« 自称逸般塵の不通の日記(108.5) 見えぬモノを存在させる苦労 | トップページ | たまには時事ネタ(54) 避難するは我にあり »

2009.08.26

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(33) そうさ、した通りに動くもの

20090826_dscf4458_1ts


もう一機、やはり遠方より飛来してきた珍しい機体があった。

この有名な米国の偵察機は高々度性能を追求しすぎたせいか、
最高速度と失速限界が近すぎて、操縦が非常に難しいと聞く。
安全性を削ってでも高度を追求すれば、人を選ぶコトになる。

経済界なんかも似たようなトコロがあって、業績を追求する
のはマージンを削って高いリスクに挑戦するような行為でも
あったりするもんだから、やはりトップの人を選ぶワケだな。

行政でも、やはり同様の傾向があるようだ。
先日読んだ本の中に、こんな一文があった。

--
不況を理由に無思慮な改革が続けられて以来、あまりにも短期的な業績やテクノロジー開発を政策として求められた大学は、動物学も獣医学も分子生物学も、飼育や死の現場を遠ざけ、即時に業績を示し、次の予算を回転させることのできる短期的あるいは実利的プロジェクトに専念せざるを得なくなってしまったのだ。
(遠藤秀紀「人体 失敗の進化史」光文社新書)

--
そのシステムの中身が機械だろうとヒト集団だろうと同様に、
システムの上に立つ人間というのは、ブレーキとアクセルと
ハンドルを持つのが仕事だ。ただ、システムは千差万別だが。

そのシステムを身体で覚えるくらいに知り尽くしてなければ
ほとんど能力を発揮しないようなものもある一方で、「誰が
やっても同じコト」というくらいなシステムもあったりする。

ヒトがシステムを新しく作り上げたり、機能強化したりする
過程では、往々にして、操縦が厳しくなりがちな傾向がある。
ときたま逆に自動化が進んで、扱いが楽になったりするけど。

「思った通りに動くシステム」を、ヒトは未だ作れずにいる。
今できるのは、ただ「命令した通りに動くシステム」だけだ。
命令が間違えていれば、間違った通りに動いてくれるワケで。

|

« 自称逸般塵の不通の日記(108.5) 見えぬモノを存在させる苦労 | トップページ | たまには時事ネタ(54) 避難するは我にあり »