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2010.03.13

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(50) 「遠慮なき衆生は度ーしよーも難しー」

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外交チャネルは拡大し、今や個人レベルにまで裾野が広がっている。
昔は国内にいる外国人との接触、外国に出ての接触がせいぜいであり
その人数も多くはなかったはずだが、今はインターネットが仲介する。
おかげで、半ば否応無しにナマの外国人と接する機会が増えてきた。
Webを開けば外国の連中が投稿した動画やら文章やらが、目に入る。
逆もまた然り、あらゆるルートから日本の情報は世界中に伝わっている。

主権者である国民が自らの手で担うという意味では良いのかもしれんが、
一方で当然ながら適切な対応が国民一人ひとりに求められるワケだし、
そういった対応について考え、行動する準備も、まるでできていない。
また国家として統一性のある外交ができなくなっていく課題もある。

国際的な問題が生じたとき、国内では吠えてれば済むというワケではない。
もはや誰かが解決してくれる、というのではなく、解決へ向かう行動の
主体は自分たち自身であり、相手国の国民全体というハナシになっている。
むしろ吠える声そのものが、望まぬ方向へ進めてしまう危険も少なくない。

不平不満や怒り、不安などはヒト集団内の個人を最も強く衝き動かす。
だからどうしても、そういった声は噴出しやすいし、集まりやすいし、
集めようとすれば容易に集まってくるもの(束ねて動かすのも簡単)だ。
これが、相手にも強い影響を与えてしまい、余計にこじらせていく。

不安のあまり排斥しか考えないような発言も少なからず見られるけれども、
何かを脅威と判断したら、むしろ注視して動向を見極めた方が良くないか?
どちらかというと、より深く相手に接して理解を深め、その上で考えて
いかねばならないんじゃないかな。同時に相手もそうするよう仕向けて。

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