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2010/02/16

試小説(6.9) 赫たる夜の秘めたる騒動の後のまつり「五.不二の山は不死となりけり(後編)」

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「諏訪の夷」という話ではあったが、諏訪の海の畔に夷はいないのだと、ここへ来てようやく知った。考えてみれば、これまで追ってきた夷たちは山中に暮らしている。諏訪の夷も同じく山の民であるようだ。近在の人々に聞いてみれば、諏訪の海を取り巻く山のいくつかに、夷たちは生活しているという。
このあたりには倭人の村落が数多くあるので、それらを拠点として山に分け入って探索を進めることにした。

ところが、不二の裾野に比べれば遙かに容易だろうと、軽く考えすぎていたようだ。少量の食料しか持たずに単独で山へ入ったのが間違いであった。このあたりの山中は、裾野の痩せた原野とは違う。密生した古木が視界を遮り、ほどなく道を外れてしまった。

○諏訪の山中
飢えに耐えつつ彷徨うこと数日、辿り着いた小さな沢で水を飲み、大きな岩の上に横たわって、そのまま眠ってしまった。いや、気を失ったというのが正解か。
夢の中、人の話し声がする。遠くから私に呼びかけているようにも思える。そういえば昔、急な病で調子を崩して倒れたとき、必死に呼びかける妻の声が、このような感じに聞こえたっけ。……ということは、現実に誰かが傍にいるということか?

目を開ければ、見慣れぬ姿の人々が、私の顔を覗き込んでいる。
口々に話し掛けているが、倭語ではない。何を言っているのか分からない。この山に住む夷たちなのであろう。私が消耗しきって動けないのを知ってか、数人がかりで助け起こし、担ぎ上げてくれた。
私は、不思議なくらい安心して彼らに身を委ねた。
夷といっても、都で恐ろしげに語られているような荒ぶる民とは違う。駿河からここまで彼らの足跡を追ってきたが、彼らが倭人に害を為したという話は一度も聞かれなかった。たしかに言葉や装い、暮らしぶりは倭人と大きく異なるが、倭人と同じくらい、いや都人などよりむしろ、心優しいのではないかと思う。

こうして私は彼らの村に連れられていった。
村といっても、掘立柱に檜皮で葺いた屋根の小屋が、いくつか固まって建てられている山中の空き地だ。途中で見掛けた住居跡で想像していた通りの佇まい。
その小屋の一つの竈の近く、獣の毛皮を敷いた寝床があり、私はそこに横たえられ、食事と水を与えられた。獣の肉と脂、芋などを煮たものであるらしい。慣れない食物だが、一口ごとに生きる力が沸いてくるのを実感する。

○夷の長
見ず知らずの行き倒れ、それも倭人を、助け上げて養生する夷――。
私は幸運だった。まさに彼らこそ、不二にいた、浅間大神を祀る民だったのである。たまたま狩の途中で行き会った私を助けたのは夷たちの言葉しか知らぬ若者たちだったが、彼らの中には倭語を解する者も少なくない。その一人、長老イワヅクが、こう教えてくれた。
「山に入るなら、山にあるものを食うが良い」それが山に生きる知恵という。考えてみれば我々が山中や原野を行くときに携えていたのは干飯に干魚、塩魚……。里と海のものである。
「それでは、山で長くは生きられぬよ。力が出ぬし、尽きれば終わり」

何故、彼らは山に暮らしているのか。その問いに、イワヅクは笑って切り返す。
「何故、あなたは山の中を追ってきたか。倭人なのに」
彼らは、狩猟採集できる季節に移動して、冬を乗り切るときだけ半ば定住する生活をしているとのこと。
「居所を定めぬときは、昔からそうしている」
昔から彼らは山伝いに、次第に東へ、あるいは北へと居所を移してきたという。

想像していた通り、彼らは争いを好まない。
「むしろ揉め事があれば退く」。居場所がなくなったと悟れば、あるいは追われたりすれば、そこを去る。それが、太古から平和な暮らしを続けるための、彼らなりの考え方だという。
だが、倭人から疎まれたときも、彼らは退く。もともと草原や平野でも暮らしていた彼らは、倭人が耕作地を広げていったため、山がちな場で暮らすようになっていった。「わしらは山中で生活できるが、倭人たちはそうではない」
今や、定住するときも山の中、移動するときは山間を縫うように、という生活をしている。倭人たちとの間に余計な揉め事を起こさぬように、というわけだ。

夷といっても、一括りにしてはいけない。
もちろん、巷間で語られるような荒ぶる夷たちも、なかには存在する。だがその多くは、倭建命はじめ数多の将軍たちが幾度にも及ぶ大遠征を行った結果、ほとんど退治されたか、あるいはさらなる東へ北へと追いやられた。少なくとも常陸国より北へ行かねば、もはや彼らを見ることもできない。
また、あまり知られていないことではあるが、畿内や西国には倭人の暮らしぶりを受け入れ定住した、かつての夷たちもいる。
今、この東国に残る夷たちは、そのどちらでもない。倭人に害を為すこともなく、しかし必要以上に交わらず、夷としてあろうとしている。

○不二の声
そういえば、私は跡を追って歩くうち、気付けば不二山を一周するような経路を辿っていたのだった。その理由をイワヅクに聞けば、二つあるという。
「長く拝していた不二に、名残を惜しんでいた。そして、山を鎮めて祟りを避けるため、日の動きの逆向きに巡った」

彼らは、不二の山麓では国司の庇護もあって長く暮らしていた。彼らの縁者である夷たちの多くが、より北や東へ去っていくなかで、彼らは不二に離れがたい感情を持っていたという。なんといっても神宿る霊峰であり、特に浅間大神の威徳が最も現れる、まさに二つとない山だからである。

不二にいた頃、彼らは毎年、山頂まで登っていたという。主に浅間大神を祀るためだ。しかし、それは危険も伴う行為であった。
「冬は、不二は人を寄せ付けぬ。まず間違いなく寒さと強い風に参ってしまう。そして暖かい時期であっても、風向きを見極めなければならぬ。頂の風下に長くいると、身体が弱って倒れてしまう」とのこと。
ときに激しく炎を吹き上げ、山麓を不毛の地にしてしまう不二。平穏なように見える時期でも、山頂の近くは危険な場所であるらしい。彼らは、不二に登っては山の様子を見極め、それを駿河国司に伝える役割も担っていた。

そして十二年前のこと、不死の薬を焼き捨てるという命を受けた帝の使者が、国司の案内人に連れられて麓の村を訪問、夷たちに登山を命じた。当然、彼らは断ることもできない。
季節は晩秋。不二は危険だ。だが、その夏に登ったとき、不二には不穏な兆候があったという。
「これから先、不二は大きく荒れるのではないかと、皆が恐れていた」
次の夏まで待っていては、より危険な任務になる可能性があった。おまけに使者は早々に任務を完遂したがっている。そこで決死の登山を敢行するコトになり、屈強な若者たち数人が志願した。

帰ってきたのは、たった一人、狩人のノマだけ。
ノマは、登山の様子を語っていた。当初から寒さに苦しめられたものの、山頂の溶けた岩で不死の薬を焼くまでは、比較的平穏だったとのことだ。しかし下山中、激しい吹雪に遭遇し、数日間に渡って行動不能に陥った。おそらくは、倭建命が氷雨に遭った伊吹山さえも比較にならぬほどの厳しい寒さだったことだろう。帰り着けたことだけでも、驚くべきことだとイワヅクは語る。
「薬を焼いたときに煙を吸ったことで、わずかに不死の力が与えられていたのかもしれない」
そのノマもまた、激しく衰弱していた上に重度の凍傷を負っており、介抱の甲斐なく衰弱して数日後に死んでいった。
「何か、とても恐ろしいものに遇ったのではないかと思う。ノマは譫言のように、それを仄めかす言葉を残しておった。だが誰も、それが何なのかは分からず仕舞い」

一方、不二はイワヅクたちが恐れていた通り、激しく炎を吹き上げるようになった。中腹にある彼らの村にまで灰が厚く降り積もり、さらに追い打ちをかけるように、彼らが頼りにしていた山麓の泉も涸れた。彼らは倭人たちより山に近いところで生活していたため、被害は倭人たちよりずっと大きかったようだ。
「あの山は、不死の生命力を得てしまったのではないか。まるで、それを喜んでいるかのようだった。わしらは山を目覚めさせてしまい、そのため仕打ちを受けるようになってしまった」
ときに人を惑わしたり、荒れて人に害を為すこともある不二の山。今やそれが、不死の山となり、彼らに祟るようになってしまったというのである。

そうして、移住は余儀なしとされる。遠縁の諏訪の夷を頼り、その近くの山に住むことにした。だがこの諏訪にも、長く留まるかどうか、イワヅクにも分からないという。
「不二で、優れた狩人たちを幾人も失ってしまった。わしらは少しずつ減ってゆく。倭人たちはどんどん増えてゆく。これから先、わしらも倭人たちに紛れて生きるしか道は残っていないのかもしれぬ。あるいは、我々が我々として生きてゆこうとすれば、さらに鄙へと、倭人たちの来ようとしない地へと、移ってゆかねばならぬだろう」

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