« 科学系ヨタ話(12) 人々は下から動く | トップページ | いずれ芽生えて育って実るかもしれない種子説明 »

2010.03.01

科学系ヨタ話(12.5) 研究も下から動く

20100301_epsn7378_1s


太平洋を渡った津波も、どうやら一段落した模様。

さすがに50年前の教訓が残っていて
避難行動も迅速に行われた様子だが、
これで「避難して良かった」という
良い教訓を残しておきたいトコロ。

だもんで実用性のある研究はもちろん大切だ。
こうして過去の知見から被害を小さく
抑えるような行動を取ることができる。

だが、それと同時に、基礎研究もまた欠かせない。
特に中長期的な、継続性のある分野での研究が。
たまたま先日読んでいた理系新書の一冊、
海洋研に関する内容だったのを思い出した。

「最近の若い研究者は時限で切られた職に就くことが多い。職を得るために少しでも早く論文を書かねばならない。そのためにはすぐに答えの出るようなサイエンスを選ばないと他の研究者に負けてしまう。これは悪循環であり国の科学政策が貧しいとしか言いようがない」
(藤崎慎吾・田代省三・藤岡換太郎「深海のパイロット」光文社新書)

基礎研究の厚み、広がりこそ応用科学を支える土台。
特に大切なのは、長期的に眺めて観察し続けること。
定点でデータを収集し続けるコトが、変化を捉える
ために欠かせない。着実・確実と地道とは表裏一体。

長期となれば機械の方が適切、という背景もあろう。
最初はフロンティアゆえ人間が取り組むべきだが、
フロンティアでなくなったトコロはシステム化して、
ヒトはさらなるフロンティアへ進むのが望ましい。

ヒトの知見の及ぶ範囲は拡大を続けているワケだが、
フロンティアというのは常にその周辺に存在する。
それを拡大しようとするのはヒトの種としての本能に
近いレベルの衝動であり、そこに人が進むのは当然。

それゆえ常に人手も要るし、システム化するまでの
設備投資や、前段階の試行錯誤などにカネもかかる。
ヒト・モノ・カネの投資を惜しんでいては進めない。
進まなければ、いずれ土台から弱っていくだろう。

科学と同じく芸術などもまたヒトが作るものである。
機械に作らせるコトも可能だろうけれど、その仕組みは、
やはりヒトが仕込んでいるのだから、ヒトの作品だよな。
機械が自発的に芸術を作れるようになるのは、まだ先。

この構図、他の分野でも基本的に大した違いはない。
もっと身近な、たとえば製造業でみても開発や試作は
主にヒトの手によって進められ、それから徐々に
量産へ向けてシステム化の工夫を積み上げていく。

どちらにせよ仕組みそのものを考案して練り上げて
構築して稼働させ、そして運用を見守るのはヒト。
結局のトコロ、ヒトは頭を使って工夫して努力して、
やれるコトを全てやっていかないといけないのである。

もちろん、それでもなお成功するとは限らないのだけれども。

--
研究報告会の会場脇では、最新の成果を
パネルで紹介するコーナーも恒例通りあった。
その一つのパネル、地球上の生物のごく初期の
状況を研究するチームの成果が紹介されていた。
曰く、最初期の生物は、その頃に特有の鉱物と
高温高圧の環境下で多量の水素をエネルギー源
として発生したのではないか、云々。
そして古代地球環境を模した実験を行い、
この仮説に反さない結果を得られた、という。

実験内容としては、世界最大の科学掘削船などと
比べれば些細な予算でできる範囲でしかあるまい。
だが、そこに取り組んでいるのは大学院を出て
間もないような若い研究者たちだという。
目立った研究実績もない若手にとってみれば、
これだけの予算でも獲得するのは大変だったろう。

しかし、このチームは若手でなければ難しい。
まず、多彩な分野の研究者が集まっている点。
生物はもちろん、惑星としての地球、鉱物などを
専攻した人たちがチームを組んでいるのだと。
他分野の研究成果を取り入れ発想する柔軟性。
そんな素質が求められる研究テーマである。
また、互いに議論を重ねつつ理論を構築、さらに
作り上げた仮説を検証するための実験を重ねる
ためのバイタリティー、あるいは勢いも必要だ。

この機構全体の研究テーマを大別すれば、
社会や産業に役立てられそうな有用分野か、
あるいは応用には遠いが世界から注目を集める
ような最先端分野の、どちらかに分類される。

その後者の分野の一部を若手に任せ、かつ
有用研究分野からすれば小さな規模ではあるが
予算を与えて、成果を待っているというワケだ。
もちろん研究者たちの成長も期待しつつ。

そして、この仕組みが安定して続く条件には、
研究者が所属する組織から育ててもらうため、
あるいは組織が社会から育ててもらうための
「本業以外」と思われるようなシゴトも必要。

自分自身でやってるだけでなくて、やってるコトを
他者にも伝えて理解を求め、応援してもらえるように、
あるいはせめて排斥されぬように、していかねばならぬ。
そうしてこそ育ててもらえる、暖かく見守ってもらえる。

現実として、最先端の研究分野の中には、世界から
さほど注目を集めないような分野もあったりする。
社会というスポンサーから理解を得るための努力、
工夫、ないし運が、どこか不足しているのであろう。

もしかすれば「異端」もまた似たようなトコロがあるか。
だけどそれは程度の違いかもしれないが、もともと
社会的に認知されにくい分ような野だからこそ異端と
されるのであって、ベースが大きく違うようにも思う。

それはともかく。

認知や理解を深めてもらうための素地というのも、
社会の側に存在していなければ、やはり困難である。
たとえば理科を楽しむ子供たちの存在。
あるいは在野の研究者のような存在。

もっと昔には、科学の先端に迫るような分野であっても
けっこう材野の研究者のような人々がいたように思う。
それが地域で活動して、子供たちはもちろん大人たち
にも、いろいろと伝わっていたりしたのではないか。

科学の先端にヒト・モノ・カネが不可欠になってしまい
個人レベルで取り組めるような状況でない今だからこそ、
最先端研究を手掛ける組織には、より一層、
社会に向き合うコトが、求められているといえよう。

パネリストの一人は、サイトでの情報提供に触れ、
「子供向けコンテンツのさらなる拡充を」と求めていた。
科学に携わる人材の育成は、子供たちが理科を楽しむ段階から
(あるいはそれ以前から)、もう始まっているのである。

効果的に伝えていくためには、サイトだけでは足りまい。
公開セミナーや施設の一般開放、研究船の体験乗船など
といったイベントも頻繁に行っているとは思うけれども、
さらにその先へ、もっと進めていってほしいトコロ。

研究者にせよ一般社会人にせよ、自由に情報を選択できる現代。
どうしても短期的に役立つような内容が検索されるばかりであり、
中長期的に、あるいは知的好奇心を掻き立ててくれるような、
そんな内容の話題が人目に触れる機会は、相対的に減少している。

そこに抗うのは、非常に大変なコトではあるけれど、
それもまた一つのヒトのフロンティアなのではないか。
研究対象が何であれ、ほぼ間違いなくヒトに帰ってくる。
それはヒトが媒介や研究主体である以上、不可避だ。

他の人たちにはできないトコロを研究するというコトは、
多くの人たちの代理を務める、というコトでもあろう。
そして知見や知恵を商品として生活しているワケだから、
相応の価値を認めてもらう努力や工夫も欠かせない。

|

« 科学系ヨタ話(12) 人々は下から動く | トップページ | いずれ芽生えて育って実るかもしれない種子説明 »