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2009/12/29

失敗からは逃げられない

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失敗は誰にとっても気分の良いものではないが、
だからといって挑戦を避けてばかりいては、
何の経験も得られず失敗回避の方法も分からない。

責任を取りたくないからと、自発的に考えたり
動いたりしない、なんて傾向が「最近の若者」に
あるらしいと、どっかの番組で言ってたっけな。

だから時間を費やせば確実にカネを得られるような
時給単位の仕事に若者たちは集まるのだ、という。
きっと目の前に予想される小さなリスクを避けるため。

でも、その先はどうなるか。他人事ながら心配だ。
一生で数えるほど、あるいはより低い頻度の
大きなリスクを回避するには、全く役に立つまい。

社会全体が抱えるようなリスクってのは、
何処の誰に対しても、それなりに影響が及ぶ。
その回避ないし低減は、まずもって容易ではない。

せめて小さなリスクを上手に乗り切るだけの
感覚と能力を磨いておいて、いざ大きなリスクが
迫ってきたときには能動的に動けるようにしたい。

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きっと家庭教育として、幼い頃に小さな失敗を
何度か繰り返してすような経験が重要なのだと思う。

失敗は誰にでも苦痛だ。あまり大きな苦痛を
慣れぬウチに与えては、きっと良くないだろう。
とはいえ、すぐ忘れてしまうような小さな苦痛
であれば、対策を考えるには至らぬだろう。
つまり、ある程度の期間、さほど大きくない苦痛が
持続し続けるようにするのが、考え続けるには良い。

たとえば、「失敗した買い物」など、良いかもしれない。
金額が大きくなければ苦痛は小さいコトだろう。
そして容易に手放せぬような性質の品物であれば、
ずっと手許に置き続けて、躾の一環になるかもしれん。
買い物という選択が失敗した結果を、その後も
否応なしに見せつけるようにする、というワケである。

昔話だの説話だのといった「おハナシ」でも、
単に成功話だけでなく、失敗とその末路まで
時系列で教えるような内容は、良いかもしれん。
「清く正しくないカミサマ」の神話など、ナマナマしい。

オッサンやオバサンが、成功も失敗も含めて自らの
生の体験を若い世代に伝えたっていいだろうし。
だから歳を取ったと実感したら、恥は捨てていいのだ。
そんな考えで、中年を生きている昨今。

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そんな意図もありつつ、考え方の道筋を示すような
内容のハナシを、このブログでは頻繁に書いている。

世間には、手の内を明かすのを忌避する
人も少なくないようだけど、そんなもの
隠すような必要など、ないと思っている。

表面をなぞって真似るだけなら簡単だけど、
同じヒトではあるが、どうせ違った人間。
中身まで本当に同じような性質になるなんて、
まずできるコトではないんじゃないかな。

どうしても考え方を隠したいと思ってしまうような
人がいるとすれば、それは表面的に真似すれば
中身まで見透かされてしまうのではないか、
と不安に駆られているだけだと思う。

あるいは、表面しか持ってないというコトかも?

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