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2010年1月

2010/01/31

千里の道も一歩ずつ

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人生の旅路は、道を見出してからの方が長いのではないか。

感覚的には、やはり見出すまでの方が長く感じられるけど、
時間的にも、また道筋の長さでも、後の方が長いと思うよ。

歩いている最中には、そうは思わないかもしれないけれど、
後になってから振り返ってみれば、きっとそう思えるはず。

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2010/01/30

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(46) 継続は力を入れず

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数年後、十数年後、数十年後の姿が想像できるかどうか。

たとえば自分だけでなく身近な人たちとの関係だとか、
あるいは企業や団体、さらには社会なども含めて。
もしくは、これから作り出そうとしているモノに対して。

想像できるようなら、きっと長く続くであろう、と。

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2010/01/29

ヒトなんてゲンキンなものでね

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このところ仕事に対する、かなり強い挫折感があったりしている。
受けていた仕事は妙に進まず苦戦していたし、
ひょっとしたらモノになるかと期待された新しい仕事は
ひょんなトコロから途切れてしまったし……。

そうかと思えば2日で4本もの仕事のオファーが入ったりして、
(とはいっても貧乏脱出には程遠い金額でしかないのだけれども)、
それでも明るい兆しがあるものだと、少しばかり浮かれたりする。

--
夕焼け前の青空には見事な鱗雲が流れていた。

しばらくしてから再び見上げたら、もう消えていた。

それでも、見えたコトを素直に喜びたい。

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2010/01/28

ヒトのマに、ヨのナカに

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とかく人の世も人の心も間の悪いトコロばかりが目立ちがち。

だけど誰か(ときに自身を含むヒト個体or集団)を恨んだトコロで
事態が何ら好転するものでもないコトは嫌というほど身に染みた。

そういうのは、もう飽きた。

でもなお呆れるほどにヒト(ときに自身を含む)ってイキモノは
魔が差すというのか、何というのか、そういうコトをしでかす。

ヒトてのはいつも、そんな感じに良くも悪くも期待を裏切る。

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2010/01/27

人の間、合い間、嘆息する間

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ツラいときにはツラいと認めていいじゃないか。
ツラいコトを嘆きつつも、今の環境の中に
何らかの希望は持てないかと模索する。

ダメな自分をダメだと認めたっていいじゃないか。
ダメなコトを嘆きつつも、今の自分の中に
何らかの希望は持てないかと模索する。

もっと効果的な方法はないものかと。

誰かを悪者だとは思いたくないから。
でもヨノナカが悪いとも思いたくないし、
ましてや自分自身をや。

だから、その関係性が問題なのだろうと考える。
環境と性質が合わないからトラブルになる、と。

あるいは、「間が悪かった」とでも言おうか。

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2010/01/26

季節は巡るはずのもの

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寒いからといって、動かずにいれば
余計に身体は冷え込むのではないか。
しかし動けば少しは暖かくもなろう。

一方、暑いときは、熱で倒れぬ程度に
緩急をつけて動くのが良い。
動けば余計に暑くなるけど、
それは一時的なもの。
動きを止めれば涼しく感じられよう。

これ、ヨノナカを生きる上でも通用すると思う。

そしてたぶんきっと、
ちょっとした楽しみがあれば、
そこそこ気楽に暮らせるはず。
とは思っているのだけれども。

それにしても昨今の冷え込みは、
もういい加減に底を打ったのかどうか。

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2010/01/25

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(46) 押して駄目だからといって引けば正解とは限らない

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だいたい他人の行動など、思った通りになるワケがない。

でも、「期待しない」は、「信用できない」と、ほぼ同義。
そうではなくて、「良心に基づいて判断してくれるもの」
と期待するような考えを持って、接していきたいものだ。

その判断材料となる情報を伝えるコトは大切だけれども、
「ああしろこうしろ」とは、とてもじゃないが言えないな。
これじゃ相手に期待してないという態度になってしまう。

もし仮に「代わって判断してやるよ」という考えがある
とすれば、それは「奴には判断できない」というような
思い込みであり、どうみたって信頼する意図はなかろう。

生活のいろいろな場面で、けっこう気になっているトコロ。

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2010/01/24

誰か、は問わず

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「他人を悪く思わない思考」を心掛け、
日常の気持ちの些細な変化を見落とさず、
その一つひとつの流れを追いかけ検証し、
より安全な思考ルートに入っていくよう
手前手前に迂回路を数多く設けておく。

だいたい、そんな感じの工夫だった。

ところが、うっかりすると怒りの感情に
対し鈍感になってしまったりするものだから、
せめて身近な人たちの感情の動きだけでも
敏感であり続けたく、その対策案を検討中。

何れにせよ感情と向かい合う日々は続く。

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2010/01/23

誰か、の複数形?

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今朝まで憎くて寝覚めが悪い。
そんなコトさえも憎々しくて、
ただでさえ憎たらしいばかりの
某ズへの憎しみは強まる一方。

てな具合に負の感情は自己増殖しがちなものなので、
その入口から遠ざかるよう長年かけて工夫してきた。
もっと手前で回避していけば精神的には楽だからね。

今は、こんな感じ。

正月、偶然出くわしたときに妙なほど怒ってて
怒鳴り散らしてきた友人がいたのだけれども、
理由が分からないので怒りを解く糸口も見えぬ。

「何か、あったのかな」とも思ったりはするが、
しばらく会う機会がなくて、ただ、気にはなる。
ときたま、感情を蓄積しやすい人物もいるから。

さすがにもはや落ち着いてるとは思うけれども、
もしも万が一、未だに怒ってたりするとしたら、
それこそ寝覚めも悪くて大変なんじゃなかろか。

いずれ会ったときにでも、何か聞けるかしらん。

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2010/01/22

遅まきながら寒中見舞い申し上げます

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「ぬるい大寒」も、まあ悪くはないんだが、
2日ばかり、急に気温の高い日があったせいで、
ちょとばかりボンヤリしていたような気もする。

再び寒気が戻ってきた翌日の夜には、
ひんやりした空気を頬に感じながら帰宅。
これくらい涼しいのが、やはり性に合うらしい。
(でもまだ少し歩くだけで汗ばむ陽気だ)

冷え込んだ景気、冷たい世間の風、
そんなのも、慣れれば平気になるのだろうか。

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2010/01/21

根回し禁止?

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孤独感だとか孤立感だとか、あるいは疎外感といった感覚には、
悲しいかな慣れてしまったような気がする。
でもやっぱり気分の良いものではないから、
そんな感覚を身近な人には味わってほしくないし、
可能な限り回避できるよう考えを巡らし努力したい。

まあ単純に、余計なトコまで考えすぎてるだけかもしれないが。

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2010/01/20

枯れ蝟集

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「あったら便利で楽しい」というコトは、
「なくても大した不便ではなく、苦痛でもない」
のと、ほぼイコールではないかと、ふと考えた。

貧乏で新しいモノを買えなかったり、
古いモノが壊れてしまったりしてるから、
「これでも平気なんだな」って、実感したりする。

もしかしたら、こうやってヒトは
枯れていくものなのかもしれない。
だからどうだというワケでもないが。

でも枯れたいからといって、わざと
貧乏になったりする人がいたとしたら、
それはそれで違うような気がするけれども。

あるいは、「いなくても大した
問題ではなく、苦痛でもない」ような
人物になるかもしれないが、それはそれで。

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2010/01/19

たまには時事ネタ(61) 通常に告悔せよ?

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以前から不思議に思っていた。

議員に疑惑が持ち上がったとき、しばしば
その議員の追求を議会内で行ったりして
貴重な日程を空費してしまう傾向がある。

「自浄作用」、ってコトらしいのだけども、
結果的には議会の空転が酷くなるだけであり、
ひいては議会全体への信頼感も低下させる。

そんな気がしてならない昨今の動向。

大物とはいえ一部の国会議員の疑惑解明と
国民生活を大きく左右する議案の審議と、
果たしてどっちを優先したいのだろうか。

どうしても国会議員の間で自浄したいという
のであれば、きちんと別の場を設けた上で、
議会とは別日程でやればいいんじゃないか

まずは「鼠を捕る猫」であってほしいのに。

まあしかしヨノナカってヤツは
「ああすればこうなる」的に動く
ようなもんじゃないワケだから、
どこをどう変えたら良くなるのか
なんて、実際のトコロ、ほとんど
確実なコトは言えないのだけど。

ともあれ推移を注視しつつ、考えていこう。

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2010/01/18

暗箱猿人

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ところがヨノナカとは広いもので、驚いたコトに、
「ああすればこうできる」的な発想で、何にでも
確実な解決策があると思ってる連中がいるらしい。
ある意味でメリケンポップみたいで、好きになれない。
単に莫迦阿呆であるだけなら嫌いではないのだけれども、
あまりに硬直化した思考ルートには、いささか閉口する。

分かるから楽しいというコトもあるけれど、
分からないからこそ面白いコトだってある。

なにせヨノナカってのはブラックボックスだよね。
因果関係を経験則で法則化するコトはできても、
その中身を細部に至るまで把握できるはずもなく。
だのに、やればできそうな気がしてしまうあたりが、
テクノロジーの恐ろしいトコロなのかもしれない。
でも実はそうでもないコトを、しばしば思い知らされる。

そう、テクノロジーが全ての課題を解決するなんて
とても信じられない、そんな育ち方をしてきた。
指先だけで1/100mm単位の精度を見極める様子を
小さい頃から目の当たりにしていたのだから。
テクノロジーとは、人間のテクニックが伴って、
はじめて使い物になるのだと、そういう感覚。

また、社会保障制度が全ての課題を解決するなんて
とても信じられない、そんな育ち方をしてきた。
高度経済成長に翳りが見え始めた頃に成人を迎え、
やればできるという夢だけを持って社会に出てみれば、
夢の経済シャボン玉は屋根まで飛んで壊れて消えたよ。
ヒトの過信が強すぎ、システムをも破綻させた現実。

ある意味で場違いなトコロに迷い込んだ子供のような、
「こんなトコロにいていいのか」という漠とした不安感は
きっと一生、拭うコトができないだろうと思っている。
あるいは、そんな自信のなさを常に実感しているので、
「いてもいいんだよ」という雰囲気が周囲にあってこそ
生きていけるのだと強く思っている。

でも、おかげで「ああすればこうなる」の罠には
あまり陥らずに生きていけるのだろうとも、思う。

実は解決策なんて発見できないかもしれないが、
それは見付ける機会を得られなかったのか、
見出す努力や能力の不足であったものか、
それとも存在しないのか、いずれの可能性もある。
どれだったかなんて、気にしない方がいい。
また違った探し物に手を突っ込むだけだから。

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2010/01/17

暗箱に針穴(21) 世界を車窓から

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ここは線路の上。要するに列車の中。
「この視点はホーム上からでは得られないんだな」、
と気付いた瞬間、カメラを構え、1枚。
直ぐにベルが鳴り、視点は否応なしに走り出す。

バスや自動車の中とか、逆に歩道橋の上とか、
あるいは航空機内や船の中など、いろいろあるが、
いずれにせよ、普段とは違う視点を得て、
そう思ったときが撮り時なのである。

機材でも、興味を持ったときが買い時だと思う。
思いついたら記し、思い立ったら動く。
そんなふうにして自分勝手に生きていられたら、
ずいぶん楽なんだけどなあ。

もちろんヨノナカなんて、
個人の思った通りになんて
動いてくれるワケもなく。
ただ得られた機会を積極的に味わうのみ。

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2010/01/16

自称逸般塵の不通の日記(133) 狼狽しない春

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毎年、この蝋梅の季節になると、
撮りに行きたいと思うのだけど、
たいてい決まって行けず仕舞い。

好きな花なんだけど、
微妙に縁が遠い、
そんな気もする。

忙しくてドタバタしていたり、
カネがなくて遠出できなかったり、
いろいろ理由はあるけれど、

花は、また来年も咲くのだからと
焦らず慌てず次の機会を待つ。
うろたえたって撮れるワケでなし。

オロオロしていては逆効果。
ゴロゴロしていても動かない。
ウロウロしていれば、もしかしたら。

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2010/01/15

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(45) 早起きは三文小説の得?

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たまには朝から起きて仕事するのも悪くはない。
ひんやりした空気は強めの覚醒作用を持ってる。

おかげで何か妙なストーリーが1本できてしまった。
ほんの1時間ほどで、ほとんど悩まず書き上げた。

で、出掛けるのも1時間遅れてしまったワケだが。

ただ、出来上がったのは、なんつーか柄にもなく、
妙に安っぽい、どうにも中途半端な現代小説風。

いや、現代小説なのかどうかも、よく分からない。
読んでる活字の中で小説の比率は少ないもので。

てなワケで。柄にもなく解題。人コレを蛇足と称す。

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2010/01/14

試小説(5) ケータイ小説

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目が覚めたとき
あたしは自分がダレなのか
まるで分からなくなっていた

まわりにはダレもいない
ダレの声も聞こえない

…違う

遠くでダレかが呼んでる

気がする

じっと
「…………」
耳を澄ませたけど

その声の意味は分からない


……あ!

ダレかが目の前を
通り過ぎてゆこうとする

待って!
待って!

おねがい!
待って!!

でも
そのヒトは気付いた様子もなく

そのまま
行ってしまった


どうしよう
どうしよう

あたし
ひとりぽっち
なの?

そういえば
友達の顔も名前も電話番号もメールアドレスも
何ひとつ思い出せない

てか
あたしはダレ?
それさえも思い出せない

あたし
どうなっちゃうんだろう
どうしたらいいの?


遠くの声は
相変わらず
ナニかを伝えようとしているみたい

だけど
あたしには
それを聞き取るチカラがない


「あたしはここ
おねがい
みつけて」

いくら叫んでも

あたしの声は
ダレにも届いてないみたい

目の前のダレも
気付いてくれない

ただ通り過ぎていくだけ


あたしは

ひとりぼっち?


街の中を

さまようばかり?


このまま

ずっと……?

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2010/01/13

世界で一つだけの発見、ってのは他の誰もが知らないワケで

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知的財産なんかでも、そうだろう。
全く誰一人として知らないネタを
たった一人で持っていたって
価値も理解されやしない。

ヒトのアタマで作り出されたモノは
他のヒトのアタマに伝えられて
認められてようやく本物だ。
特に最近、強く思う。

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2010/01/12

理系用語で読み解く社会(62) 社会的発見は個体的発見の繰り返し、ではないらしく

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自分がソレに気付くなんて、
実はさほど大したハナシじゃない。

そうじゃないんだ本当は、

皆が気付いてくれないと、
まるで意味がないトコロなのに。

さてどうしたものかね。

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2010/01/11

冬こそ新陳代謝を活発に

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それにしても、ここしばらく、固すぎる。
散歩や活字が不足すると、いつもこうだ。
思考形態が硬直化してしまって良くない。

最大でも1日1本という更新頻度を守るべく、
平均8割のデキを目指しているのだけれど、
実質6割くらいというのが実態ではないか。

日頃とは少し違った分野の仕事が動き出し、
ちょっとは刺激になると思うのだけれども、
その前に頭脳という道具の調子を整えよう。

趣味や日常生活はもちろん仕事においても
とても重要、いや必要不可欠な道具だから
きちんと役割を果たせるようにしとかんと。

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2010/01/10

違うからこそコントラストが生じるもので

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考えてみれば、書籍や雑誌をはじめとする活字情報への
接し方というのは、ずいぶん人それぞれであるもので。

最近では、情報はWebにあるから活字なんて必要ない、
なんて考え方もあるようだが、Web的な存在の情報は、
活用するのにヒト以外の手を借りねば難しい。

たとえば検索とか、統計や分析処理だとか。そういった道具。
その程度の道具なら当然、ほぼ誰でも使えるものでもある。

でも、欲している情報を、このようなツールで篩い分けたとしても
なお、雑多な不純物が混じるのは、今のところ避けがたいトコロ。

さらにもう一段階、高い純度の情報を得るためには、
やはりヒトの頭脳による処理が不可欠なのではないか。

体系立てた専門知識にしろ大量の外部媒体のポインタにしろ、
あるいは知識消化器官にしろ、それぞれ手法は大きく異なるが、
各自の仕事や志向に沿って自ら構築してきたものであり、
新たに得た情報をより高純度にするための種結晶ともいえる。

道具が存在し得るなら、それを自ら作ったり調えたりして
使える状態に保ち、かつ使いこなす技量を持てば役に立つ。

ヒトは必ず頭脳という道具を持ってるものだし、
それは個体ごとに、いろいろな癖があるものだ。
だから使いこなしてみたらいいんじゃないかな。

他人の考え方だの生き方だのを格好良いと思い、
見える範囲を真似てみるのも悪くはないけれど、
首の上にあるソレの癖に見合った姿だろうかね。

むしろ自分のアタマで練り上げた思考を大切にして、
また逆に他人のアタマでできたのも尊重しておれば、
いいんじゃないか。

この頭脳には、何故この思考が宿るのか。
あの頭脳には、何故あの思考が宿るのか。
両方の認識が明確でなければ人は見えない。

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2010/01/09

知識を焚いて走る思索エンジン

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一方、知識の活用より深い思索が求められるような種類の
頭脳活動だと、また違ったカタチの本の扱いになるように思う。

昔から濫読、乱読。また濫読。要するに知識のランダムアクセス。

科学書からドキュメンタリー、論考、エッセイ、コラム、文学、
活字に飢えていた頃には事典を端から読んだコトもあった。

でも、そんなに知識を蓄えているワケではなく、むしろ乏しい。
個別の知識は思索の際に使うけれども、常に必要ではない。

頭脳労働の中身は、DBのような蓄積型処理とは大きく異なり、
むしろ知識を流してその解析を行っているかのような、処理。

別の言い方をすれば、どんどん流れ去っていく知識を眺めつつ、
そこに生じる波のカタチを眺め続けているかのような、感覚。

あるいは知識を消化して養分だけ吸収しているかのような、
そうやって、未消化物は、どんどん排出していっているのだ。

如何なる知識であれ、「知識」とされる以上はヒトがカタチにした
ものであるから、そこには必ずヒトの思考が介在しているワケで。

大量に集積して蒸留していけば、再びヒトの思考が結晶していく。
無数のヒトの、混在する、ヒト社会全体を見渡す統計情報として。

だもんで、やはり知識はあんまり身に付かない。

いや、記憶能力なんて、ヒトである以上、一部の例外を除けば
大した差などないものだから、そんなもんだろうとも思うけど。

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2010/01/08

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(44) 弘法は筆を選ばず、自ら作る

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シーケンシャルな情報の扱いやすさは、外部記憶媒体を使う
ような頭脳活動の場合でも、また同様なのではないかと思う。

いつも引き合いに出すu君、論理構成能力は非常に優れている
と思うのだけど、記憶力に関しては普通の人と大差ない様子。
その足りない部分を補っているのが、大量の蔵書とのことだ。

どんな情報が、どの書籍のどのあたりに記述されているかを、
ポインタとして記憶しておくだけ。と書いてしまえば簡単だ。
そのコツを掴むには相当な努力が要ったであろうけれども。

u君は幅広い分野の技術を扱う仕事をしているものだから、
先のDBエンジニア氏のように特定分野に特化した知識の
集積は難しいが、個々の情報へのアクセス頻度は高くない。

だから、このような方法が適しているといえるのだろう。

技術職に限らず、大量の知識を活用せねばならぬような種類の
頭脳労働においては、程度の違いこそあれ、このような方法が
使われているのではないだろうか。

実際、エンジニア氏も、ソースコードを完全に暗記している
ワケではなくて、必要な情報がどこにあるかを把握していて
すぐ確認できるというから、似たようなトコロがあるのだ。

そして、このような頭脳活動を効果的に行うためには、
きちんと体系立てられた情報媒体が大量に必要だ。
それこそまさにエンジニア氏が執筆中の本のような。

また、こうして整理された知識を背景に持ってこそ、
迅速かつ的確に、技術を活用していけるのではないか。
彼らのような技術職にとってみれば、専門知識は大切な仕事道具。

自分で整えて、手入れを怠らないのが一番、ってコトなのだろう。

そういうトコロを踏まえて考えていくと、知識ってのは
中身より器が大事なんじゃないかという気がしてきた。
テーブル構造がDBパフォーマンスを大きく左右する如く。

もちろん、その器てのは各人の脳内に作られるのだから、
他人に作ってもらうワケにはいかない。自分でやらねば。
支援は可能だけど、それが役立つかどうかも本人次第だ。

そのあたり、上手に促す方法を、今後も考えていきたい。

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2010/01/07

Webへ出るなら書を捨てずに

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ちょっと前に、腕利きのDBエンジニアと話をする機会があった。
得意とするDB技術の知識を書籍としてまとめているのだという。

執筆のため全ソースコードを読み込んで細かな挙動も調べ上げ、
積み上げた内容は、かなり端折ったものの大部になるとのこと。

体系立てて書かれた書籍の情報はシーケンシャルに読者の脳へと
書き込まれるものだから、必要とする人には大いに役立つだろう。

Web上にも膨大な情報が存在しているが、断片的なものばかりだ。
そういった知識はランダムに脳へと書き込まれ、処理されていく。

もし仮に、同じ内容・分量の情報を同じ処理能力の脳に与えて
パフォーマンスを比較するとしたなら、どちらが有利だろうか。

ランダムに書き込まれた情報を、より使いやすい形にするには、
ソートしたりマージしたり名寄せしたりといった処理が不可欠。

上等な専門書は他の情報源と比べると決して安くはないが、
体系立った知識を脳内に構築するまでの時間を短縮できる。
そのために払うコストとして考えれば、安いものだと思う。

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2010/01/06

器用貧乏なる一生

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器用貧乏で、ちょっとしたコトなら一人でやってしまうから、
良くも悪くも一人でウロチョロする機会が多かったりして、
変人扱いされるのだが、さすがに中年ともなると慣れた。
もともと、それでいいと思っていたから、気にしない。

「そんなダラダラと生活していて、何か一つでもカタチを残せるのか」
なんて具合に、叱咤される機会もないではない。主に中の人から。

もし可能であれば、そんな「自分の作品」を、写真だの文章だの、
あるいは他の何らかの形態ででも、残してみたいとは思っている。

でも、人生あるいは自分自身というのも、また作品の一つ。
この先の筋書きは不透明だけど、テーマだけは決まってる。

いずれは誰でも気付く可能性のあるコトを、
わざわざ勿体振って遠回しに語ってたりする。

それだけの、簡単な、生き様。

そんなコトを一生かけて、やろうというのだから、やはり変人かね。

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2010/01/05

外は器用で貧乏で、中はドロドロ

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身体や思考の器用さには、それなりに自信がある。
でも、単に器用なだけでは、何か足りない。

それこそ器用貧乏というトコロだ。
一芸に秀でているというワケではないから。

それはたぶん、性格的な問題があるとも思う。
とても多くのモノゴトに好奇心を抱いているから。

オトナ的な感性でモノゴトに触れるとすれば、
遠からず脳裏に新たな知恵を導き出せよう。

コドモ的な感性でモノゴトに触れればそれは、
きっといつか身の内で新たな感覚を生み出す。

この、両方の感性が、ときに絡み合ったり、
ときに競合して、いつもフラフラしている。

我ながら、なかなか複雑な食感であるなあと、
いつも味わいながら強く実感している次第。

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2010/01/04

所持品紹介(22) 服を選ぶ人、人を選ぶ服

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仕事で取引先などを訪れる際には基本的に背広を着ていて、
冬になると、その上に黒の長い長いコートと帽子を着用する。
いいかげん中年になってきたので、近年では個人的な
用事でも、その組み合わせを好んで着るようになってきた。

たまに書いているように自称160cm弱の身の丈に対し、
貰い物なので、きちんと寸法を知らないのだけれど。
おそらく170cm以上の人に合わせた着丈のコート。
だから裾は靴のすぐ上まである。でも肩幅は丁度良い。

当然、階段の上り下りでは、段に擦れてしまいそうな長さ。
ちょっとした足捌きで、そんな裾を軽く翻すようにして、
踏んだりするどころか、段にも触れさせずに歩く。

それも、たいていは1~2段抜きで、ただしセカセカしたのは
嫌だから、あまり早足ではなく、ゆったりと大股で、かつ
足音をバタバタさせるのも好きじゃないので、ごく静かに。

たぶん、傍目には、違和感を覚えるのではないかと。
(といってもヒトの動作に関心を持たぬ人には
全く興味のないコトかもしれないが)

そんな器用な歩き方は、季節を問わないのだけども、
特に真冬には、これほど着用者を選ぶようなコートを着て
普通に歩けるくらいの器用さであるコトを、少し楽しく感じる。

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2010/01/03

自称逸般塵の不通の日記(132) 初日撮影会

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なんとなく毎年の恒例行事のようになりつつある初日の撮影、今年は総勢4人。
昨年は2人、もっと以前は1人だったから、年々倍増を続けている計算になるか。
もし来年、8人なんてコトになったら面倒だなあ。

場所は昨年とほぼ同じく拝島橋附近。ただし今回は橋の下の河川敷に降りた。
前回の日の出の後に散策して、撮影ポイントの候補としていた場所であった。
霜だらけの枯れ草をかき分け、踏み分け道を辿る。

仲間内で集まって年越しの飲み会をしていたせいで酒が抜けていなかったが、
昨年より体感の冷え込みは緩く、指先爪先が冷える以外は特に気にならない。
例のマフラーも、まるで出番がなかったほどだ。

そういえば機材も、いろいろ都合があって、今回含めた3回いずれも違ってる。
今年は反射光学系の超望遠まであるので、その意味では充実したといえるか。
とはいえ、手持ち600mmは、やはり挑戦が過ぎる。

完全にシラフで、三脚があって、ようやくマトモな写真が撮れるようなモノ。
今回に関していえば、50mmや90mmで撮ったカットの方が、デキは良かったな。
もっともっと使いこなせる余地があるってワケだ。

まずは今年1年しっかり生き抜いてやろうじゃないか。いろいろ課題もあるが、
中には解決できるトコロもあるだろうし、そうでなくても変化はあるだろう。
来年は、撮影場所も撮影機材も、まだまだ未定。

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2010/01/02

道具とヒトとの、相互依存関係

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「使い手を選ぶ品物」を使いこなすなどは、好きだ。
誰でも使える道具は、どれだけ熟達したとて
他と大差ない結果をもたらすばかりだけれど、
たいてい、「人を選ぶ」品物には強い癖があって、
合わない人が使ってもロクな結果にならない反面、
その癖と使い手の癖がマッチしたときには、
かなり強い効果を発揮してくれたりする。

思考に関しても、似たようなトコロがある。
ある程度なら他人の真似をするコトも可能だけれど、
やはり「使い手を選ぶ」ような面があって、
どうも身の丈に合わぬ思考スタイルは宜しくないし、
逆に性質に合うようなものであれば、
そこからバリエーションを広げていったりできるし、
ある程度は性格にも反映していけたりする。

自分で体験してみないと身に付かない性質で、
他人から教わるのが苦手なもんだから成長が遅い。
けれども、自分自身で組み立てた思考パターンや
自分で選んだ品物に合わせた身体の動かし方を、
着実に身に付けてきたのではないかとも思う。

ヒトにとって最も使いづらい道具は、ヒトであろう。
だからいつも、その使いこなしに熟達したい、と願う。

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2010/01/01

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(43) 一寸の霧中にも五里の無我

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霧が晴れたと思っても、見える範囲はちょとしたもの。
実はヨノナカ、どっちかというと不透明なものなので。

果たして今年の初日を、無事に拝めるかどうかさえも、
2010年1月1日午前1時の時点では、確実には分からん。

まあしかし、もし遠くの先々まで見えてしまうのなら、
希望どころか、気休めさえも得られないだろうからね。

だけども、努力して経験を積んで感覚を磨いてやれば、
もしかしたら、少しは先が見通せるかもしれないのだ。

ヨノナカというのには、そういったトコロがあるから、
ついつい先を見たくて、いろいろと考えてしまう次第。

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