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2010/02/28

科学系ヨタ話(12) 人々は下から動く

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先日、海洋研の研究報告会を見に行ってきた。
テーマの一つは「海溝型地震・防災研究の最前線」、
皮肉なコトにタイムリーな内容となってしまった。
まだ現時点では被害の全貌が見えていないものの、
また相当な規模の災害になっていると思われる。
ハイチに続いて国際的な支援が待たれるトコロだろう。

研究報告会のパネルディスカッションの中では、
震災がもたらす被害状況や、その対応策について、
大都市と地方とで大きな違いがあると指摘されていた。

大都市では「多数の帰宅困難者が生じる可能性が」、
地方では「せめて高速道路だけでも被災地への
交通手段として残るように」というくらいの違い。
もちろん建築物の耐震化などは全国的に求められるが、
その対象となる建築物の密度、そもそも人口密度に
大きな差があるのだから、質的に異なるのは当然だ。

国ができるのは、主に全国一律画一的な対策。
それから災害の多い地域を限定して重点的に。
ある程度の融通は利くけれど、それ以上は難しい。
ゆえに自治体など地域レベルでの対策も同時に
必要となってくるワケで、それを滞りなく実施
するためにも国の予算を配分していく、となる。

もっと大切なコトがある。県の防災担当者は、
「自分の命を県や市に託さないでください」と
語っていた。つまり自力で守るコトが重要だと。
一瞬の判断や行動は自分自身でしか決められない。
誰かに決めてくれと頼んでいる間に時間は失われる。
しかし災害は、それを待ってくれるワケではない。

「津波てんでんこ」という言葉がある。この言葉は
いろいろな解釈ができるのだが、家族バラバラに
なってでも構わず逃げろという理解が一般的だ。
つまり、せめて一人でも生き残る可能性を高めようと、
そういう教訓として、しばしば引き合いに出される。
逆に言えば、まさに個人で判断して行動せよ、と。

機械は想定されたコトを効率的に行うための道具。
ヒトは想定外の状況に対応できる可能性を持つ存在。
逆に言えば、想定範囲だけで生きてるようなヒトは
容易に機械と置換可能、というトコロになるかな。
組織というのもまた機械に似たトコロがあって、
想定外の事態には組織内個人が対応していたりする。

もちろん予防的な取り組み、被害軽減のための日頃の
準備や、普段からの心掛けについて啓発するといった
トコロについて公共団体や地域コミュニティが取り組む
ことが望ましいのではあるけれども、その上でさらに、
想定外かつ生命の危険が迫るような災害時においては、
個人レベルでの対応力が問われるというワケだ。

そういえば防災担当者は、こんな指摘もしていた。
「大人に言っても、なかなかやってくれない。
だから子供たちへの啓発が大切だと考えている」
広域災害に遭う機会など、一生を通じても数える
ほどでしかないだろうから、どうしても大人は
「大丈夫だった」という感覚の方が強くなりがち。

年齢の低い頃に、きちんと災害の教訓を得ておく
という経験が、将来の彼らの考え方に影響を及ぼし
ひいては社会全体の考え方を作り上げてくれるだろうと。
こうも言えるんじゃないかな。
今を改善するには時間が足りないけれども、
将来についてだったら、まだ間に合うだろうと。

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