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2009/12/01

無識者懐疑

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「一般市民」「民間人」が重要なトコロに参加するようなのが
行政や司法の場での最近の流行であるらしいのだけれど、
「専門家」だって完璧な回答を出すどころか意見の一致を
みるコトさえ難しいような場面であったりするから、
いささか危険視する向きも少なくないようだ。

でも、専門家であろうとなかろうと、考え悩む経験こそが
重要なんじゃないかと思うので、短期的にはともかく
長い目で、社会全体としてみれば、悪くないと考えている。
常に考え悩み続ける、それでいいじゃないか。
ヒトなのだから完璧などないが、目指し続けるコトが大切。

個別事象に対する結果は結果として重要ではあるけれど、
数々の事象に触れて経験を重ねつつもなお余計な慣れを持たず
一つひとつの状況を真剣に考えていくという過程もまた、
人間としては重要なものだと、思う。
でなけりゃ社会の構成員であり続ける価値がない、とも。

明確な基準を求めたがるキモチは分からないでもないが、
もし仮にそんなのに行き着いてしまったとすれば思考停止。
そもそも不安定なヒトのヨノナカの共通解など不定で、
見出したと思っても何処からか疑義が差し挟まれる。
ギギギギ軋む社会をどうにかしたけりゃ思考し続ける他ない。

結局のトコロ人々は社会に対して、税金を払うのと同様に
若干の思考コストを提供するというのが望ましいのだろう。

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