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一夜明ければ、妙なほど爽やかに晴れ渡った朝。

低湿度は同じだが台風一過の快晴とは違う、雲。

いつの間にかミンミンゼミが鳴き始めている。

眠ー々々々ー……眠々々々々々々々ー々ー……

10日ばかり用事が続いてバタバタしていたから、眠い。

例によって生活費も乏しく、なかなか気力も出ない。

だけど、晴れてるウチに洗濯して干しておこう。

今日も夕方に用事がある。出るまでには乾くかな。

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2009.07.25

自称逸般塵の不通の日記(103) 窓から吹き込む戻り梅雨

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雨が降ったり止んだりしている。
蜻蛉が無数に飛んでいた。

濡れた網戸を通って入ってくる風は
湿気たっぷりだけど、涼しい。

洗濯物は乾かないし仕事は進まないし
カネもないが、これはこれで。

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2009.07.24

自称逸般塵の不通の日記(103) 「考えるんじゃない、働くんだ」

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先日、外人イトコの一人が友達連れで西日本方面を旅行していて、
成田から帰国するので空港まで見送りに来いと、誘われた。

少し出遅れてしまったので特急料金で時間を買う。
前の席には出張サラリーマンらしき背広の男。

週刊誌出版元が片手間に作ってるような
安物の国産ペーパーバックを読み耽る。

チラと見えた中身は、考える欲求をそそるようなモノではなかった。
(実は彼にとってみれば思考欲求をくすぐる対象かもしれんけど)

そういえばサラリーマンの仕事というのは、
考えるコトとは限らなかったんだっけね。

少なくとも高度経済成長時代の日本社会というものは、
余計なコトを考えず遮二無に働く労働者を求めてた。

世論(≠輿論)調査では“大連立”を望む声も多いという。
よほど大樹の陰に寄って思考コストを節約したいのか。

相反する意見があっても双方を包括して丸め込み、
どちらも倒れぬようにしよう、ってのが玉虫色。

でも大樹の陰から出て玉虫を彩らなくなった連中が、
時代が下るにつれ少しずつ、世の中に増えてきた。

いったん大樹から抜け出したら戻るのは容易じゃない。
だから幹には空洞ができ、朽ちかけているのが実態。

そんな老木をなおも使い続けていこうとするには、
周辺の小さな木が支えてやらにゃ、いかんだろ。

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2009.07.23

自称逸般塵の不通の日記(102) そして日は隠れた

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> 「雨の公園に集まってワンセグで中継の日食を見る会」
> ※晴れたら結構だが雨天でも決行
> 集合時間:9:30目標
> 実施日時:2009年7月21日10:00~13:00頃
>
> 持参品
> 雨傘、ビニルシート、カメラ、飲料、食料、遊び道具など適宜

前夜、天気予報はバラバラ。
東京では朝に雨、昼頃は曇り、午後に晴れるというのが大半だが、
中には昼頃に晴れるとしたり、昼まで雨という予報も見受けられた。

結局、都内では昼過ぎに晴れ間が見えただけ。
ほとんど曇り空の下で、公園の散歩をしてきたのであった。

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2009.07.22

たまには時事ネタ(52) 日蝕の前日の解散

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連中は、もしかしたら自ら道化を演じるコトで、
その身を以て制度上の問題点を示そうとしているのか、
などと勘繰りそうになってしまったが、
表立って語られない以上、推測でしかない。
実際には、そこまで深く考えていないだろうけど。

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今の瞬間も、次の瞬間には過去の歴史になっている。
今の政局も、過去のものとなって歴史の一部となる。

そこに関与している意識が、国民にどれだけあるだろう。
意識していようがいまいが、自分たちが作っているのに。

民主主義ってのは、そういうふうに歴史を認識した有権者が
各自で考えた上で、政治を動かしていくものだと思っている。

世論の潮流に乗ってみたり、
所属組織・団体の意思に盲従したり、
自身や家族の目先の生活にのみ囚われていては、
きっと衆愚政治に堕してしまうから。

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2009.07.21

仲間の顔触れ

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アルバム作りに凝っている散歩仲間は、
ついでに「顔」ハンター仲間でもある。

今度、その獲物というか成果物を、
一緒に展示してみようと誘われた。

最近は、小さな展示スペースを借りるだけなら
大した予算も必要なくて、こういうときに便利。

デジカメにも顔認識機能が搭載されるようになってきたが、
まだまだヒトの方が認識能力は高度で、かつ誤認識も多い。

そういうトコロがあるもんだから
フェイスハンティングはヒト次第。

違う人物が探してみるなら、
きっと違う顔が見つかろう。

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2009.07.20

自称逸般塵の不通の日記(101) 昔のカメラで見つめている

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散歩仲間のアルバム作り企画に参加して銀塩一眼レフを持ち出した。
このところ、いわゆるAPS-Cサイズのデジカメばかり使ってきたが、
今回は135判フルサイズの画角を再認識させられる結果となった。

50mmならファインダー視野が等倍に近く両眼視フレーミングが容易。
そして28mmは、かなりの広角だったのだ。
デジカメで普段使いにしているときは、ほとんど標準レンズだけども。

そうそう、フィルムをセットする際には巻き上げミスをしないよう、
気をつけてやらないとな。
巻き上げてみて、巻き戻しクランクが一緒に動けば、コイツはOK。

撮影済みのフィルムは、企画首謀者に預けた。
一緒に散歩した全員の写真を、一冊のアルバムに仕立てたいという。
仕上がりを待つトコロも含めて、銀塩写真の楽しみ方。

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2009.07.19

所持品紹介番外 非所持品のハナシ

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・携帯型音楽プレーヤー
特に専用の機器を使っていない。移動中に音楽を聴く場合、
仕事にも使っていて持ち歩く機会の多いICレコーダーか、
あるいは携帯電話の音楽再生機能を使っている。

・携帯型ゲーム機
最近やったゲームというと、
Windows Mobile端末のソリティアくらいかな。

・ストーブなど暖房器具
寒さには強いので炬燵と電気アンカしか使ってない。
そもそも燃焼系暖房器具利用禁止のアパートだし。

・扇風機
毎年、買おうとは思ってるが、買いそびれたりする。
しかし今年はエアコンが不調なので、買うべきかも。

・車輪つきの移動手段
あれば便利だとは思っているのだけれども、
稼ぎが少ないのでエンジンつきの乗り物を維持できない。
そもそも都会暮らしゆえ駐車場代などが高いし、
公共交通機関だけでも生活が成り立つ。
自転車は10年あまりも前に盗まれて以来、買ってない。
だから足腰が乗り物ってコトになる。

・カネ
あれば生活が楽になるのになあ。

・権力
たぶん一生持つコトはなさそうだ。

・ある種の諦めだとか、割り切りといった考え方
もし持っていたら、どんな人生になったか、
今となっては想像するコトさえできないけど。

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2009.07.18

粗食動物系中年男子的思考

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夏に向けて身体が動物性の蛋白質と脂質を欲しているので、
魚肉ソーセージでも買ってきて、おかずにしようと思って、
ふと考えた。とりとめもなく。

魚肉ソーセージに限らず練り物の材料として多い「タラ」。
その肝臓から得られた肝油は、ちょと昔風のサプリメント。
肝油ドロップ、懐かしい(まだあるけど)。

アレは栄養補助ではあるけれど、食べやすいようにと甘く
味付けられているので、ついうっかり過剰摂取しかねない。
タラレバ思考パターンには副作用もあるもんだからね。

それはともかく。

タラという珍しくない魚ひとつとってみても、その身や皮、
肝臓、卵巣あるいは精巣に至るまで、ほぼ全身しっかりと
食い尽くそうとするのが、ヒトなのだなあ。

そんなハナシも、どこかで読んだだけではピンと来なくて、
スーパーの食品売り場で現物を見つつ考えてからようやく
実感するなど、相変わらず賢くない。

食って排泄するにしても、知を仕入れて思考するにしても、
やはり目の前のブツを噛み締めるのが一番なのだとは思う。
好き嫌いは、減りました。

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2009.07.17

itとIランド

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毎年、気付けば耐暑訓練になっているようなイベントが生じている。

たいていは暑くなってきた頃に遠出して汗をかきまくって慣れた、
という程度なのだけど、今年は出掛けるまでもなく自宅で実施中。

不調のエアコンを放置したまま、どれだけ耐えられるかの試験だ。
どうせ二人称のいない家。暑くて困るのは本人とパソコンくらい。

慣れてくれば「猛暑日」に家の中でも死なずにいられると分かる。
もちろん水分や栄養分の適度な補給や通風の工夫は不可欠だけど。

にしても、昔の実家のように田圃の中の集落の日本家屋であれば、
猛暑日だって戸を開け放って快適に過ごせたと思うのだけれども、

このアパートは、変則的な間取りのせいか、風の抜けが良くない。
エアコン利用を前提とした現代の住居は耐暑にも限度がありそう。

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2009.07.16

夏の初めの猛暑

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午前3時頃になってようやく部屋の熱気が抜けて
寝られるようになってくる。

関東甲信越地方には梅雨明け宣言が出たというから、
いよいよ夏、本番か。

今年の夏は仕事も少なそうで金銭的にも厳しくて、
せいぜい気持ちの上では備えておこうとは思う。

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2009.07.15

自称逸般塵の不通の日記(100) これはこれで面白い画になったんだけどね

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破れていた網戸を張り替えた。
思っていた以上に面倒な作業。

なにしろ場所を確保するのが大変だった。
荷物が多すぎるのがいけないのだけれど。

押さえのゴムを押し込むのも不慣れな動作。
腕の力を使って汗にまみれて翌日は筋肉痛。

ともあれ悪戦苦闘の末、どうにか一応完了。
ところどころ歪んでいるのは次回への課題。

仰向けに寝ころんで見上げた空に
波打った網が描く模様を眺める機会は、
またしばらく先のコトになろう。

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2009.07.14

理系用語で読み解く社会(53) 社会ダイナモ

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住宅街で、誰かが我慢できなくなって冷房を入れると、
その排熱で近所が暑くなって我慢できなくなって連鎖。
おかげで路上を歩けば熱気で茹だってしまうワケだが。

「冷房の温度設定を上げる」といった取り組みは社会
全体の省エネ効果はあるけれど、冷房連鎖サイクルに
歯止めをかけるような効果は、ほとんど期待できない。

もちろん例外もある。エアコンが故障しているだとか、
冷房どころではないくらいに金銭的に困窮してるとか、
あるいは宗教上の理由で使えない、といったものまで。

そんな若干の例外はあっても、社会の磁場は反転する。
磁極が入れ替わる途中には磁界が乱れた状態となって、
全体としての磁力も一時的に弱く見えたりするコトも。

しかしそれにしても暑い日が続いているので、
いいかげんエアコン修理を頼まねばなるまい。
でないと今年の夏を乗り切るのが大変そうだ。

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2009.07.13

勝手に求めよ、然れど与えられぬ

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このブログに検索結果から来る人は非常に少ない。
それもそのはず。半ば意図的に逆SEOを行っている。

といっても大したコトではなく主に固有名詞を避けるのみ。
特定個人や団体、国家など固有名を挙げずとも伝わる。

また、故事成句や俚諺なども崩して使うコトが多い。
「○○の意味」で検索されても役に立たぬ内容だし。

地名や駅名列車名、HTTPステータスコードなど、あえて
明記している一部の名称に限っては、いつも人が来るけど、
やはり検索してきた人が求めていた情報ではあるまい。

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2009.07.12

みちを知る人?

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それにしても不思議でならないのだが、
しばしば出先で通りすがりに道を尋ねられる。
しかも普段あまり行かぬトコロで、顕著に。

どう見ても話し掛けやすそうな外見でないはず。
むしろコワモテというか怪しい雰囲気だと思う。
でも何故か、妙なくらい頻繁に、ある。

ひょっとしたら「この人なら知っていそう」と
思われるような様子があるのかもしれない。
だとすれば、まあ喜んでいいのだろうけど。

たしかに目的地があれば事前に確認しているし、
逆に気まぐれ旅ならば未知を楽しんでいる。
迷ったと感じるコトは、あまりないワケだ。

歩いているときなども、さほどキョロキョロする
コトはないけれど、周囲の状況には気を配っている。
「あと何歩で良さげな構図になる」とか考えつつ。

ノーファインダー撮影でも、それなりには
狙った構図が得られているから、要するに
周辺の様子を立体的に思い描いているのだろう。

そういう歩き方は、自宅の近所でも変わらない。
音や匂いや、肌に触れる空気の感触なども含め
視野外の様子も想像しつつ、歩いている。

そも日常が非日常だったりするせいもあろうか。
滅多に行かぬような地を歩き回っていたって、
日常の延長線上として把握しているのだろう。

鉄道は、たいてい終着駅がある。
人生の延長線上には、死がある。
いずれ到着するという意味では、大差ない。

そういえば、人の道を尋ねられるコトも、あるなあ。

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2009.07.11

たまに郊外に出ると烏が少ないコトに気付く

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暑さを堪えつつ昼寝をしていたら下手な烏の鳴き真似をする子供の声。
「ギャー」とか「ガー」とか「アホー」とか。下校中の小学生らしい。
上手に鳴き真似をしてやると烏も驚くのか、暫く鳴き止むのが面白い。

あれほどの数の烏を養っている都市。
それを飼っているのは人間の社会。

最近では都内各所でウグイス嬢(?)の声も目立つ。
たいていヒトもみな社会に飼育されているものだ。

投票所は隣の中学校だけど票を託す相手に困る。
飼育されるのは楽だけど楽しくないのが都会。

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2009.07.10

ひねくれてるけど曲がってない、というのがいいな

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ヒトが信頼に足る存在でないというコトについては嫌というくらい
思い知らされてきたが、きっと今後も思い知らされ続けるのだろう。

そもそも自分自身が怠け者で嘘吐きで適当で逃げ腰で云々。
だけどそれはそんなに嫌いじゃないから、放っといてる。

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仕事があれば追われて、なければ読書や散歩や昼寝で過ごす日々。
ずっと「夏休み最後の日」が続いてる、といったトコロか。

いつだって「人生最後の日」であっても構わぬように、
そんな心構えで生きているつもりではあるけれど。

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2009.07.09

行って、見て、歩く。……ただし、たいてい一人で。

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幾つかの収穫物を手帳に挟みつつ歩いた。
紙の手帳てのは全くに個人用の道具であって
他人との情報共有など慮外なワケだけれども
葉などを挟み込むには便利なものである。

他人を押しのけて勝利を得るどころか、
自分に勝つなんてのも、どうも好かぬ。
ていうか、よく自分自身に負けてるが。

そのせいか仕事も、生活も、散歩も、一人が多い。
まあしかし考え事も一人だし、死ぬときも一人さ。

紙で情報共有不可能かといえば、そうとも限らぬ。
ちぎって渡せばいいじゃないか。簡単なハナシだ。

そして、もし一人旅で何か得たものがあれば、
手紙にして出せばいい。押し葉でも添えてね。

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2009.07.08

自分は多分そういう気分になる今時分

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過去の写真を見返していて気付いたコトがある。

昨年も全く同日に、同じ方面へ散歩に出ていた。
写真を見返せば、天候も似たような状況だった。

気になったので一昨年についても調べてみたら、
3日違いで、ちょっとだけ別の方面へ出ていた。

この時期になると深山幽谷を求める性質らしい。

それこそ二十四節気でいう小暑の時季となれば、
偶然ではないような気がしてくるあたり不思議。

谷間の靄り具合は、昨年のが一番良かったかな。

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2009.07.07

自称逸般塵の不通の日記(99) 晴れても雨でも雲っても散歩をすれば気が晴れる

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しばらく遠出していなかったので、梅雨時の午後、出掛けた。
前夜の予報は当日も翌日も雨/曇だったので、雲に霞む山襞でも
楽しもうじゃないかとばかり、特に行き先を決めず“山の方へ”。
快速から普通列車へと乗り継いで幾つか先の、川が見える駅で下車。

駅は崖の下、対岸もまた切り立った崖。狭い谷間に集落と川。
向こうの山々を川面のあたりから見上げてみようと思った。
近所の人たちだろうか、川の中や岸辺には釣り人たち。

谷間に見える合流部から下の川幅はずいぶん広くて、
完備された護岸の上には遊歩道や公園などもある。

少し富栄養化している感はあるが生命の匂い。

蒸し暑さの中、駅から狙っていた撮影ポイントに辿り着く頃には、
相当な汗をかいていた。そして、額に感じる陽射しの暑さ。

……陽射し?

西に傾いた太陽が、気付けば雲間から顔を覗かせていた。
狙っていた山襞の靄は、すっかり薄れてしまっている。

やれやれだ。

まあしかし、思い通りに行かないからこそ楽しめるというもの。
傘は単なる荷物となってしまったが、数㌔歩いて身体もほぐれた。

さて、帰るか。

明日は洗濯日和になりそうだ。

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2009.07.06

自称逸般塵の不通の日記(98) (笑顔が)出ない、或るサービス

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一瞬たりとも仏頂面を崩すことなく窓口に立つ区役所の職員とか、メールを書き終えて「送信」ボタンを押したら「時間切れ、再ログインしろ」と表示して送信文などなかったかのように振る舞うWebメーラーの挙動などに直面すると、某牛丼屋チェーンの漢字一文字のバイト店員などは、きちんと挨拶するし愛想は悪くないしレスポンスも良く、その対応にむしろ救われた気がして、とても高品質な接客対応なのではないかと実感した日。

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2009.07.05

自称逸般塵の不通の日記(97) 何もしない日々

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木曜日、前夜セットしておいた洗濯機の完了ビープ音で目覚める。

雨。

部屋の中の窓際に洗濯物を干して、その下で昼寝。
空気が冷えて昼過ぎに目覚める。まだ乾かない。
近所の牛丼屋まで食事に出た以外、自宅でのんびり。
昨秋頃に月違いで創刊した分厚い隔月刊漫画雑誌2誌を1号から読む。

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金曜日、前後の話を行き来しつつ、ようやく読み終えた昼下がり。

曇。

ここ数日、どうやら動物性蛋白質が不足気味だったらしい。
“たまごごごはん”とベーコンエッグの組み合わせが多い。
陽射しが出て暑くなる。食器を洗ってシャワーを浴びる。
適当に出歩こうかと思っていたが眠気に負けて起きたら夜。
だいぶ仕事疲れが抜けてアタマが活性化してきたので今夜は活字。

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2009.07.04

自称逸般塵の不通の日記(96) 独り暮らしの一人語り

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ほぼ2週間ばかり仕事に追われていた。

仕事か買い出し、あるいは友達が食事に誘ってくれるなどの
予定がなければ外に出られないくらい、用事が詰まっていた。

一連の作業の山を片付けた直後。

先月分の請求書を出すため取引先へ向かう直前、入れ違いで
新しい仕事の依頼が入ってきた。2週間ほど先のハナシだが。

先のコトを考えるのが億劫になる瞬間。

ついでに住民税の延納を願い出るため区役所へ立ち寄った。
担当職員は相変わらず仏頂面だが、気にするのさえ面倒だ。

気を遣うにはアタマが働いてないとね。

帰りがけ、あまりの蒸し暑さに負けて久し振りにバーへ寄る。
たまには良かろう。マスターの得意のモヒートを、一杯だけ。

今日明日くらい、休むのだ。

お気に入りの作家の漫画を、駅前の本屋で買ってきてある。
多忙と貧乏のおかげで買いそびれてたうちの一部だけだが。

深夜の雨音が耳に心地良い。

漫画を読み終えたら、久々にシャワーでなく湯船に漬かって
同じく久し振りに布団の上で寝よう。あ、そういえば洗濯物。

明日の予報は曇り、ときどき雨。

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2009.07.03

理系用語で読み解く社会(52) ゆえに重要な、ミクロとマクロの結合シミュレーション

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ヒトカタマリで把握していては、ヒト個体を見誤ってしまう危険が高い。

ヒトの寸法より少し大きな枠、だいたいメソスケールくらいでの理解は
ヒトにとって容易だけど、特定のスケールに頼って判断するのはリスキーだ。
誤解や判断ミスの原因になりかねない。
他のスケールでなければ見えない要素を、見落としてしまうから。

このブログでは、棚の下に自己や属する集団も置いてしまって、
「ヒトのやるコトだから」と一蹴してやってみたりする場面も多いけど、
それはある種の自己愛の一環だと思っている。

簡単に言えば、「同じヒトだけど違う人間だから一緒にしないでね」
という具合に思ってるのでありまして。

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2009.07.02

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(32) 胸の肉1ポンド、ただし血は流さず骨抜き“ツユだく”で

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あるとき、取引先の社員に、こう言ったんだ。
といっても相手は責任が重い割には大した権限も与えられていない立場で、
つまるトコロ単に仕事仲間への愚痴みたいなつもりだったんだけれども。

「最近は全然ダメだね、仕事。
社員が辛いときには、もう外注先は死にかけてる。
まあ、そう言われても、どうしようもないと思うけど」

カネのある連中が圧力をかけるのは当然という風潮を強く感じる。
自己利益に部分最適した考え方ではあるだろうけれども、
それが果たしてヒト全体最適されているのかどうか。

圧力というのは大きな影響をもたらすがゆえに
それを利用する側には高度な配慮が必要。
ていうかみんなガマンが足りてない。

ストックホルダーだけがステークホルダーではない。
だから株式会社という組織は、ストック以外のステークを
持った連中にも、利を提供できなければならぬはず。

だいたい、肉体のステーキを差し出している社員などが
カネやストックより軽い扱いにされてるのも妙ではないか。
資本主義などそんなものだと言われようと、納得したくはない。

もともと別の価値基準であるステーキとストックの利害を
上手に調整して、バランス良く配分するのがボードの仕事だ。
帳簿の尻合わせだけが上手なだけでは、経営者とは呼べぬ。

一部を保護するコトは他を差別するトコロに繋がる。
「会社の利益を守れ」となれば利益以外あまり守る気が
なさそうに思えてしまうワケで。

ただでさえ緊張状態にある昨今の情勢では特に、
何処かを優遇しようとすれば別の何処かに
必ずや皺寄せが生じてしまうだろう。

これが会社でなかったら、どうなるんだろうと思ってみた。

たとえば「国民の生活を守れ」みたいな掛け声などは、
「非国民の生活は守りません」と受け取るコトもできそうだし、
「国民の文化は守らないかも」でも、然したる矛盾はあるまい。

無思慮で安易な単純規制は、精神性を阻害する要因となる危険も高い。
単なる人気取りで無思慮に振り翳されるのは迷惑千万。
困るのは、少し将来の日本人なのだぞと。

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しばしばビジネス書などでは
経営者の戦略やリーダーシップといった資質を
戦国武将や旧軍将校などに求めたりするけれど、
それを読む者の多くが実際には
維新の動乱に翻弄される大名のようなもの
だったりするんじゃないのかな、
とか思ってみたりした。

とはいえ、滅ぼされた側の大名になるかどうかは、
実際そうなってみないと分からないのだろうし、
そもそも雑兵どころか何処でも雇ってもらえそうにない浪人ごときに
こんなコトを言われたくはないだろうけど。

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2009.07.01

考え方を考え直すトコロから始めないといけないのかもしれない

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「何かしなければいけない状況」に直面したときに、
具体的な「やるべきコト」が常にあるとは限らない。
だのに、それがあるものと思って探してしまいがち。

これは決して「ゆとり世代」に限った問題じゃない。
少なくとも日本における近現代の教育体系の中では、
そういった錯覚に陥らぬよう回避する意識が希薄だ。

実際には、あるかもしれないし、ないかもしれない。
もしあったとしても見付けられないかもしれないし、
見付けたとしてもそのことに気付かず見過ごすかも。

だもんだから確実に得ようとする気持ちが強いなら、
むしろ試みるコトをも諦めるのが精神的に低コスト。
たぶんそれが気楽に生きる上で賢い選択なのだろう。

だけど探す試みをしなければ見つからないのは確実。
その気になったなら、やってもいいんじゃないかな。
徒労に終わる可能性も認識しつつ、ではあるけれど。

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