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2009年8月

2009.08.31

毎日が夏休み最後の日、みたいな生活の中で思う

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いつもワガママで怠け者なのだけど、
あまりの稼ぎの低さには焦ってしまう。

もともと大した能力も持たぬくせに、
環境のせいで実力を発揮できないと思ってる。

人並みに痛み苦しみも感じるけれど、
治ってしまえばケロッと忘れて教訓も得ない。

そんな間抜けで懲りない人間そのものを、
最も身近に実感するコトができる、

自分自身という観察対象には意外性が多く、
きっと死ぬまで飽きない自由研究。

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2009.08.30

自称逸般塵の不通の日記(110) 悪いコトは、えてして重なる法則

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カメラの電源をONにしても、入らない。
電池が消耗した可能性も考えて、
充電済みの新しい電池を入れてみたが、
やはり電源は入らない。

強制リセットのためにスイッチONのまま
電池を抜いて入れ直してみるが、駄目だ。
と、妙な匂いがする。
電池ケースのあたりから漂っている。

いや、電池収納部の奥からだ。
今までなかった、電気部品の独特の匂い。
故障っぽい。それも、電源周りの部品が
死んだでしまったかのような感触。

さすがに、ユーザーの手には負えない。
メーカー修理に出して、基板交換か。
かなりの出費が予想される。

モノは、いずれ壊れると分かってはいるが、
弱り目に祟り目。今回は、いささか辛い。
今の困窮生活の中で、どうやって修理代を
捻出していくか、頭の痛い問題だ。

とはいえ貧すれば鈍する。
今は知恵も回らぬ状態だ。
当然、名案が浮かぶはずもなく。
やれやれ。

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2009.08.29

教育が先か社会が先か

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謙遜する人物を尊ぶ社会は
「自発的に学ぶ・教わる」コトを重視し、

逆に「教える・学ばせる」コトを重視する社会は
自慢する人物が偉くなるような、

そんな気がして。

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2009.08.28

自称逸般塵の不通の日記(109) 見よう、見て真似よう

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電車の中、扇子を広げようとしている赤ん坊がいた。
乳母車に座して足を投げ出しているのは別にいいが、
扇子を、蛇腹のように開こうとしていて、悪戦苦闘。

ところが、その子を連れている祖母と思しき女性は
使い方を見せたかったか扇子を取り上げようとして、
嫌がる赤ん坊を、見事に大泣きさせる結果となった。

隣の席が空いたので座ってみれば、乳母車の目の前。
知らぬフリを決め込みつつ、赤子から見える位置で、
自分の扇子を両手でゆっくりと開いて、扇いでみた。

待つこと数分。

扇子を使えるようになった孫が祖父母に褒められていた。

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役に立つか苦言かどうかは受け手次第(34) 好奇心は身を助く

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その意味では、システムの中身に対して
興味を持つコトこそ、大切なのだと思う。

というのもヒトが世界に生きている限り
システムは常に作られていくものだから。

あるいは、既存のシステムであろうとも、
頻繁に改修が施されたりしているワケで。

いったん調べたり学んだりして終わりと
考えてしまったら、それについて行けぬ。

そも生きてるコト自体が、大きなリスク。
その回避策の一つとして、好奇心はある。

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2009.08.27

たまには時事ネタ(54) 避難するは我にあり

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だが「お客様は神様」の論理に従えば、
今の世の中、システムの上に立つのは、
不特定多数の一般市民、だったりする。
EEW誤報の件でも、そんな印象を受けた。

専用回線で速報を受けて運転停止等の
措置を講じる必要のある社会インフラ
はともかく、家庭などで対応する際の
基本動作は徹底されていない気がする。

TVニュースで取り上げられる市民の声
なんかでも、アレを聞いて避難すべき
ものと考えている人たちが少なからず
存在しているように思われたのである。

提供する情報の精度について気象庁が
さらなる向上を図る必要は、もちろん
あるのは当然だけれども、システムの
内容の周知もまた、図らねばなるまい。

同時に、システムを利用するつもりで
いる人々も、情報の性質を踏まえつつ、
またシステムのトラブルなどが生じる
可能性も理解して、聞くべきであろう。

--
あの朝は睡眠中だったが、ケータイが耳慣れぬ音を
発したので目覚め、EEWの発報を知ったのだった。

ざっと内容を見れば、震源は遠くない。
起き上がって身構える時間はなさそうだ。

だが布団周辺に倒れたり落ちたりして負傷させるような
物品は置いてないから、気構えだけで待ち構えた。

(もし、このとき本の山の脇にでもいたら、
そこから離れるくらいは、したと思うが)

そして数分、一向に揺れが感じられないので、
誤報か過大な判定だったと考え、再び眠った。

ヒトは、ときにミスもしでかす。
システムを作るのは、そんなヒトだ。
ゆえにシステムも、想定外の
挙動をするコトがあるワケで。

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2009.08.26

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(33) そうさ、した通りに動くもの

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もう一機、やはり遠方より飛来してきた珍しい機体があった。

この有名な米国の偵察機は高々度性能を追求しすぎたせいか、
最高速度と失速限界が近すぎて、操縦が非常に難しいと聞く。
安全性を削ってでも高度を追求すれば、人を選ぶコトになる。

経済界なんかも似たようなトコロがあって、業績を追求する
のはマージンを削って高いリスクに挑戦するような行為でも
あったりするもんだから、やはりトップの人を選ぶワケだな。

行政でも、やはり同様の傾向があるようだ。
先日読んだ本の中に、こんな一文があった。

--
不況を理由に無思慮な改革が続けられて以来、あまりにも短期的な業績やテクノロジー開発を政策として求められた大学は、動物学も獣医学も分子生物学も、飼育や死の現場を遠ざけ、即時に業績を示し、次の予算を回転させることのできる短期的あるいは実利的プロジェクトに専念せざるを得なくなってしまったのだ。
(遠藤秀紀「人体 失敗の進化史」光文社新書)

--
そのシステムの中身が機械だろうとヒト集団だろうと同様に、
システムの上に立つ人間というのは、ブレーキとアクセルと
ハンドルを持つのが仕事だ。ただ、システムは千差万別だが。

そのシステムを身体で覚えるくらいに知り尽くしてなければ
ほとんど能力を発揮しないようなものもある一方で、「誰が
やっても同じコト」というくらいなシステムもあったりする。

ヒトがシステムを新しく作り上げたり、機能強化したりする
過程では、往々にして、操縦が厳しくなりがちな傾向がある。
ときたま逆に自動化が進んで、扱いが楽になったりするけど。

「思った通りに動くシステム」を、ヒトは未だ作れずにいる。
今できるのは、ただ「命令した通りに動くシステム」だけだ。
命令が間違えていれば、間違った通りに動いてくれるワケで。

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2009.08.25

自称逸般塵の不通の日記(108.5) 見えぬモノを存在させる苦労

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その日の地上展示の列にはステルス戦闘機まで並んでいた。
まさか本州で目にする機会があるとは思ってもみなかった。
カメラ仲間情報によればAWACSと給油機を伴っていたとか。
今回の運用に要した工夫を、ざっと推測してみるとしよう。

なにせ過密な日本の空。民間機がステルスに気付かず
ニアミスしてしまわないようAWACSからの管制を受け、
さらにひょっとすると一般的な航路から距離を置き、
少し遠回りして、主に太平洋上を来たのではないかな。

また、沖縄からは長距離飛行となるが、増槽を装備するには
まずパイロンを装着しなければならず工数と時間がかかる。
横田派遣前後の行動の都合などもあって、今回は空中給油で
航続距離を稼ぐようにした、という可能性も考えられそうだ。

まだ当分は、この機種は他の追随を許さぬ圧倒的な性能を、
存分に見せつけてくれるに違いないが、同時に、他にない
性質を持つだけに、既存の航空機とは違った運用スタイルを
工夫して作り上げていかねばならない、というワケだな。

--
このステルス戦闘機は、防衛省が熱望していた機種でもある。
だが、日の丸を付けて飛ぶ可能性は、ほぼ失せたとみられる。

存在そのものが意味を持っている、というのが日本の自衛隊。
おそらく異論もあるかと思うが軍としての実態はそんなもん。

先進国の軍として、充分な装備と体制を整えた組織であるが、
「専守防衛」。その能力を発揮せぬコトこそが役立っている。

あまり強くしすぎても財政や外交などに不利があるだろうが、
見せ掛けだけで実戦に弱い、と侮られるようでもマイナスだ。

だからこそ、見せつけられるような装備を、欲するのだろう。
見えないモノを持って、見せつけてやりたい、そんな気持ち。

とはいえ手に入りそうにないモノを願い続けるのも間抜けだ。

耐用年数の尽きようとする旧機種を代替して、相応の機数も
揃えねばならず、待ってられない。しかし国の財政も厳しい。

こういう苦しい時期には、目先に囚われず、むしろ将来への
投資を優先するのが望ましいんじゃないかと、個人的に思う。

未来ってのは、誰の目にも見えぬモノではあるんだけれども、
知恵や努力で、それなりのカタチにできたりもするんだから。

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2009.08.24

自称逸般塵の不通の日記(108) 夏の終わりの祭り

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カメラ仲間の誘いで米軍横田基地祭に行ってきた。

基地の最寄り駅など、普段は閑散としたものだが、
この日ばかりはホームから人が溢れるほどの混雑。
昨年とは違って好天に恵まれ……ていうか、暑い。

「横田基地まで徒歩約10分」と、駅員のアナウンス。
それを聞いた男が「タクシー乗ろうか」などと言い、
連れの女に叱られるなども、夏のイベントならでは。

タクシーで乗り付けられるような状況ではない。
基地ゲートはもちろん近くの道路まで人の列だ。
そして中に入れば露店ごとに行列が並んでいる。

在日米軍基地の中では地味な方だと思うのだけど、
それでも、基地祭というのは酷く混雑するものだ。
ま、たまにはこんなイベントに乗るのも悪くない。

残暑たけなわ炎天下のコンクリ舗装の上、
人混みの中を一日中歩き回って夕方まで。
たまには、こんな疲労感も悪くはないな。

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2009.08.23

蝉は煽てずとも木に登る

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大樹の陰に寄らば落雷にやられる危険が高くなったりする。
どこにいようと完璧な安全・安心なんてないのさ。
そんな考えがあるから、群れて行動するのは苦手なんだ。

もちろん、群れを作りたい人たちは好きなだけ群れていいと思う。
ただ、周囲に害が及ばない範囲で願いたいな。
こちらは木陰に入らないもんだから、日照りや土砂降りには弱くてね。

とはいえ、大樹の陰を好まずブラブラしてるってのもまた、
ただ単に自分勝手でやってるだけのコトだから、
社会が配慮しろなんて、ワガママすぎて言えないのだけれど。

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2009.08.22

理系用語で読み解く社会(55) 抜き差しならぬハナシ

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接続というのは相手があって成り立つものだ。
繋ぐ相手もない端子などは、ただ邪魔なだけ。

たとえば言葉だとか、武器なんかも、
基本的に相手があってこそ役に立つ。

現実の相手を想定するコトのないまま
それらを調えたならば、むしろ厄介者。

脳内でテキを作ったならば
脳内のブキで戦えばいい。

プラグが折れてしまえば接続はできないし、
プラグの形状や大きさが異なっても同様。

相手に応じた性質・規模のブキを用意し、
適切な使い方をしなければ無駄に終わる。

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基本的に生物というのは柔軟性があって、
外界の変化に際して対応して生残しようとしている。
ヒトの場合、多少のエラーが含まれている情報でも
受容していける能力は、持ち合わせている。

接続テストを通じて互換性を高めるような、
そんな訓練の機会があれば、いいのだろうか。

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2009.08.21

たまには時事ネタ(53) 急募!! 政治家および政党、下記条件にて。

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・他者攻撃に終始しないこと
・過去の栄光に縋らないこと

・安定した地盤に頼らないこと
・一時の追い風に乗じないこと

・不利な状況でも投げ出したり
 開き直ったり諦めたりしないこと
・有利な状況でも手を抜いたり
 余分な欲目を出したりしないこと

・安直な厳罰主義に堕さぬこと
・自らを厳しく律せられること

・批判的意見にも耳を傾けること
・大勢というだけで迎合せぬこと

・意見の異なる相手に対しても
 建設的な内容を提案できること
・似た意見を持つ相手に対して
 妙に同族的な意識を持たぬこと

・明確な将来像を描けること
・楽観した妄想を抱かぬこと

・利点のみを強調して宣伝しないこと
・欠点にも謙虚な姿勢で取り組むこと

・有権者を信頼し、情報を提供して
 自発的に考え判断するよう促すこと
・有権者が飛びつく餌のみ提供して
 「信じろ」と強要したりしないこと

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2009.08.20

顔を狩る心得

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昆虫の背中を探せ
葉の裏表を調べよ

機械の表面を探せ
機械の裏も見てみろ

常に路面に目を配れ
壁面の造作も外せない

陰が表情を作り出す
光は顔に生気を与える

左右対称物は狙い目
非対称にも横顔あり

上も下も見てみよう
右も左も見逃すな

上下を逆にしてみよ
ときには横に傾けてみろ

斜めからも覗いてみろ
角度を変えれば見方も変わる

獲物の一部を切り取れ
背景も獲物に絡めろ

視界を狭めてみよ
視野を広くとれ

寄って寄って寄りまくれ
ときには引いて間合いを取れ

遠近法も活用すべし
距離感を無視して重ねよ

見つかるときは幾つもある
見つからぬときは帰って寝ろ

たいてい歩けば見つかるけれど
自宅で寝てて見付けたりもする

見付けたときが狩り時
見付けた場所が狩り場

発見は常に驚きに満ちている
見慣れたトコロに不思議あり

いずれにせよカメラは不可欠
だけど常に遊び心は忘れぬよう

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2009.08.19

自称逸般塵の不通の日記(107) 窓際に寝そべって

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窓際に寝そべって空を見上げてみれば無数の蜻蛉。
こんな大量にヤゴが育つ水場があるとは興味深い。

窓際に寝そべって空を見上げてみれば薄雲に満月。
これほど薄い雲だからこそ月の姿も見えるのだな。

先日の台風が連れてきたのは南方の蒸し暑さではなく、
むしろ前線の周辺に漂っていた涼しい秋の空気だった。

窓際に寝そべって微睡んでいて気付けばもう夕方。
ベランダで蛞蝓が落葉を食む幽かな音が聞こえる。

日当たりの良い南向きの2階のベランダは乾いているが、
ショリショリと音を立てて蛞蝓は葉を削ぎ食い続ける。

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2009.08.18

自称逸般塵の不通の日記(106) 残暑の頃

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暑さに汗をかくのは自然なコトだけども、
あまり汗をかきすぎるのも良くないと思い、
熱いシャワーを浴びてみたりTシャツを着てみるコトにした。

冷たいシャワーを浴びる“裸族”でいるより、マシかもしれん。
汗をかかぬようにするコトばかり腐心していると、
その限度を超えたとき汗をかきすぎてしまうらしいので。

それから脂肪分の摂取量に注意している。
出歩かず身体を動かさないときには特に。
蓄積して、いずれ汗をかく原因になりかねない。

エアコン故障、扇風機もないまま過ごした一夏。
幸か不幸か猛暑が少なく、なんとか耐えてきた。
暑さも峠を過ぎ、もう一息で脱出できそうだ。

ていうか、適度に歩くのが一番なのだけれども、
その前に、出歩く気力をなくすくらいの貧乏生活を、
まず解消していく必要があるのかも。

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2009.08.17

バスに乗り遅れたのなら歩けばいいじゃない

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状況に対して臨機応変に対応していくコトは重要だ。
ただし、状況に沿って適応していこうとするだけでは、
変化を促進させていくような影響はあるけれど、
その方向性が、大きく変わるコトはないだろう。

誰も彼もが、自らを変化に乗っているように思いつつも、
実態として、それに乗せられていたりしないだろうか。
誰も彼もが、一つの変化に乗じて加速させていけば、
結果として、そんな変化は行き過ぎてしまう気がする。
行き過ぎた変化は終局的に破滅へと陥りがちなもの。
誰も彼もが、自由意志で、そこへ突き進むのであろう。

たまには、変化など何処吹く風とばかり動じずにいたり、
あるいは新たなベクトルを見出したりしたいものだね。
なにせヒト集団内では負のフィードバックが効きにくい。
異なる方向を提示して、行き過ぎを抑制できたらいい。

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2009.08.16

被レ害 申そう

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被害妄想を抱く場合には、
しばしば「犯人捜し」的な発想が見受けられる。

どうにかして対処したくて、
そのために原因を探ろうとする考えがあるのかも。

だが当然ながら実際には、
実行犯だの直接の原因から先は、なかなか見えない。

思考コストと感情コストの
両方を安く抑えたければ、決めつけるのが早道だ。

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2009.08.15

桜は散っても来年また咲く。散って終わるのではない。

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毎年、8月というのは、明治憲法下の日本の命日のようなもので、
いろいろな意味で、その記憶を新たにする機会だと思っている。

かつて存在して、今はない、日本の軍部や、
それが根差した、日本全体を包む空気とか。

もともと自国を守りたいという切実かつ素朴な願いから
生じたものだったが、いろいろあって肥大化していった。

1億弱もの期待感を背負って無邪気に応えようとして、夢を見せてしまい、
作り上げた虚像を自ら崩すこともできず、破綻に至るまで走っていった。

一方、巨大な官僚組織は体制の硬直化が進んでいたこともあり、
ヒトなど信用せず組織自体が築いた面子に縛られるようになる。

組織の面目そして存続を追求するようになっていくと、
中の人を守る組織を、中の人も守らざるを得なくなる。

誰もが与えられた立場で持てる能力を最大限に発揮すべく努めたものの、
その力を集約する組織が全体の方向性を大きく歪めた、というトコロか。

この組織の根は日本中、いや正しくは「当時の日本」の全域、および
周辺地域も含め、ほとんど漏らさず張り巡らされ固く食い込んでいた。

ためにそれが倒れるに至っては、
全てに被害が及ぶ結果となった。

木の根を抜いたとき一緒に抜ける土砂の如く。

--
ヒトにせよヒト集団にせよ、同じ時空間を共有している以上、もはや
無関係とはいえず、相互に影響を及ぼし合って生きたり死んだりする。

その事象は過去の存在に影響され、
未来の存在に影響を及ぼし続ける。

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2009.08.14

相対的特殊性理論 持続可能な自由エネルギー

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リベラルを訴えつつも周囲に受け入れられるためには、
決して周囲が迷惑と感じるような行為を行ってはならぬ。

自らを律するコトができる存在だと認められねば、
他者から警戒され疎外され統制を強制されよう。

つまるトコロ、自由自主自立を維持したいのであれば、
周辺環境の動向に対して一瞬たりとも気を抜けぬ。

外向き自由に比して内向的自由は寿命が短い由。
一見すると同位体の如き関係にも思えそうだが、

前者は自らを御し律し続けるコトが不可欠であり、
後者は自由を失う運命にあり、いずれも不自由。

--
一人でいるコトが多いのに周囲を見て動いているような
自分の習性に矛盾を感じていたが、それで良いのかもしれん。

自分自身を律するなんて、どうにもできない性質だから、
自らを躾るというより放牧するような感じで、やってきた。

「こういうことができる自分」を良いと
思うからこそ、より良くなっていける。

自由というものについて、内向きには常に観測しているけれど、
できるだけ行使しないのが望ましいと、最近は考えている次第。

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2009.08.13

相対的一般性理論 自由は死なず、ただ消え去るのみ

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自由が良いか悪いかっていう以前の問題で、
意識が内向きになりすぎていやしないか?
枠の外側を見ようとしない、意識しない、
外の世界があるなんて思いも寄らない。

そういう“自由”は、ヒトを不自由にする。
他人はもちろん、自らをも縛ってしまう。
だが政治にせよ経済にせよ、そこに関わる
多くのヒトの開き直りが、気に掛かる。

まるで休日の電車とかファストフード店で、
しばしば見られる、「ツレがいるので」、
「自己や身内を守って何が悪い」的な、
排他的になりがちなオトコの本能とか。

そんな利己を自由にさせたら、そりゃ、混迷するってもんだ。

「これだけ守っていれば万全」
なんて信じるのは宗教も同然。
そんな“宗教的”な政党ばかりでは、
自由というより自分勝手に過ぎよう。

ヒト集団それぞれバラバラの思惑が交錯し、
民主制という名のコインに全員が指を乗せ、
甲が駄目なら乙に流れ、乙が駄目なら甲に、
党派の振り子は民衆と共振して振れてゆく。

今夏の平成デモクラシーの末路というものは、
ひょっとしたら振れすぎて振り子の糸が切れ、
何時の間にか「問答無用」「天誅」の声が、
何処からとなく挙がってきて終わるのかも。

個別最適な自由は全体的不自由を作り出しかねない懸念がある。

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2009.08.12

地震台風一過の後の災い

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「災害のもたらすダメージは、すべての人に平等ではなく、不当にもきわめて偏ったかたちで配分されるのである」

「すべてが打ち倒されるわけではなく、また、打ち倒されたように見える人びとのなかにも、再び起き上がる力のある人びとと、打ち倒されたままの人びとがいる。災害は、それらの人びとの層を、実にはっきりと分離・分解するのである。このような劇的な人間の分別が、災害後の環境のなかで、冷厳として起こっている」

(広瀬弘忠「人はなぜ逃げおくれるのか」集英社新書)

ヒトの層を単離する方法については、ずいぶん前に書いたコトがある。
地震や津波、噴火、台風、飢饉、戦乱、それから経済危機に社会不安。

いろいろな災害がある、というよりは、ヒトがあまりに不安定だから、
そもそも生きているだけで常に被災してるようなものなのかもしれん。

苦難を乗り越えた後には過剰な自己防衛が幅を利かせ、
排他的な思想が社会に台頭してくるのもまた世の常だ。

平和で、安心して生きられるという環境は、
むしろ希有な、奇跡に近い状況なのだろう。

逆にいうと、そういう限られた状況の中を除けばヒトは
基本的に、小さな群に分かれる性向を持った生物なのか。

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2009.08.11

太陽の子供たち

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日本の夏に冷夏・多雨をもたらすとされる
エル・ニーニョ現象が発生しているという。

半年ほど科学系サイトの巡回を怠っていたので、改めて
気象庁の資料に目を通してみれば、たしかに急激な変化だ。

年始頃にはラ・ニーニャ現象寸前という状態だったものが、
速報資料は月を追う毎に変化を伝えていたのだった。

考えてみれば変化の最中だった4月頃などには
桜が妙なペースで咲いていたっけな。

エル・ニーニョ現象では全国的に梅雨明けが遅くなる傾向が
認められているから、今夏の気候は“ジンクスどおり”だ。

さらに加えて、太平洋高気圧も弱くなる傾向にあるので、
これから台風の直撃が増える可能性も考えられるだろう。

どちらかというと西日本は旱魃に弱く東日本は冷夏に弱いから
今夏の気象条件であれば作況も酷く落ち込まぬかもしれんが。

しかし気候だけでなく政治も経済も、不順な昨今。
まずは無事に年を越せるかどうかを、心配すべきか。

当然、それを乗り越えた先にも
まだまだ心配事はあるのだけれど。

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2009.08.10

「とんでもねぇ! アレでもカミサマだよ!」

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そこかしこにカミサマのカケラがいる。
それをヒトは殺し続ける。
(殺すまでもなく死んでゆくものもいるし、
代わりに生まれてくるものも多いけど)
死んでしまったら元に戻せないし。
なかったコトにもできるはずがない。

バタフライ効果だとかカオス理論だとか
いろいろな言い方はあるけれど、
要するに「ああすればこうなる」的な
単純な考え方だけでは足りない。
(たとえば3とするか3.14とするかで
大きな違いになってしまうワケだ)

やればできるワケじゃないけど、
やらなきゃできない。
いやむしろ逆に考えてみて、
やってみれば、できるかも?
でも、やってみればやってみたで、
思っていたのとは違った結果も、よくあるハナシ。

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2009.08.09

人ならぬ存在を呪う方法

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心がなければ、魂を持たなければ
呪いは効かない、って思ってる?

たしかに直接には、そうなんだけどね。

ところがね、世の中には、心も魂も持った
普通の人も、たくさんいるワケだ。

だから、心ない魂のない人を恨むように
普通の人を呪ってやれば、成就するのさ。

でも、犯罪を呪うとなれば、また違ってくる。

どれだけ犯罪者を呪ったトコロで、
行われてしまった犯罪は消えない。

これから犯罪者になる可能性のある人を呪うなら、
自身を含めヒト全てを呪うコトになってしまう。

だからもっともっと遠回しに、やるんだ。

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2009.08.08

当たった後だからこそ考えられるコトもある

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餓死者が多く発生するのは厳冬期である。この時期になると、飢えたる者は力衰え、寒さも響いて死んでいく。飢饉の程度が激しければ激しいほどこの時期の餓死者は増加する。冬の時期を何とか持ちこたえて、春の山野草が生えてくる頃になると、何とか希望がわいてくるのであったが、飢饉の断末魔は春から夏にかけてが実はピークであった。食わずの餓死者がそれほど出なくても、梅雨の時期、栄養失調による体が弱ったところに疫病が襲うと、たちまちのうちに蔓延し、支社を夥しくしていったのである。
(菊地勇夫「飢饉」集英社新書)

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災害の後で生き残った者には生き残ったなりの苦労があるが、
最も辛いのは夜明け前に倒れた者かもしれないな、とも思う。

といっても、それ以前に死んだ者たちもまた
それぞれ辛く苦しい体験をしたはずであるが。

「死んでいった人たちを忘れません」などと
思い続けるだけでは、足りないのではないか。

(もちろん、「死んでいった人たちの恨みを晴らす」
などと考えるのも、また違う気がするのだけれども)

失敗事例は、遡れるだけ遡って検討を重ね、役立てていきたい。
幸か不幸かヒトは無数の失敗を重ねてきて、材料には事欠かぬ。

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2009.08.07

当たるよりずっと前に思い出したい

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危機というのは、目の前くらいに接近しないと
なかなか認識されないものだから、どうしても
事前に回避するような上策を採れないのがヒト。

だから次善の策が、ヒトにとっては上策となる。

発生する以前に回避されたような危機について、
ヒトの能力で、どのように表現できるだろうか。

いつも考えているのだけど、端緒さえ掴めない。

もしかしたら常に考え続ける以外には解がない、
というような性質のモノゴトなのかなとも思う。

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2009.08.06

当たり散らす前に思い出したい

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足を前に出さねば前には進めない。
手を動かさないと手の上の棒は支えられない。

生きていれば、いずれ死ぬし、
死んでしまえば生き返らない。

当たり前のコトなんてのは、
忘れてしまって当たり前なんだよね。

普段は。

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2009.08.05

声・無

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このブログ、「コラムだかポエムだか何なんだか」、
と友人たちに言われた。
じゃあ「ポラム」か「コエム」とでもしておくか、
と思ってみたりする。

最近の書き込みでは、長い文章を書くコトが少なくなっていて
どちらかというとポエムに近いような気がするけれど、
その前は、ダラダラと長ったらしく考察を垂れ流していたから
どちらかというとコラム的な内容ってトコロだった。

いずれにせよ、思っていたコトを書き連ねているだけなので、
「どちらでもある」というのが実状なのだと思う。
誰だってそうだと思うが、「この人は、こういう人だ」なんて、
ヒトコトで言い表せてしまうコトはない。

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2009.08.04

ヒトコトでは済まされない

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最近、気付いたコトがある。本当にやりたいコトは、
なかなか容易に言語で表せないと。

「やりたいコト」を文字にできるくらい明確化できるか
どうかが今後の課題なのかもしれない。

もしかしたら、これが、いわゆる「自分探し」てヤツか?

でも、そのテのカンタンなヒトコトで表せるようなのは、
なんかきっと、違うような気がして。

簡潔な表現にすればするほど、聞き手を選ぶ結果となる。
言葉を尽くしたとて完全には伝わらぬ。

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2009.08.03

加齢に伴う転身

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舌で門歯と犬歯の形状を撫でてみると、
その摩滅具合から、ずいぶん使い込んできたと感じる。

門歯は下側が同一平面に磨り減っている。
そして犬歯は上下とも斜めに、噛み合うように。

一方、筋力をあまり使わず効率的に力を出すコトに傾注してきたせいか、
慣れない動作をしたときに微妙な力加減が非常に難しいと実感。

「たいていのコトは何でもできる」的な器用貧乏から
徐々に変わりつつあるような気がしている昨今。

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2009.08.02

飴富む地

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どちらかというと頭脳労働系の仕事だからか
仕事中に飴を舐めているコトが少なくない。

気まぐれに買ってきて気まぐれに消費するので
開封したまま放置されている袋が溜まっていた。

集めてみれば一山になるくらい、あった。

たぶん腐ったりはしないと思うが、
こりゃ消費していかないといかんな。

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2009.08.01

理系用語で読み解く社会(54) 報道関数

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媒体が振動することで、波動が伝播する。

もし進行経路上に振動しない存在があれば、
そこから先に波動は伝わらない。

すなわち、振動しない事物は媒体たり得ない。

波動は、振動しない事物から反射したり、
性質の違う媒体の間で屈折したり、
回折したりして、陰の部分にも伝わる。

もとの波形とは異なったカタチとなって。

もともと単一の波動だったものが、
複数の経路に分かれて伝わっていくと、
場所によってはそれらが重なって干渉が生じ、
妙に強まったり弱まったりするコトもある。

その模様を解析すれば、媒体の状況が分かるだろうか。

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