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2009.12.10

暗箱に針穴(15) 人それぞれに観る世界、魅せる世界、見られる世界

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でも、ヒトがオモテに出すモノゴトを決して軽んじているワケではない。
さまざまな芸や技能を持つ人々の表現に触れれば、感ずるトコロは多い。
文章などは、巧拙を問わず内容の如何に依らずヒトを知る上では重要だ。
写真を撮る上では、いろいろな人の写真や絵画などが大いに参考になる。

かれこれ10年近くになるカメラ仲間のu君とは、
お互いに影響し合う関係が続いているように思う。

といっても、2人が似たような写真を撮っているワケではない。
むしろ、これだけ長期間に及んで互いの写真を見ている間柄、
2人の方向性や志向の違い、得意不得意が見えてきた気がする。
端的に言えば、かたや風景画、かたや静物画というトコロか。

たとえば同じようにモノを写し取ろうとしても、
どちらかというとu君はモノの質感を重視する。
触った感触まで見えてきそうな写真が彼の本領。
さすが質感フェチだ、と頷いてしまうくらいに。

逆に自らの写真を振り返ってみれば、なるほど、
光と陰とを利用して輪郭を明瞭に際立たせたり、
周辺の情景を取り入れて風景の一部にするなど、
そのモノの質感より形状や距離感に重点を置く。

きっと、こんな写真に表れているのは、
時間や空間を切り取りたいという想い。

モノゴトを把握するときには、その明暗だとか
周辺事象との関係だとか、時間や空間の広がり
なんかを、念頭に置いて考えるような癖がある。
少なくとも、そういう思索を昔から重ねてきた。

それが、写真の撮影に際して意図しないウチに
出てきているのだから、もう癖というほかない。
癖になるくらい考え、癖が見える程度に技量も
伴ってきて、癖が出てしまうくらい撮ったのだ。

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たいてい、多数の作品を連ねて全体の傾向を通観していくと、
本人が意図して出そうとする主張とは別に、癖も見えてくる。
芸を磨き、安定した技を持てば主張も癖も明瞭になっていく。
主張と癖とが近いベクトルにあれば、人格的な魅力も感じる。

どんな表現手法を用いていようと、鑑賞するのがヒトである以上、
作品を通じて性格の表裏両面を見せているコトは間違いあるまい。

人間、最も興味ある事柄を、熟練した得意な芸を用いて
思うように好きなだけ、表現しきれれば、それが一番だ。

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