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2010.03.08

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(47) 「あんまり寄せられても困るよ、大樹の陰」

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日本人の常識とされているものって、大半が
「組織内でバリバリ働く男性の常識」だよねと、
友達と電話で話しながら、喋っていた先日の夜。
お互い、微妙にマジョリティから外れた存在だ。

「組織内で(略)」の連中というのは一般的に、
身体でかい、態度でかい、声でかい、主張強い、
要するに押し出しが突出している存在なので、
どうも正直に言うと苦手な存在だったりする。

いわゆる「身内」なら気にならないけど、
全くの他人で、そんなのが近くにいると、
どうにも辟易してしまうのである。

それはともかく。

そんな彼らが得意とする考え方の一つに「責任論」
があるんではないか、という話題だったのだった。

何をしようと勝手だけど、その結果は全て自分のもの。
成功は他人の援助があろうと自分のものだと主張し、
失敗したら運が悪かろうと、やはり自分で被れという。
とにかくこっちはこっちで一生懸命やってるんだから
外から余計な邪魔するな迷惑かけるな、という。
そんな責任論が、「組織内」での主流なのだろうね。

彼らを子細に眺めれば、とても体力があって行動的、
仕事をテキパキあるいはバリバリと片付ける手腕、
成績を上げるための努力は怠らず、おまけに遊びも
いろいろ激しくやっていて、そういうトコロは凄い。

成功が期待できる組織に入って、その中でさらなる
成功を目指して突き進んでいくために、そのような
「常識」を身に付けてきた、とは推測に難くない。

けれども。

だから、同じく日本国籍を有しているにも関わらず、
あるいは逆に「同じ日本人なら」という論調の下で、
さもなければ「日本人ですらないのに」と突き放し、
「オレサマたちの日本に恥を掻かすな」なんて怒る。

総合すると彼らのいう日本人というのは、
基本的に彼らと同種の生物に限られる。
「組織内でバリバリ働く男性」である。
彼らが日頃から相手にしてるのも同人種。

組織内、あるいは同種の別組織に属する集団
でしか通用しない常識を拡大解釈していって、
まるで日本国の法律か何かのように勘違いして
いるのではないかと思ってしまったり、もする。

日本人というのは、もっとずっと多種多様な
存在じゃないかと思うのだけれども、ただ
彼らの声がでかいので、その「常識」ばかりが
日本社会全体を支配するような構造になってる。

働き盛り男性ってのは、仕事で心身共に磨り減らして
挙句には過労死したり自殺したり、そんな連中でもある。
彼らが振り翳す責任論は、確実に彼ら自身の心身をも
蝕んでいる、というトコロなのじゃないかと。

もっとアタマを使って、自分のワークロード減らして、
働き盛り男性以外の人たちにも仕事を分けてやったり、
同時に社会の代表としての立場についても、
もう少しくらい分けてくれればいいのに。

それから、この手の人たちは、人の育て方を知らない
傾向が強いんじゃないか、という印象もある。
部下に指導するといいつつ、むしろ束縛していて、
「権限なくして責任なし」という環境にしてしまう。

他人の、特に部下の失敗の責任を被りたくないからか、
逐一の報告を求め、内容が駄目だと思えば叱咤する。
一方で、細かな指示を出して判断をさせなかったり、
あるいは方針も示さず「頑張れ」とだけ、激励する。

部下を育てたいという考えはあるのだろうけれども、
そんな中長期的な視点よりも、目前に迫るかのように
思えるリスクにばかり気を取られ、短期的な感覚が
異常に突出している結果、そうなってしまうのだろう。

自分に責任が及ぶのを強く嫌うあまりの行動か……。

もうちょっと、賢くやってみたらどうだろうかねえ。
そんなふうに、「組織内でバリバリ働く男性」でない
身としては、思えてならないのでありました。

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余談だが、「雑草が逞しい」なんてのも、違うよな。

それは農家、それも耕作者の考え方ではないか。
これまた商工業発達以前の日本社会の中において
最大多数を占め、かつ声のでかい集団だったので、
やはりヒト全体には援用できない。

主流派の声がでかいのは自然の成り行きだけど、
単一の色では描ききれないのが社会の実像だから。
むしろ数の上では少数でありつつも、その存在が
全体の色合いを引き締めるような存在も、大切。

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