« 自称逸般塵の不通の日記(130) 健脚商売 | トップページ | 暗箱に針穴(19) 一期一会の散歩論 »

2009/12/25

暗箱に針穴(18) 三杯の茶の散歩論

20091225_img_2582s


しかし、「知った道」であろうとも、
決して新しい発見がないワケではない。
それどころか、あって当然だとさえ思う。

初めて通る道なら、もちろん新鮮だ。
だが2度目の道だって新たな発見は可能。
そして3度目からは、さらに掘り下げられる。

むしろ逆に、通い慣れた道でなければ
なかなか容易に見出せない発見だってある。
「いつもと違う様子」など、その最たるもの。

一人で歩くのと、同行者がいるのとでも
また大きく違った感覚が、得られるはずだ。
他人の視点は、また違ったトコロにあるから。

「前に通ったから」と、新たな発見が
ないものと思い込んでしまえば、本当に
変化を見落としやすくなるのが、ヒトの目。

本当に好奇心旺盛な人というのは、
「いつものトコロ」からでも新たな
発見を見出す能力に長けた人のコトだ。

そう言っても、まったく過言ではあるまい。

--
こんなハナシを語り合っていたら、
「2杯目に手を出すかどうかが分かれ目」
とu君は言った。その意見には全く同感だ。

かの戦国武将も、2杯目の茶に手を出す
だけ喉が渇いていたからこそ、その変化に
気付き、3杯目まで手を伸ばしたのであるから。

|

« 自称逸般塵の不通の日記(130) 健脚商売 | トップページ | 暗箱に針穴(19) 一期一会の散歩論 »