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2009年11月

2009/11/30

暗箱に針穴(12) 斜に構える

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実は水平を出すのが得意じゃない。
ちょっと気を抜くと1~2°ほど傾いてたりする。

斜め構図を多用する傾向があるのは、
そういう短所を隠すためでもあったりする。

細長い被写体を画面一杯に入れるべく、
対角線構図を使うケースも多いのだけれども。

そんな写真ばかりを見せていたせいか、
気付けば仲間たちの写真にも似たような構図が。

まあしかしガチガチの水平ばかりでは
あんまり変化がなくて楽しくないじゃないか。

どっちかっつーと世の中ってのは不安定。
そういう感覚を微妙な傾きで示してみたりする。

もうね、ちょっと気を抜けば
すぐ滑り落ちてしまいそうなくらいに。

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2009/11/29

中抜きの構図

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これまで一般的には、中間業者が入って(要するに下請として)
仕事をするコトが多かったのだけど、最近は直接取引したい
という顧客が、最近になって、ときたま現れるようになってきた。

昨今の厳しい経済情勢の中で業界全体が冷え込んでいて、発注元の
予算は下落傾向、中間業者も利益確保のために出費を抑えようとする
傾向が強く、下請に出てくる数も金額も大幅に下落してきている。

その意味では、直接取引で単価アップとなれば個人的には助かる。
発注元にとっても、中間業者に抜かれる分のコストを抑えられるので
やはり大きなメリットではあろう。どの業界でも、だいたい変わらず。

ただ、業界全体としては、どうだろうな。良くも悪くも大きな変化だ。

個人が企業に対してサービスや役務を提供するという形態は、
非対称性が強すぎてディストーションが大きくなりがちだ。
よほど上手に補正しないと、後々の人材プールに不安が生じる。

強い選択圧力が働いて「中の下」程度の個人では食えなくなり、
より上に成長するための経験を積む場がなくなってしまうだろう。
一方で、限られたトップクラスの個人には業務が過剰に集中する。

結果、先細りになってしまうのではないか。そんな不安が残る。

中間業者は付加価値産業でもある。今は良くない面も目立つが、
仲介役としての存在意義はもちろん、個人では引き受けきれぬ
ほどの大規模な業務を円滑に進めるなどの機能も見逃せない。

個人の側も新たな環境に適応して成長していかねばならないが、
中間業者たちも、やはり環境に適応すべく新たな道を模索し続け
これまでにない付加価値を提供していく必要があるだろう。

強力な個人を中心として新たな中間業者ができるかもしれないが。

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2009/11/28

小心忘るべからず

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仕事にしろ趣味の写真にしろブログの文章にしろ、
たまに会心の作があるけど普段はイマイチな点もある。

特に、ここしばらくは、金銭面の不調やら
体調不良やらで、精神的にも弱っている模様。

どうにも気分の浮き沈みが激しくて、
しかも平均すると若干マイナス気味の傾向。

イマイチ安定しない経済状況に引きずられ、
気持ちの上でもデフレスパイラルなのか。

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ときおり誰かから「おまえは本当に考えてるのか」と、
そう言われてしまうしまいそうで、ちょっと不安にも思う。

ヒトの累計人口は膨大な数に上る。
少しくらい違うコトをしていても、誰かが通った道。

いや、昔の人たちと同じようなコトをしているつもりだけど、
実は表面的なトコロだけだともいえる。

考えてみれば今の日本社会というのは、官民いずれも
大半が「二代目三代目」のようなものではないか?

仕事を作り出して経営を安定させるようなコトは、
最初に事業を立ち上げた人たちしか経験しない。

でも、そういう苦労を乗り越えたから、
厳しい環境の中で生き残ってきた。

今は、その生き残り世代の後に続くヒトビトが、
作られたものに依存しているようにも思える。

ヒトが作ってきた社会を利用して生きるだけでなく、
考えに考えて、新しいモノゴトを作りたいものだ。

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2009/11/27

暗箱に針穴(11) 錯誤嗜好のスパイラル

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ここまで露出だの構図だのとエラソウに語ってきたが、普段は
その場の状況に応じて“かなり適当に”撮影しているのが実態。
そもそもにして細かな理屈を捏ねつつ行動するのは苦手なので。

この点に関しては、いつも周囲から誤解されがちなのだけれど、
理屈“っぽく”書いたり喋ったりする傾向が強いだけであって、
むしろ思考形態は非常に直感的であって本物の理屈とは対極だ。

写真の撮影においても、やはり同様に直感の要素が非常に強い。
たとえば露出値など、普段から暗算などをしてるワケではなく、
そのとき脳裏に浮かんだ数字をカメラにセットしていたりする。

構図だって、美術の授業みたいな構図の組立などできないから、
かなり漠然と置いているだけだ。「画面に入れたいモノを入れ、
入れたくないモノを入れない」とは、常に意識しているけども。

結果的に「試してみたら面白い画になった」というカットも多い。
いつもの「カメラ初心者」とは別の友人とのメールのやり取りで、
そんな写真の一つについて、撮影時の思考状態を説明したところ、

> アバウトだなぁ……
> 構図を意識して計算尽くで撮ったと思ったのに褒めて損した(笑)

とか、言われてしまった。まあ説明しづらい感覚ではあるので(笑)

ここで自己弁護をしておくとするならば、一応は10数年間に渡って
一眼レフを使い続けてきたのだから、それなりには経験が蓄積され、
直感としてアウトプットされるようになっているのだろう、と思う。

それゆえ経験に応じた程度の撮影技能となる。実際に、不慣れな
状況下では脳内山勘式露出計の精度も、けっこう低下してしまう。
そんなときはカメラ内の露出計を参考にしつつ、撮っては確認だ。

デジタルだと、撮ってすぐに画像を確認できる点が特に助かる。
その場で露出や構図をチェックして、修正できるようになった。
当然、慣れたシチュエーションでも、さらなる工夫につながる。

感剤費を気にせず微妙に変化をつけ同じ被写体を延々と撮り続け、
PCに取り込んだあとでカット選びに苦労しつつも、ちょっとした
違いが、どれだけ大きな効果をもたらすか、という経験を重ねる。

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2009/11/26

遠回りをするのは好きだ。変化を楽しめるから。

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ていうかそもそも、指標や論拠や証明といったモノが
ないと判断できないなんて考えは、いささか機械的に
過ぎるのではないかと思うのだな。ヒトだというのに。

だいたいにして、有名な某解剖学者の言葉じゃないが、
「ああすればこうなる」的発想にばかり頼っていては、
世の中の複雑な仕組みをきちんと説明しきれないのだ。

「ああすればこうなる」=科学的、という誤解が多い
ように見受けられるのだけれども、それは違うだろう。
科学というのは、そんな狭い世界のモノゴトではない。

シンプルな理屈や論理だけで世の中を説明できるなら、
誰しも悩んだり迷ったりしないだろうし、逆に言えば
揺れ動く心理状態を味わうコトだって、できやしまい。

そんなトコロがヒトのココロのソコにあるというのに、
アタマでは「ああしてこうして、こうなった」なんて
やったりするから、いろいろとズレたりスレたりする。

歪みが蓄積し続けて限界を超えた末路も想像できよう。
限界というのは社会全体が突然迎えるものではなくて、
社会のところどころで散発的に生じつつ拡大してゆく。

だもんだから初期の兆候は、ヒトの観察力限界により
明確な指標や論拠や証明として捉えられるコトはない。
そして数として見出した頃には手遅れとなりがちな由。

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とはいえ残念ながら現代社会の中では数字がヒトを
動かしている面もあるあたり揺るがせぬ実態である。

議会は数の論理が支配的、役所は予算に縛られる、
企業は利益必須、家庭や個人もカネで生きている。

入試や人材採用での評価でも比較しやすい数字に
強く依存しがちなもんだから学校教育もまた同様。

社会や組織による賞罰などにも細かな基準があって、
「ああしたからこうする」的計算に基づき勘定する。

そいう数字に依拠する思考形態に慣れてしまえば、
今の世の中を生きるには容易なのであろうけれど、

だからといって「ああすれば」以外の思考手法を全く
知らぬ者たちばかりが再生産されて良いとは思わない。

教育機関のみならず家庭や各種メディアや人々まで、
社会全体に、相応の比率で「他の」考え方があって、
コドモがオトナになる過程のどこかで一度なりとも
触れる機会が、どこかで得られれば、と願っている。

科学も宗教もヒトのアタマとココロが作ったモノだから、
ヒトが変化し続ける以上ソレらも変化しないワケがナイ。

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2009/11/25

警戒推移

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変化を見極めるには、兎にも角にも推移を見守るコトが欠かせない。
対象が自然の法則であれ、ヒト社会の動向であれ、基本中の基本だ。

しかし最近、複雑系に対する強引かつ不充分な、あるいは不注意な
理屈付けが企業社会を中心として幅を利かせているような気もする。

たとえばマーケティングの施策などでは事前のリサーチから企画立案、
実施、そして事後の効果確認といった一連の流れが妙に自動的っぽい。

自分たちで作り上げた仮説に沿って検証計画を立てていくものだから
その仮説を補強するような結果が出やすいのは当然だ、と思えるのだ。

変化させる条件を可能な限り絞り込んだ理科の実験と同じようなもの、
などと彼らが考えているのではないかと心配されてならないのである。

なんとかして現状を制御したいという思いは理解できなくもないけど、
あまり安易に頼るのでなく、もう少し注意深く辛抱強く、自説を疑え。

もしや自ら用意した仮説以外の条件を見落として、
「洪水が来てるけど避難勧告がないから逃げない」
的な心理状態に陥っていたりは、しないだろうか。

例によって自戒を込めて思う次第。

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2009/11/24

変わり映えのない変化の日常の中で

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完全に入れ替わるような激変など
むしろ珍しく、たいていは
部分的に変わるだけだ。

前後で変化せぬ要素があるのだから、
変化の瞬間や様相を捉えるのが
難しいのも当然だろう。

そも生命というのは代謝の継続だ。
物質交換という変化が止まれば
それは即ち生命の停止。

流れ続ける川の中の波であったり、
燃焼を続ける炎といった比喩は
可能だがいずれにせよ、

構成する物質が入れ替わりつつも、
全体としては大きく変化せず、
徐々に変わりゆくものだ。

その、「どこがどう変わるか」
というトコロが、むしろ
重要なのだろうな。

「日常の中には非日常が潜んでいて、
混在したまま共存している」とは
以前にも書いたが、

「恒常的な変化の流れの中には
変化し続けるという普遍性が
混在する」ともいえる。

どちらでもないともいえるけど、
むしろ逆に、どちらでも
あるといいたいトコロ。

変化/不変の一面にのみ囚われず、
両側面を見据えた上で
全体を捉えたい。

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2009/11/23

暗箱に針穴(10) 光陰は一瞬。矢よりも迅し。

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例によってカメラ初心者の友人からのメール。

> 奇麗というかふしぎ。
> 月を虹で囲っているように見えて、すごく神秘的だった

数人のカメラ仲間への同報となっていたが、
メールを受けて外を見た仲間たちの多くは、
そいつと同じ光景を目にするコトができず。
皆それぞれ違う場所にいたので、
同じ景色を見るコトができなかったのだな。

月と雲の位置関係の、ほんのわずかな変化で
虹色に暈が掛かった状態か、単にボンヤリと
した暈なのか、大きな違いが出るのだろう。
しかも、その夜は雲が流れていた。
だから虹色の暈は、すぐに色褪せたという。

景色は光線の微妙な加減で作られるものだ。
太陽や月の動きなど遅いと思われがちだが
とんでもない、驚くほど速い動きを見せる。
たとえば日の出や日の入りの前後。
ほんの数秒だけ目を離した隙に好景を逃す。

とにかく風景というヤツは逃げ足が速い。
好みの景色は出会ったら撮れ、が鉄則だ。

だが、観察し続けていれば変化の瞬間だって
捉えるコトも不可能ではない。
といっても、そういう観察の必要性の認識は、
得てして決定的瞬間を見逃した反省からのみ
得られるモノだったりするのではあるけれど。

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2009/11/22

理系用語で読み解く社会(61) そう変化する瞬間は簡単には捉えられない

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具体的に描かれているように見える将来像が、
実は根拠のない幻想だったのだと納得し、
諦めて現実と向き合う。

時代の変わり目といわれる時期に際しては、
一人ひとりが、そういう変化を、
それぞれの身辺で経験する。

当然ながら環境や性格などの個人差が大きく、
社会全体のベクトルが変わるまでには
相応の時間を要するものだ。

だけど、ある程度の変化が積み重なっていくと
閾値を超えたあたりから急激に
様相が変わってくる。

巨視的には不連続に見えるような現象だけど、
微視的には混在した状態が存在しており、
変化の瞬間を確定するのは難しい。

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2009/11/21

自称逸般塵の不通の日記(126) 社会の凝縮

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先日、朝イチ仕事で、久々にラッシュ時間帯の電車に乗った。

こんなにヒトが密集した状況というのは、
いつまで経っても慣れるコトはないものだ。
耳許で他人のイヤホンから漏れる劣化音楽を
聞かされたりするなど、慣れるなんて到底無理。

とはいえ、この程度では、最悪ではない。
ピークを少し外れた時間帯。下には下がある。
それに快速を避けて各駅停車に乗り込んでいた。
だもんで、それなりに動く余地くらいはあるのだ。

皆が同じ目標へラッシュしていくと、
ときに押されて足が浮いてしまうコトもある。
でも人は急激に去っていくものだから、その足も
浮いたときの勢いを失い、地に墜ちてしまうのだな。

「もっと悪い状況だってあり得た」とか
考えるトコロから、始めたいものではある。
調子の悪いときにこそ助け合う関係がほしい。
調子の良いときは助け合う必要もないのだから。

でも、なかなかできないのがヒト。
「上には上がいる」「右には右が」とか
やってるウチに、つい行き過ぎて人の道をも
外れてしまったりしないかと、いつも不安になる。

ラッシュが苦手な者としては、そういう感覚で捉えている。

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2009/11/20

暗箱に針穴(9) 未だ使いこなせないレンズについて

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撮影位置が限られる状況では役に立つので、
主に仕事やイベント時の撮影に使っているけれど、
手を抜いてしまいそうな感覚もあって、
何年も前から常用しなくなってしまった。

いや、むしろ未熟なので封印中ってトコロかな。

ついついテレ端ワイド端に行ってしまったり、
あるいは画面一杯に被写体を入れるだけだったり、
移動することなく適当に撮ってしまうばかりで、
どうも思い描いていた画を切り取れていない。

単焦点を工夫して撮るのとは、明らかに違う。

単に画角を自由に変えられるというだけでなく、
近景遠景の距離感を自由に変えて構図を調整したり、
他の要素と組み合わせて被写界深度を変えてみたり、
そういった深いトコロまで使えていないのである。

そういう意味では、まだまだ技量が足りていない。

露光中ズームなど技巧を凝らしたようなカットを、
というのではなく、足を使って撮影位置を選びつつ
画面全体に注意を払い、「ズームでなければ」
できないような構図を、いつかモノにしたいな。

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2009/11/19

半生紀・ある節目にて “考えすぎ”の性格を想う

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男を哲学者にするのは女だったりするのかもしれない。
悪妻ぶりを吹聴していた男の例を出すまでもなかろう。
(逆に言えば、男が詰まらぬコトで悩まぬようにするのが
女の面目躍如なのではないかと思ってみたりもするのだが)

まあしかし、実際のトコロ、一般論で言うならば、
そんな男の考えるコトなど大した内容でもないのだけれど。
だからきっと御大層なモノなど残せない。
だけどきっと必死にやっていたりもする。

思い出だけ残して去ってったあの人のコトを想うと、
その程度でも別に構わないのだという気にもなる。
そもそも世の中は果てしないものなのだから、
行けるトコロまで行ければそれでいい。

ていうか、もともとアレな性格だったもんだけど、
それがさらにアレな感じになったのだ、というトコロかね。

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2009/11/18

理系用語で読み解く社会(60) ヒトに繋がるのは、拙速動物か巧遅用動物か

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貧すれば鈍するもの。ヒト個人だけでなくヒト集団も。
たとえば企業とか組合とか党派とか人種とか国家とか。

金持ちが喜んで資産を消費するような社会とならなければ
本物の内需拡大につながらぬ、という気がしてならない昨今。

国などの経済対策も、それなりの経済効果があるとは分かっているが、
それよりむしろ、投資にばかり回っている個人や法人の資産を
ときには惜しまず使ってもらうような文化が、必要なのではないかと。
なにせ投資というヤツは常にリターンが求められる紐付きのカネ。
社会にカネを回すのではなく、途中から引き戻しているようなもの。
受けた側はリターンする分に加えて自らの儲けを確保せねばならず、
そこから先の金銭の流れは滞り、経済全体が冷え込んでゆく。

資本主義てのは多分に欲求ドリブンなトコロがあって、それが
経済発展を促すという考えには納得できるのではあるけれども、
あまりに皆がリターンを強く求めるとカネの流れも健全でなくなる。
全体的に新陳代謝が衰えて末梢まで血が回らなくなってゆくばかり。

冷え性の人が寒いトコロに出て身体を動かしたがらないのと同様に、
冷えた気分では誰だって喜んで消費しようとは思わないから悪循環。

そうして、品質も高いが値段も高いようなモノは売れなくなり、
作り手はコダワリを捨てねば食っていけず安かろう悪かろう、となる。
デフレスパイラルと並行して社会全体の技術力も失われていく。
長期的に見ても、「タダより高いモノはない」ってワケだな。

目先の欲求が過ぎれば結果として後先の為にならぬ。

ヒトはいずれ全ての事象を過去のものとして受け入れざるを得ないのに、
いつもそれを忘れて、ある意味では新鮮な感覚で、現実に触れる。

ひょっとしたら、ときたま脱皮するかのように社会体制を変えるのは、
そういう時系列も含めたヒト集団全体の、習性のようなものなのか。

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2009/11/17

新陳代謝は生きてる限り続くのだから

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詰まるトコロ、ヒトが「老いてゆく」というコトは、
今できるコトを「置いてゆく」コトでもあるらしい。

でも、代わりにできるようになるコトだってあるかもしれない。

小さい頃の衣類は大人になった今では着られないが、
その代わり大人の衣類を着られるようになったのだ。

置いたら次を拾おう。ヒトは全てを持つコトなどできぬのだし。

病み上がりってのは、どんな些細な鼻風邪であろうと、
これから再び良くなってゆく期待感を抱かせてくれる。

もう息苦しさはないが、しきりに濃い痰が出る。治りかけだ。

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2009/11/16

病とは得るもの也

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歳をとれば誰だって能力の衰えを実感させられる瞬間があるものだが、
それを嘆くのでなく、衰えたコトを自ら把握できる点を良しとすべし。

駄目になったという状態を自ら把握することができなくなったとき、
あるいは逆に、一つ駄目になっただけで全て終わったと思ったとき、
ヒトが本当に駄目になるのは、そういう瞬間だ。

ちょっとした病を得る経験などあれば、
こんな精神状態に対する抗体を獲得する機会にもなろう。
「まだできるコトは残っている」と。

もし長く患うコトなく一生を全うして死に至れるというのであれば、
そのような精神的な備えなど如何程も必要ないのであろうけれども。

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2009/11/15

自称逸般塵の不通の日記(125) 莫迦も休み休み考えたい

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いきなり風邪をひいてしまったりするので、
さほどの莫迦者でもないようではあるけど、
別に大したコトを考えているワケではない。

でも、ちょっと頭が重いくらいの風邪だと、
この思考を中断させるほどではないらしく、
いささか困った状態に陥っていたりもする。

思考は途切れないんだけど集中力は続かず、
何をするにも気力と体力が欠かせないもの、
との実感だけは、嫌というほど身に染みた。

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2009/11/14

思考性のない指向能力?

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いろいろ考えてみると、どうやら思考し続ける体質であるらしい。

眠っていてさえ何かいろいろ考えているらしいコトが、
目覚めた後に残る夢の残像から、見てとれる。

傍目にはボーッとしてるように見えるときでも、
たいてい何らかの思考回路が動いていたりする。

その場の状況とは、ちょっと違う場合もあるけど。
思考し続けているとはいえ、指向性はないのだな。

寝ても覚めても考え続けているもんだから、
たまには思考を休めたいなと思うときもある。

だから散歩に出たり、あるいはもっと感覚的な
モノゴトに触れるようにして、感性を刺激してやる。

といったって、そんなに上品な芸術でなくてもいい。
旨いモノを飲み食いするだけでも、味覚を大いに刺激する。

そうすると、少しばかり、思考から解き放たれる気がするので。

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2009/11/13

暗箱に針穴(8) ヒネクレ者なら煽ってナンボ?

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選択肢が増えてきた特殊レンズといえばアオリなども。
キヤノンはTSEを拡充したし、ニコンもPCEシリーズで
対抗するラインアップを頑張っている様子が窺える。

高いから1本しか持ってないけど、使いこなすと面白い。
思えば当時、TSEがあったからこそEOSを選んだのだし、
もちろん写真趣味の初期には買って、使っている。

アオリレンズってのは、遊べる楽しさもあるけど、
もともと高画質かつ大イメージサークルのレンズを
あえて小さい判で使う贅沢さも捨てがたいと思う。

そもそもパースを制御すべく一眼レフ用にシフト
可能なレンズが開発されたときから、歪みを補正
するためのレンズに歪みは許されなかったのだ。

そういう意味では、常用レンズとしても良い。
寄っても使える品が多いから、応用範囲は広い。
(価格と操作性で敬遠するユーザーも多いとは思うが)

もちろん普通(?)に、非日常を演出してやってもいい。

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2009/11/12

無用の徳

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ちなみに、こう見えてもコトバ遊びは苦手な方である。

一つのコトバに複数の意味を込めて語るコトはよくやるが、脳トレとか頓知とか、
意味から意図的に外した文脈でコトバを使うのが、どうにも得意じゃないのだ。

そもそもにして、理屈を考えるのが苦手な性質である。
以前から何度か書いてるが、だいたい昔から勉強というのは苦手だった。

特にテスト勉強などが“為に為すコト”と感じて、嫌ったせいかもしれない。
それこそコトバ遊びも、そんな感覚で好かないのだろう。

ちなみに、このブログで理屈っぽいコトばかり書いているようにみえるのは、
実は感覚を言葉に落とし込む際に屁理屈つけてるだけに過ぎないので悪しからず。

それも、たまたま表現手法として文章を使っているだけのことである。
もっと感覚的に表現できるような方法を身に付けていれば、そうしているだろう。

なにしろ、幼い頃から活字好きだったのが長じたところ、
ちょいと理屈っぽい文章を感覚的に仕立てられるようになってしまったので。

まあ、そんなコトは、ともかく。

玩具に関しても、ちょっとでも実用性を感じさせる点があれば興味を持つが
遊ぶコトや鑑賞するコトのみ目的としたものは、あまり手を出してこなかった。

逆に、ほとんど出番のないような品でも「実用品」でありさえすれば
興味を持ったが最後、かなりの数を収集してしまったりする。

たとえばスピードライトなども古いのを数多く持っていたりする。
そいつらの出番は、なかなか訪れないのが実状だけど、たまに使うと面白い。

「何かの役に立つかも知れない」という気持ちでなければ、楽しめないらしい。
そいつが実際に役立つ可能性が素粒子物理学的に小さな数字だったとしても。

収集するコトで知的好奇心を満たしている面も、あるけれど。

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2009/11/11

暗箱に針穴(7) 光の色いろ

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仕事で使う写真を撮るときには、クリップオン型の
スピードライトを併用するコトが多い。方式は
TTL拡張TTLはもちろん外部調光のものまで各種。

まれに大型ストロボなどを使う機会があったので、
フラッシュメーターつきの安い露出計も持ってるが、
さすがに最近では滅多に使う機会もなくなっている。

一方、趣味の写真だとキセノン管の出番は少ない。
小さな品物を撮るときに懐中電灯やデスクランプを
使ってスポットライト的に照らしてみたりするので。

それでもキセノンフラッシュ搭載の携帯電話カメラに
スレーブフラッシュを使う機会なら、少なからずある。
光を与えてやると、侮れない出来映えになるので。

「光は余分にあるくらいがいい」なんて、
知り合いのプロ写真家が言ってたのを思い出す。
カメラってのは、だいたいそんなもんらしい。

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2009/11/10

暗箱に針穴(6) たまにはスローな時間価値

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夜の散歩でも、カメラを持ち歩いてたりする。
でも、スピードライトは滅多に使わない。
不自然な明るさは、あんまり好きじゃないし、
だいたい、街中なら、それなりに光源が存在している。

デジタルであれば気軽に感度を変えられるのだから、
明るいレンズで開放にして、ちょっと高感度で撮ればいい。
手持ちでもギリギリまでシャッターを遅くして、
何枚か撮影しつつ、ブレのないカットを選ぶのみ。

もっと遅いシャッター速度を使う場面だってある。
三脚を持ち歩いているコトはほとんどないが、
シャッターが開いている間だけカメラが動かずに
いてくれればいいのだ。たとえば歩道橋の手摺とか。

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2009/11/09

雨の中では一人旅

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雨の中を歩くのは嫌いじゃない、
ていうかむしろ好きなんだよ、
ていうハナシは前にも書いた。

かなりの暴風雨でもなければ、
orもし雨具を忘れてなければ、
たいてい、ほぼ普通に歩く。

でも、ヒトゴミが弱点。
休日の繁華街などを歩くと、
すぐに疲れてしまうのだった。

一方、雨でテンションが下がる
友人は多いのだけど、彼らは
混雑をあまり気にしない様子。

おそらく友人たちのようなのが、
世の中の大勢であるらしいので、
雨で人気の少ない街は一人歩く。

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2009/11/08

匂いの記憶

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晴れが続いた後に雨が降り出した瞬間に特有の、
湿り気を含み始めた土が放つ、埃のような匂い。

ヒトの嗅覚など、ずいぶんと退化してしまったが、五感の中で最も
原始的な能力であるがゆえに、わずかな匂いでも感情を強く揺さぶる。

そんな印象も、文章や写真では、なかなか表現しきれない。
雨の中を歩くたびに思い知る、表現能力の不足。

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2009/11/07

暗箱に針穴(5) 魚眼レフレックス方式

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「魚眼がなければ凸面鏡を使えばいいじゃない」
なんて意見も、あったりなかったり。

これはもう、撮影者自身が写り込むのが基本だ。
そこにレンズを向けている以上、避けるのは困難。

むしろ、ただでさえ短い足をさらに短く強調したり、
あるいは頭から電線を生やしてみたりするといい。

当然、周囲にいるカメラ仲間や通行人などまで
自動的に写り込むので、背後の状況には要注意。

意外なほど無防備な姿を撮れる可能性は高いけど、
信頼を失墜しても責任は持てないので悪しからず。

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2009/11/06

暗箱に針穴(4) 魚の目、蛸の目、□い○

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写真趣味の多くが通りそうな道としては、魚眼もあるだろう。

魚眼レンズなんて、もとは特殊な学術用途のための品で、
非常に高額かつ入手困難な製品だったなんて時代もあった。

そんな時代のヤツを1本だけ持っているが、
一眼レフ用でありながらミラーアップして装着せねばならず、
使えるボディは限られるし一眼レフですらなくなってしまう、
しかもフォーカスは固定されていて近距離撮影もできない、
などなど、かなり不便な点が目立つ品物だったりする。
おかげで普段は、マウントアダプターを介して
レンジファインダーに装着して使っている始末。
顕著な色収差は、モノクロが主流だった時代を感じさせる。

時代が下ると、こんな魚眼も徐々に使いやすくなり、
今では広い画角や歪曲を楽しむレンズという位置付けだ。
他のレンズの前に装着して使う魚眼アタッチメントなども、
ときたまサードパーティ品として売られているくらい。

魚眼アタッチメントの、おそらくは
ごく初期のものと思われるヤツも手許に一つ、ある。
当時の標準レンズをベースにする前提で作られており、
52mmフィルター枠を利用して装着するものだから、
割と手軽に使えるものではあるけれど、いささか重く、
土台となるレンズのヘリコイドが負けそうになる。
というか、樹脂製ヘリコイドのヤツは、実際にガタが来た。
(樹脂製だけに安いので、いずれ余裕ができたら買い替えだ)

云々。

ともあれ、そんなのを散歩のときに鞄に忍ばせておくと、
ちょっとした日常風景も、ちょっと不思議な非日常風景に。
一緒に歩いていたカメラ仲間のリクエストで、
電話ボックスの中から見上げてみたり。

135判フルサイズじゃないので円周が切れてしまうけど、
短辺に合わせて正方形にトリミングすると落ち着く。
ちょっとハミ出してしまった感が出て、悪くない。

ただし画角の広さには要注意。
うっかり、なんてもんじゃない、よほど気をつけないと
ほぼ確実に撮影者の本体や影が、入ってしまうから。

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2009/11/05

暗箱に針穴(3) ときには眺めたり、透かしたり

20091105_img_1084sqs


マクロ撮影をするようになると、
透明、あるいは半透明の物体を光に透かして見た
ような写真を、ついつい撮ってしまうもので。

身近な品物が、まるで異なって見える様子は、
誰でも興味を惹かれるトコロなのであろう。
背景次第では幻想的なイメージ写真も作れるし。

そんな時期は、とうに過ぎたと思っていたが、
ちょっと前に雌ネジ-雌ネジの輪っかを発掘して、
またちょっとばかり再燃したりしたのだった。

といっても、どうせすぐ飽きてしまうだろう。
そしてまたいずれ、ふと思い出したように
同じような写真を撮ったりするに違いない。

身近な品物に触れ、「ちょっと透かして
見てみようかな」と思ったときが撮り時だ。
被写体がなければ撮影する気にならないもんな。

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2009/11/04

暗箱に針穴(2) 闇を隠すには陰の中

20091104_epsn6927_1s


それにしても逆光写真が多い。よほど好きなのか。
ブログ用にストックしている写真フォルダのうち、
たぶん3~4割は逆光、あるいは光源入りのカット。

ときには画面全体を白く飛ばすコトもあるが、
さまざまな色合の空を背景に使い、逆に被写体を
黒く落としてシルエットとした画が特に目立つ。

まあ空のグラデーションはキレイに出れば美しい。
空を映した水面のグラデーションも対比させ、
あとは影絵だけなんて画も、好きだし。

暗く落とせば見苦しいトコロも目に触れず済む、
などといった無意識下の思想があって、
写真に表れているのかもしれない。

世の中の諸々のモノゴトと同じように。
見せたくない、あるいは見せなくてもいい
ようなトコロは見せないのが、粋ってヤツかね?

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2009/11/03

暗箱に針穴(1) ゴーストなんか怖くない

20091103_img_1407_1s


このところ写真系の話題が多いので、
いいかげんシリーズ化しようかと、
遅まきながら思ってみたりする。
どこまで続くか知らんけど。

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先の満月のとき、カメラ初心者の友人からのメール。
> 月の写真を望遠でとってるんだけど、
> 月のやや上に月の残像みたいなのが出るんだ。
> これなんだろう?

説明はアレだが、すぐ理解した。ゴーストだ。
彼は、これまで光源を画面内に置くような構図を
経験していなかったというワケだな。

「解消するのは容易じゃない。むしろうまく使え」
などと返してやった。

個人的には、ちょっと古い設計の、
標準前後の単焦点レンズのゴーストは、好きだ。
昔のコーティング技術だとオバケが出やすいけど、
レンズ枚数が少ないものだから、ヤツらも
けっこう分かりやすい姿で見えてくる。

あとはファインダーを見ながら追い込めば、
ほれ、画面にアクセントを添えてくれる。

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2009/11/02

自称逸般塵の不通の日記(124) 秋の散歩道

20091102_img_1402_2s


体調不良の原因となっている運動不足を解消するという名目で散歩に出た。
仕事の進捗も悪くなっており、要するに頭が働いていない状態でもあった。
ていうコトは、心身ともストレスを抱えていたのであろうと判断した次第。

そんな言い訳はともかく。

区内の川の一つの源流となっている池のある公園に出た瞬間の光線に瞠る。
晴れ間が続いて乾燥した空気と西の空へ傾きかけた日射がもたらすヘイズ。
池のほとりの木陰の額縁が作り出すのは、ちょっとした絵画のような構図。

木々の葉の一部は茶色く変色し脱落しつつあり、足許には少なからぬ落葉。
♪Time, Time, Time, see what's become of me……。ふと口ずさむS&G。
いや、まだ冬ではなかったな。今のところは、冬が近付きつつあるだけだ。

そんな今の時季が、好きだ。

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2009/11/01

休息は活力の源

20091101_img_0882s


怠け者だから、
他人をどうこうするような面倒な努力は苦手。

愚か者だから、
他人を出し抜いたりするような知恵は苦手。

臆病者だから、
危険を感じるような状況にいるのは苦手。

苦手が一杯なのだけど、
そこそこの逃げ場が確保されていれば、
それなりに生き続けるコトもできる。

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