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2009/11/18

理系用語で読み解く社会(60) ヒトに繋がるのは、拙速動物か巧遅用動物か

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貧すれば鈍するもの。ヒト個人だけでなくヒト集団も。
たとえば企業とか組合とか党派とか人種とか国家とか。

金持ちが喜んで資産を消費するような社会とならなければ
本物の内需拡大につながらぬ、という気がしてならない昨今。

国などの経済対策も、それなりの経済効果があるとは分かっているが、
それよりむしろ、投資にばかり回っている個人や法人の資産を
ときには惜しまず使ってもらうような文化が、必要なのではないかと。
なにせ投資というヤツは常にリターンが求められる紐付きのカネ。
社会にカネを回すのではなく、途中から引き戻しているようなもの。
受けた側はリターンする分に加えて自らの儲けを確保せねばならず、
そこから先の金銭の流れは滞り、経済全体が冷え込んでゆく。

資本主義てのは多分に欲求ドリブンなトコロがあって、それが
経済発展を促すという考えには納得できるのではあるけれども、
あまりに皆がリターンを強く求めるとカネの流れも健全でなくなる。
全体的に新陳代謝が衰えて末梢まで血が回らなくなってゆくばかり。

冷え性の人が寒いトコロに出て身体を動かしたがらないのと同様に、
冷えた気分では誰だって喜んで消費しようとは思わないから悪循環。

そうして、品質も高いが値段も高いようなモノは売れなくなり、
作り手はコダワリを捨てねば食っていけず安かろう悪かろう、となる。
デフレスパイラルと並行して社会全体の技術力も失われていく。
長期的に見ても、「タダより高いモノはない」ってワケだな。

目先の欲求が過ぎれば結果として後先の為にならぬ。

ヒトはいずれ全ての事象を過去のものとして受け入れざるを得ないのに、
いつもそれを忘れて、ある意味では新鮮な感覚で、現実に触れる。

ひょっとしたら、ときたま脱皮するかのように社会体制を変えるのは、
そういう時系列も含めたヒト集団全体の、習性のようなものなのか。

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