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2010.01.08

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(44) 弘法は筆を選ばず、自ら作る

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シーケンシャルな情報の扱いやすさは、外部記憶媒体を使う
ような頭脳活動の場合でも、また同様なのではないかと思う。

いつも引き合いに出すu君、論理構成能力は非常に優れている
と思うのだけど、記憶力に関しては普通の人と大差ない様子。
その足りない部分を補っているのが、大量の蔵書とのことだ。

どんな情報が、どの書籍のどのあたりに記述されているかを、
ポインタとして記憶しておくだけ。と書いてしまえば簡単だ。
そのコツを掴むには相当な努力が要ったであろうけれども。

u君は幅広い分野の技術を扱う仕事をしているものだから、
先のDBエンジニア氏のように特定分野に特化した知識の
集積は難しいが、個々の情報へのアクセス頻度は高くない。

だから、このような方法が適しているといえるのだろう。

技術職に限らず、大量の知識を活用せねばならぬような種類の
頭脳労働においては、程度の違いこそあれ、このような方法が
使われているのではないだろうか。

実際、エンジニア氏も、ソースコードを完全に暗記している
ワケではなくて、必要な情報がどこにあるかを把握していて
すぐ確認できるというから、似たようなトコロがあるのだ。

そして、このような頭脳活動を効果的に行うためには、
きちんと体系立てられた情報媒体が大量に必要だ。
それこそまさにエンジニア氏が執筆中の本のような。

また、こうして整理された知識を背景に持ってこそ、
迅速かつ的確に、技術を活用していけるのではないか。
彼らのような技術職にとってみれば、専門知識は大切な仕事道具。

自分で整えて、手入れを怠らないのが一番、ってコトなのだろう。

そういうトコロを踏まえて考えていくと、知識ってのは
中身より器が大事なんじゃないかという気がしてきた。
テーブル構造がDBパフォーマンスを大きく左右する如く。

もちろん、その器てのは各人の脳内に作られるのだから、
他人に作ってもらうワケにはいかない。自分でやらねば。
支援は可能だけど、それが役立つかどうかも本人次第だ。

そのあたり、上手に促す方法を、今後も考えていきたい。

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