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2010.02.11

試小説(6.0) 赫たる夜の秘めたる騒動の後のまつり「一.竹取里を再訪す」

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残された関係者の声を収集するには、やはり事件の中心地から始めるのが良いだろう。そういう意図から、まずは十二年振りに竹取の里を訪れた。
今となっては緩やかに時の流れる普通の村落で、あのお祭り騒ぎなど、まるで嘘のようである。
唯一、当時の様子を思い起こさせるのは、村外れの竹林を背にした大きな館の存在だろうか。翁と媼と姫の館は、今もそのまま残っているのだ。ただし、そこに住む者は一人もおらず、村の外から訪れる者も絶えて久しく、館は静寂に包まれている。
聞けば、館や敷地、背後の竹林をはじめとする裏山一帯、さらには田畠など、翁の所有していた不動産は全て村人たちが共同で管理しており、怠ることなく手入れを続けているのだという。

竹林の端を区切る小さな川に面したところに、館から最も近い村人の住居がある。ここには、ちょうど当時の翁や媼に近い年頃の、年老いた夫婦、ササとシノが暮らしている。跡を継ぐ息子夫婦は孫たちを連れて畑仕事に出ており、村の他の家に嫁いだ娘もいるという。老夫婦は、一番下の孫娘をあやしながら、十二年前の騒動について語ってくれた。

一家は、自らの小さな田畑を耕す傍ら、ときおり竹林から竹を切り出して細工物を作って売り、生活の足しにしている。このような暮らしは、ずっと以前も同じだった。
そもそも竹取の翁は、このあたりに少なからぬ田畠や山林を所有する、小規模ながら裕福な在地領主の一族の長であった。繁忙期には近隣住民を雇い入れて農作業を手伝わせ、その代価として年に数回、自らの竹林に近所の村人たちが入って筍や竹を切り出すことを許す、というのが昔からの習わしだ。
また、翁は竹細工を得意としており、自ら細工物を作って都へ売りに出ていたほか、村人たちにも細工を教えていた。
「翁は、わしら村人たちにも親切にしてくれたんですよ。自分で細工物を作るだけでなく、わしらにも竹細工をいろいろと教えてくれました。上手にできたモノは翁が引き取って、まとめて都へ売りに出てくれたので、わしらにもいくらかのカネが入りました。といっても、今にして思えば、だいぶ安く買い叩かれていたようでしたけどね。なにせ、この細工用の小刀を買って、ほとんど砥ぎ減らすほど使い込んだくらいになって、ようやく細工物の稼ぎで次の小刀を買える、というくらいでしたから」とササは言う。

翁が、所有する竹林で光る竹を発見し、その中から小さな女の子を見出してからは、村人たちの生活も大きく変わった。翁は姫の後にも竹の中から多くの金銀を得て、成金となり、姫の養育のため館を拡張、敷地を拡大、高い塀を巡らすなどの増築工事を行ったのである。館の周辺に出没した都の貴族たちが地元に落とした額も含め、非常に大きな経済効果を地元にもたらしたことは間違いない。この頃、翁や都の貴族たちは多くの村人たちを下人として雇っており、また近隣の村人たちや、浪人たちまで、こうした経済効果に群がった。
「なにしろ、一時期は館の前に門前市が立つほどでしたからね。どこから来たのか分からぬような連中が大勢やってきて、そこかしこで勝手に商売を始めたもんだから、本当に大騒ぎでした。もちろん私ら村の者も、いろいろな品物を売りましたし、ちょっと大きな家を持ってるヤツは貴族の方の宿として貸したり、馬や牛を預かって世話したりして、けっこう稼いでいました。わしらの家は小さいし、大した財もないので商売はできませんでしたが、よく翁の館の手伝いをして小遣いをもらっていましたよ」

ササは工事の人足から、各種贈答品の運搬や手紙の配送などといった使い走りまで、館の内外でさまざまな仕事をし、シノは姫の衣類の洗濯物や炊事掃除など、主に館の中の仕事をしていたという。他の村人たちも、財のない者は似たり寄ったりだ。だが、誰にも姫の顔を見る機会はなかった。姫は館の奥の間から全く出ることはなく、媼が専属の下女のようにして世話をしていたとのことだ。彼女らは、その媼の世話をするような下働きの役割を担った。
こうした仕事で、それなりの現金収入を得た村人たちだが、その一方で嫌な経験も少なくなかった。盗みや喧嘩などの騒ぎは絶えず、やむなく翁は村人たちに自警団を組織させ、さらには周辺の村人や浪人者まで雇って、治安維持に務めなければならなかったとのことだ。また、村を訪れた貴族や供の者たちは、しばしば彼らを奴婢のように扱った。さらに翁や媼も、ときとして村人たちに厳しく接したコトもあったという。特に媼が、雇い入れた下女たちに辛く当たることが多かったと女は語る。
「あの人たちは村そのものに用事があるんじゃなくて、都の方々は姫様に、浪人者は賑わいに、それだけしか考えていないんですよ。どうせずっと村にいるわけでもありませんし、いずれ用事が済めば去ってくれるでしょう。私らも、そういう人たちだと思っていれば、まだ我慢できます。だから逆に、そんな扱いを媼からも受けたときには、本当に嫌な気分になりましたねえ。でも、後になって思えば、あのときは翁も媼も姫様を誰の目に触れさせまいと、とにかく必死だったのでしょう」

当時の浮わついた雰囲気は、まったく異様な状態であった。
たとえば、「姫の持ち物を盗み出してきた」と主張して安物を売りつけようとする者も少なからずいた。中には、「姫の顔を見、声を聞いたので、その人物像を教える」などと吹聴して貴族に取り入ろうとした男がいたが、話をしているうちに整合性がなくなって疑われ、詐欺を認めたという間抜けな事件なども、記録に残っている。
また、騒動のあまりの盛り上がりと、その後のあっけない幕切れゆえに、姫そのものの存在を疑う人も都には少なくない。特に疑惑を招いているのが、姫の文とされる手紙だ。明らかに複数人の筆跡が含まれており、中には男性が書いたと思われる筆跡もある。
「いいえ、姫様が実際におられたことは間違いないですよ。貴族の方々との間の手紙は、必ず翁か媼が取り次いでいましたけど、どう考えても奥に一人おられる、そういう気配がしていたんです。わしが取り次いだ文は直筆ばかりでなく、翁や媼の書いたものが少なくなかったでしょう。翁が目の前で書いて封をするところも見てますからね、姫様の名前で。でも、翁や媼が外にいるのに、館の奥の奥で灯明が揺らめいて、幽かに筆が紙の上を滑るような音がして、それから文を託されたこともあるので、これは間違いなく姫様の手紙だったはずです。といっても、わしゃ字を読めませんから、姫様の字がどんなのかは、見てもわかりませんけど」と、ササはその疑惑を否定する。

姫が月に帰った後、老夫婦は落胆し隠棲。ほどなくして翁が亡くなり、媼は館を去って出家、その後の消息は聞かれない。土地や館は村の共有物として遺され、冒頭に見たとおり、村人たちが共同で管理している。わざわざ都から訪れる者もなくなり、再び村は静かになった。
夫婦は以前と同じように慎ましい生活を続けている。そうして、子や孫たちを育てつつ、無事に齢を重ねてきた。村人の多くが、大きな稼ぎこそ得られないものの平穏な日常に戻ったことを喜んでいるという。しかし年月が経過した今、当時を懐かしく思う気持ちも、また強く残っていることに気付いている。ササは、こんな話をしてくれた。
「今度、翁の館に社を建てようかって、村に残った連中で話し合っているんです。もちろん姫様を祀るためですよ。たしかに、いろいろ嫌なこともありましたが、嬉しいこともあった。今じゃ誰もが村の恩人だと思っています」

一方、村人たちの中には、かつて頻繁に訪れていた都の人々に雇われたり、あるいは商人となったりして村を去った者も少なくない。夫婦の下の息子ノギも、ある貴族の付き人に馬方として雇われ、都へ出て行った。だが、そうして村を去った者たちのほとんどは、その後の消息が分からないまま。不慣れな都の生活に苦労しているのではないかと、村に残った者たちは考えているようだ。シノも、息子のことをしきりに心配している。
「ウチの子ですから、もちろん字を書くなんてできやしません。私らも、字なんてまるきり読めません。文を寄越すことはできないんです。それに、きっと言伝をするほどにも稼げていないでしょうし……。出て行った村人たちも、ほとんど同じ。何年かに一度、奉公先から暇を出されて帰ってきたり、商売ついでに立ち寄るのがいるくらいで、そういう連中も、出て行った他の村人たちの様子は聞いてないそうです。『なにしろ都はでかいから、道を歩いてて知った顔に会うのも難しい』と。ノギも、一体どうなったやら……。そんなに人がたくさんいるところで、独りぼっちになっていたりやしないでしょうか。記者さん、ご存知ないですか」

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