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2009/10/29

要するに思考の邪魔をするなってコトかもしれないが

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いろいろな機械をみていて、ときたま思うコトがある。
それは主に機械と人間との関わりの問題、といえるか。

人間の感覚や思考を補助してくれるような機械は好きだけれど、
人間の代わりに全部やってしまうような機械は好きになれない。

たとえばカメラの場合、以前にも書いた通り普段の写真撮影は
基本的にマニュアルで、ホワイトバランスも手動選択している。

明るい情景を明るく、暗い情景を暗く写す、というだけのコトでも、
人それぞれでさえ感性の違いがあるのだから機械には任せたくない。

でも、機械が自動で処理する理屈や原理を理解した上で、シーンに
応じた描写を期待してカメラの自動機能を使うのも、悪くなかろう。

実際、仕事絡みの写真を撮影するようなときには、
むしろ積極的にオート機能を使っていたりもする。

仕事で使う写真となると、記録を求めているものだから、
表現意図を前面に押し出すのでなく、無難な写りが必要。

だから、「凝った表現をせず無難に写してくれる」
プログラムオート機能を多用して撮影するワケだ。

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考えたくないとき、というのは誰にでもあること。
別の方向に意識を集中させたいような状況もある。

普段はホモサピエンスだけに考えながら動くけど、
そんな状況だけは、機械の手助けを有難く感じる。

シンプルな道具や工具を使い込んで馴染んだ状態、のように、
頭脳や手の延長線上として扱えるようなものだと、いいよな。

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