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2010.02.12

試小説(6.2) 赫たる夜の秘めたる騒動の後のまつり「二.大寺にて匠は技を伝えんとす」

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続いて訪れたのは、とある郊外の大寺。
ちなみに今回の取材は、厳に匿名との条件で応じてもらえたものであり、特に地名、寺や取材相手の現在の名は伏す。
寺の敷地の奥まったあたり、掘立柱の外塀に接するようにひっそりと、その金銀玉石細工人の寝起きする小屋があった。小屋は工房も兼ねており、訪れたときには本堂内の飾り金具の修繕をしているところだった。中から、澄んだ小さな槌音が響くのを聞いて、少しほっとした。

「ようこそいらっしゃいました。お久し振りですね。都からでは遠かったでしょう。……でも、このくらい離れていないと、私も安心して暮らせませんので」
仕事の手を休め、顔を上げた彼の頭髪には、だいぶ白いものが混じっていた。十二年の隠遁生活、いや、もっと前からの流転の暮らしに、相当くたびれたのではないだろうか。
「まさか、再び寺の中で仕事をする生活になるとは、想像もしていませんでした」と工人は苦笑する。
「でも、目立たぬようにしていれば僧たちに混じって勉強もできますし、なんといっても寺の中は静かなものです。少年時代に戻ったようで、仕事にも勉学にも落ち着いて取り組めますよ」

例の騒動より前に、私は彼の取材をしたことがある。親方時代の名はトモハタといった。
「若くして学識豊かな革新親方の誕生」と、紹介した。
あのときは、こちらも若かった。その高い学識を生かした、これまでにない作風は、必ずや都の工房という工房を席巻するであろうと、確信して、興奮し、筆に熱が入りすぎたのだ。当時の上司からは冷や水のような言葉でたしなめられた。
だが、今でもトモハタの芸は余人を寄せ付けぬ高みにある、いや今だからこそむしろ、そう思える。

都の下級官吏の子として生まれ、幼くして出家して寺に学び、ほどなく頭角を現す。写経の美しさは高位の老僧をも凌ぐほどであり、曼荼羅を描かせれば唐物より見事な仕上がりで、他の寺からも制作を依頼されるようになるまで、さほど間はかからなかった。
加えて学才もあり、数々の経を誦んじ問答にも長け、間違いなく同窓の学僧たちの筆頭であった。末は僧正かと囁かれた彼が工人へと転身したのは、もとはといえば学僧たちの間の他愛もない噂話がきっかけだ。
ある日、見習い僧となっていたトモハタが、もとは出家した大貴族の子弟である同じ寺の高僧の一人と問答したところ、手も足も出させず論破してしまった。その高僧を日頃から快く思っていなかった多くの学僧が、「そう遠からず逃げ出すに違いない」と高僧を揶揄したのである。
噂話の足は速く、その歩を止めることなどできぬもの。すぐ上位の僧侶たちの耳に入る。当然、寺の秩序を乱す行為として咎められようとしていた。
それを知ったトモハタは、同窓の学僧たちに累が及ぶのを避けようと、自ら還俗願いを出して寺を離れ、知り合いの細工人の許に身を寄せた。これが第二の人生の始まりであった。
その工人は以前からトモハタの手先の器用さや美的感覚を高く評価しており、好待遇で迎え入れてくれたのだ。数年の月日が過ぎる頃には、親方株を引き継ぐまでに彼は成長を遂げる。私が取材したのは、まさにその頃のことだ。

当時トモハタは、こう語っていた。
「これからの工人は、孤立していてはいけないと思う。それぞれに得手不得手があるのだから、親方どうし対立し合うばかりでなく、ときには手を組んで、より高度な仕事に挑戦する方がいい。そして、より良い品を作ったら、より高い代金を得ていくべきである。というのも、親方たちは技を絶やさぬよう次の世代の工人を育てていかねばならないから。また、さまざまな作品や物事に触れて学んで、自らの技をより高めるためにも、相応の資金が必要なのだから」
口先だけではない。親方を務めるようになるや、そうした考えに基づいて行動を開始した。顧客である貴族や寺などの依頼を、実際に彼が中心となって複数の親方が分担し、これまでにない短期間で高度な仕事を成し遂げた事例は少なからずある。そして顧客との間の代金や納期の交渉、進捗の管理や報告、作業分担に応じた報酬の配分なども精力的にこなしつつ、そういった段取りを他の親方にも伝えていった。都の親方たちも彼に習い、かつての工人になかった交渉力を身に付けていった。
加えて彼は、もちろん一人の工人としても名声を博していった。細かな技法についての腕前だけでみれば、より老練の工人に及ばぬ面もあったが、高い学識を活かして従来にない新解釈を取り入れたり、既存の手法より効率的な作業手順を編み出すなどして、より良い品をより短期間に作り上げる才能は、他の追随を許さぬものである。僧籍を捨てた一件からも分かるように、彼は自身のために他人を犠牲にするようなことを許さぬ性格であり、そうした人柄もあって、若いながらも多くの工人たちから頼りにされる存在となっていった。

車持皇子が「蓬莱の玉の枝」贋物製作を企んだとき、トモハタに白羽の矢が立てられたのは、そんな評判からすれば自然のなりゆきだったといえよう。
急ぎの上に本物らしさが求められる高度な仕事であり、日頃は阿漕な車持皇子が金に糸目をつけないと約束したこともあって、彼は工人仲間を募って取り組んだ。しかし代金を踏み倒されそうになり、やむなく皆を引き連れ翁の邸宅まで追い掛けて、無事に支払いを得たことは周知の如くである。
これが、彼を第三の人生に追いやる結果となった。しばらくしてから、さまざまな形で業務妨害を受けるようになったのだ。完成した品物を納めに行く途中で荷車が襲われたり、買い付けた材料が工房の近くで見知らぬ武人の一団に追い返されたりしたという。
「皇子から逆恨みされたのでしょうね。……いえ、明確な証拠はありませんよ。そもそも私は、できることなら他人を疑いたくはありません。ですが、これまでの人生で、完全な仲違いになったのは皇子だけです。それに、妨害が始まったのは、翁の遺言で例の作品が私に遺贈され、それが都に知れ渡った頃でした」
かつて論破した件の高僧とも、還俗の後に話し合って親しくなったほどの彼である。顧客からも高額の報酬を得ているが、それは彼が顧客を納得させるだけの働きをしているから、むしろ顧客たちは満足して払っている様子だった。そもそも基本的に他人から憎まれるような性質ではないのである。類い希なる才能を持つが、他人を決して低く見たりしない。
だが、そんな彼の唯一の敵対者が、あの皇子だとは皮肉なもの。彼が懇意にしていた他の大貴族たちでも、皇子に対しては諫めることさえ難しい。そうこうするうちに業務妨害は酷くなり、生命の危険さえ感じるようになった。今でも彼は、そのときの様子を思い出して悪夢を見ることがあるという。
「たとえば、道を歩いていたら目の前で材木を満載した荷車が倒れ込んできたことがあります。危うく下敷きになるところでした。夜道で、つかず離れず後を追う足音が聞こえるのは、いつものこと。しかも、私だけのことならともかく、弟子や家族、先代の親方や、工人仲間にまで危害が及びそうになったのです」

もはや他に打つ手はない。
若い盛りに僧籍を捨てたトモハタは、働き盛りに親方株も捨てることになった。
家族の身の安全を案じて一人、名を変えて、懇意にしていた郊外の大寺に、お抱えの工人として密かに就職した。抱え工人ゆえ他からの仕事は受けられない。貴族たちから依頼されることもなくなり、仕事も激減した。
「収入はともかく、作品を作る機会が減ったことが、工人としては残念な限りです。ただ、時間には余裕ができたので、若い工人たちに私なりの技術を伝えることは行っています。せめて自らの技を磨き、そして広めていきたい」
家族の生活の足しにと、最後に手許に残った作品である「蓬莱の玉の枝」も売り払った。もはや技そのものが、彼の唯一の財産であり、生きる支えとなっている。
「家族の消息は、昔の工人仲間や、この寺の僧侶、下男たちが、ときおり伝えてくれます。『玉の枝』を処分したことで妻の老後には困らない程度の金がありますし、私が去ってからは危険を感じることはなくなったそうですが……。まだ皇子が存命である以上、私が帰ることは危険でしょうね」

もしトモハタが、皇子の依頼を断っていたら、どうなっていただろうか。
「我々のような工人ごときが、貴族からの依頼を断るなんて、まずできるものじゃありません。ましてや皇子のご依頼です。あのときには、受けるしかなかったのです。依頼された以上は、全力を尽くして作り上げねばなりません。だからこそ工人たちには、その仕事に見合う報酬を得るべく、努力と工夫が必要だったのです」
だが、そんな彼は今でも、公衆の面前で腹黒い車持皇子の企みを露見させ、鼻をあかしてやった過去を誇りに思っているという。
「後悔なんて、するもんですか。今や、あの車持皇子にだけは都の工人の誰もが値段をふっかけていますからね。そして他の貴族の方々も、我々には相応の対価を、きちんと約束した期限までに支払うようになってきました。つまり、ある意味で私は工人たちの地位向上に一役買ったのです。そう思えば、嬉しいじゃないですか」

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