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2010.03.12

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(49) 「それは単純なままにしておくのが最善」

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日本人は単純化が下手なのかもしれない。
いつも行為や思考ルートそのものを対象に、そう呼ぶフシがある。
つまり単純に考えるだけで行動できる思考ルートや行動パターン、
もしくは考えずに行動できるようにする工夫を称して単純化だ、と。
思考コスト節約が、単純化の目的であり手法にもなっている。
他の基準を議論して練り上げるようなことを決して行おうとはせず、
「例外なくコスト削減」と言って全体の予算枠を一律カットしたり、
先の一律1割減の社長みたいなのが正しいと思っているフシがある。

だが、均等とは、必ずしもイコール平等ではない。それを忘れてる。
給与を本当に平等にしたいなら、まずは実際の額面を揃えてから、
つまり同一労働同一賃金を実現した上で、一律コスト削減だとか
一律ベースアップ、としていかなければ、必ず不公平感が残る。
そういうトコロに関しては経営側だけでなく組合側も同様で、
同一労働同一賃金とした場合に給与が減ってしまうような人が
いるから、しかもそれが長老格だったりするから、決して
そこに踏み込もうとはしない、否、できないのである。

新卒採用終身雇用年功序列。高度経済成長時代を支えた特殊な体制。
旧軍にも似た強固な集団だったので時代環境に適合した時期は異様な
までの強みを発揮した。それは間違いない。しかし強固すぎた。
それは人間の手に余る存在になってしまったのである。
誰も根本的に解体するコトなどできず、時期を逸したまま今も残る。

傑出した個人よりも、集団の論理を前面に出した体制の日本社会。
ワンマン社長だとか、オレサマな社員は決して好かれるコトはない。
権限を中央集権させるといいつつ、縦横に細分して各組織に割り当て、
全体として自動的に動いていくように作られているのが日本の組織。
だから、各自が大きな枠で考えて判断を下す場面など用意されないし、
そんな機能も求められないし、それを勝手にやれば規律違反となる。
社長さえも、下の組織に分け与えられた権限の集約を決済するのみ。

こうして全体として細部に至るまで統制が行き届き、組織そのものが、
まるで意思を持っているかのように動いていくのである。
構造的に強固であり、構造が目指す方向に組織全体の力を向けられる
ために特定目的に対して驚異的な力を発揮するコトが可能になる。
しかし状況が目まぐるしく変化する中では、小回りが利かず勝てない。
あるいは、自らの組織に適した環境を作り出そうと暴走してしまう。
日露戦争以降の軍部内の動向などをみていると、多少は特異な個人の
動きに引っ張られたトコロもあるが、まるで組織が勝手に動いてる。
それは戦後の企業や官僚組織にも、どこか通じるものがある。

そんなワケで、中の人は全体像を深く考えることなく、それぞれに
与えられた仕事を頑張ってこなすコトが強く求められているのである。
組織に対する批判的な考えは封印せねば存在を許容されないけれど、
組織内の仕組みを利用して地位を高めていこうとするのは許される。
つまり利己的であっても組織の中の構造やルール、暗黙の了解などに
沿って動いていさえすれば、たいていは許容されるのである。
逆に、組織のルールから外れたら排除されていく。
あるいは組織内で大きな失敗をしたら首を切られる。
そうでなくても自発的に辞職して、退職金も辞退するコトを求められる。
ほとんど無言の、しかし非常に強い圧力で。
組織構造の問題が、いつの間にか現場の個人の責任に帰してしまう不思議。
組織を守るために人を殺す、と批判されるのも、当然といえば当然。

構造上、独裁者や反乱分子、不純物の存在は許容されにくい設計だ。
余談だが、このような組織において、ある程度以上の強い権限を持つ
人物がさらなる権限強化を図ろうとする場合、それに対して独裁者と
安易に批判する行為は、却って対象人物やその周囲の人たちにとって
「排除すべき抵抗」と受け取られ、結果として独裁色を強めさせる
方向に動く可能性が高いのではないかと考えている。粛正の原理だな。

興味深いコトに、組織の目的とは全く別に用意されたルールもある。
基本的には構造そのものに由来するルールであり、しかもそれが
組織内個人の抑圧された自由意思を排出する圧抜き弁としても働く。
上意下達は当然、先輩後輩の関係は死ぬまで続き、同期の序列も
常に気になるトコロだし、その結合体から外れれば先はない。
だから老害が頻発してしまう。上り詰めたが最後、下りはないから。

長々と、ハナシがズレた。

二者択一なんかだと、単純化の下手さが如実に表れるように思う。
すぐどっちかに偏ってしまう。選択しなかった方は破棄、だ。
そして結果、他のトコロで負けて嘆いていたりする。
一つの物事に徹底するのは決して悪いコトではないのだけれど、
それ以外の物事を等閑にして良いというわけではないだろうに。
頑張れといえば頑張る以外のコトを許容しないし、
規範が大事だといえば規範だけ守れば良い、となってしまう。
だいたいにしてヒトのような複雑な存在が、
そんな単純な、機械的基準だけで動けるはずもないというのに。

二大政党の一方を支持する者は他方の不支持で、
互いを絶対に相容れない存在と思っているのか、
そこかしこで政治談義を宗教戦争にしてしまう連中がいる。
おそらく現在の大多数は「どっちも総じて駄目」だろうけれど、
その中には人それぞれの判断基準があり、無数の指針があり、
「ここは評価できる」「ここは評価できない」といった
個々の事象に対する判断に限ってもバラバラであるはずなのに、
「批判したい点も多々あるが全体としては賛同」だとか
「他はともかく、この政策に関しては賛同」といった
条件付き支持など、こういう人たちには理解できぬらしく、
さまざまなレッテル貼りをして自ら思考停止を宣言しつつ
魔女裁判だの廃仏毀釈だののような活動を精力的に展開する。
こいつらがまた、声でかいから、妙に目立つんだよな。

そういうのを世論だと考えてるのかマスコミでもまた、
火に油を注ぐようなネタを喜んで提供してくれたりする。
以前から政治の話題は日本において避けることを推奨されるが、
感情的な争いに陥らぬように、という理由なのであろう。
でも、忌避されているから余計に論争が下手になるなどとは、
きっと想像も及ばぬコトなのだろうね。多くの日本人にとって。

またも、ハナシがズレた。

基準を満たせば○、そうでなければ×、例外なし。
試験で○か×か、ばかりやってたせいか、あらゆる事象において
その○と×の基準が厳然と用意されているものと思っている。
基準を求めれば何処かに書いてあるとでも思っているのだろう。
それさえ知れば、悩むどころか深く思考する必要もなくなり、
快刀乱麻を断ち天網恢々疎にして漏らさず天下太平家内安全。
要は、思考コスト削減のための魔法の粉を探してるワケだ。

即断即決それ自体は悪くはないのだけれども、短気は損気。
過度の期待と短慮短絡とは結びつくと拙速の弊害ばかりが出てしまう。
弊害を避けるためには状況に応じて柔軟に基準を改訂していかねばならぬ
はずだというのに、何故かそれが金科玉条のような崇拝対象になっている。
「そんなの、守って当たり前、できて当たり前だろ」と思考停止。
「組織の中で働いている男性の常識」に照らしてみれば、
どうしてもそうなってしまうのかもしれないけれども。

もっと酷い場合には、自分が間違っていないという大前提、
そして相手に善意がないor悪意がある、誤謬があるという前提
でのみ考えており、それらを疑うコトさえ知らない、気付かない。
ある意味で、オトナたちまで純真なのである。
まあ致し方あるまい。組織が組織だし。教育が教育だし。

純真、悪く言えば幼稚。それだけであれば、まだ状況は維持できた。
国の将来に夢と希望を無邪気に抱いていられた時代が続く限り。
でも、特殊な組織が闊歩した特殊な時代は終わりを告げて久しい。
もう日本の蓄えは尽きてるどころか借金生活に入っていて、
放っておいても良くなるような期待感は持てない。
さまざまなトコロで、悪循環という正のフィードバックが加速する。

昨日までの繰り返しになるが、そんな現状に対して、いささか理想が
高すぎ、著しく乖離してるるのではないかね。この国の有権者たちは。
「商品に文句を言えば替えてくれる」「待っていれば新製品が出てくる」
なんて消費者としての体験に慣れすぎているせいで、まだまだ次があって、
もっともっと良くなってくれるなんて、軽く考えてるんじゃないかな。

あえて自分自身のコトは棚に上げて言うが、ここでいう借金てのは、
経済的な借入金もあるが、未来の自分に損をさせる抽象概念も含む。
生きるか死ぬかの瀬戸際なら致し方あるまい、あるいは借金してでも
投資をすれば大きなリターンを高率で期待できるといった、
極めて限定された状況に限っては、それを採るのも良かろう。
でも漫然と借金するのでは、間違いなく泥沼に陥っていく。

もしかしたら食って排泄してブーブー言うだけの家畜に成り下がって、
檻に閉じこめられて最期は処理される、なんて運命を望むつもりか?

使い捨てるのではなくて、持続可能な政治経済を作れないだろうか。
ヒト個体はもちろん、ヒト集団もまた、ある程度の柔軟性があり
適応力があり、成長したり老化したりするようになっている。
いずれ朽ちて世を去るヒト個体/集団に依存するコトはできない。
むしろ生物としての再生産機能を上手に活用した方が良かろうよ。
より良く成長させる、より柔軟に適応させる、そんなのがいい。

もうね、ハナシがズレた。

同じく単純化するのであれば、むしろゴールに対して、の方がいい。
行動を考える際の目標だとか、基準といったものに対して、である。
あるいはせめて目的に優先順位をつけて、「考えながら行動する」
手順を単純化するようにできないだろうか。
目標に向かう考えを効率的に進めて、動いていく、という感覚だ。

たとえばこのブログ、途中から意識的に仕込んでいる意図がある。
「読んだ人が自発的に思考してくれるように」といった考えだ。
そこから導き出した多種多様な要素を使って、書き続けている。
目標を単純化すれば、一見した内容はバラバラになったとしても
きっと全体としては大きくブレずに済むのではないか、と思う。

もうちょっと噛み砕いてみよう。
補足説明を書くべきか書かざるべきか、と考えたときには、
「思考してくれるように」という単純化された目標に沿って
ヒントを出すかもしれないが具体的な詳細は書かない。
逆SEO的に固有名をほとんど出さないものの、ほぼ簡単に
推測できる表現にしていたりするのも、思考してもらうため。
可能な範囲で短めにしているのも、余韻を残すようにして、
その余韻の中で思考してくれれば、という期待から。

故事成句や歌詞、歌曲名などのパロディを多用したり、
ところどころ微妙に韻を踏んでみたり、行数や文字数を
なんとなく整えてみたりするなども、試行錯誤しつつでは
あるけれど、そこに読者が引っ掛かって思考の切っ掛けに
してくれればいいな、という些やかな試みだったりする。
ちなみに、文章はリズムとメロディーで意味の流れを構成し、
そこに詞を乗せていく、といった感覚で書いていたりする。
なかなか会心の文は出ないが、読みやすさと伝わりやすさ、
そしてもちろん「思考してもらう」コトを目標としたものだ。

而して、ハナシがズレた。

現状、有権者の前に並ぶ選択肢は、いずれも最善とは思われない。
「全部駄目」と切って捨てる発言は、いかにも簡単で、安易で、
どうにも思慮が足りていないのではないだろうか。
拙速なる単純化、の弊害が前面に出ているように思われてならない。

代議士は国民の支持がなければ仕事も始めららない。
短気を起こして短期的な動向だけで判断していては
長期的に育つかもしれない芽も摘んでしまうだろう。
多少でもマシだろうと思われる選択肢を選んで、
そこにさらに投資をして期待値を高めていく、
そんな戦略的な発想を、政治にも経営にも期待したい。

もちろん、期待する相手というのはトップ層もさることながら、
主には、それらの主権者である有権者や株主に対して、である。
政治家ってのは、突き詰めて言えば国民が自ら生み出した存在。
それを育てるか歪めるかは、やはり国民次第。
怒るのでなく、叱れますか?

難しいものだと思って考えていては、難しいまま。
「難しいから回答をくれ」も、難しさを解決しない。
難しくないものにするためには、考えていかないと。
そのためには、効率的に思考を展開できるようにする、
ちょっとしたテクニックを身に付けておけば、楽だよと。

「戦略といったって、日本人はファンシーなものと捉えがちだけど、
そんなに大それたものじゃない」と、先日会った元会社経営者は
語っていた。実際、そうだろう。本当は敷居が高いものではないし、
それさえあれば万能、というような性質のものでもないのだから。
ただ単純、空転せず適時的確に判断を下せるようにするための
目標や指針、思考手法などの総合を指すのだと、個人的に思う。

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というワケで、どうみても単純ではない長文になってしまったのでした。

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