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2010年3月

2010/03/31

たまには目的を持った歩き方でも

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区内を流れる河川の流域踏破、かなり進捗してきた。
地図の上で残る道程としては半ばを切ったあたりだ。
しかし気分的には、まだまだ先が遠いように思える。

アプローチするポイントが次第に自宅から遠くなり、
ちょっと余った時間で散歩、というのが難しい状況。

これから未踏破のルートを歩くには半日か1日単位で
時間を作って電車やバスで移動していかねばならん。

しかし川沿いには桜並木があったりするワケだから、
この時期に思い切って実践しておきたいトコロだな。

散歩に出たい気持ちは気温や天候に左右されるコト
でなく氷雨でも旱天でも気にせず歩いて出るけども、
この時期には目を楽しませる要素が各所にあるから。

踏破というような目的には束縛感が伴うものだけど、
他の目標を付加することで楽しく先に進めるはずさ。

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2010/03/30

遠くまで見通せれば高低差も分かりやすい`

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ここしばらく、これまであまり足を向けなかった
あたりまで足を伸ばして散歩しに行くコトがある。

さほど遠くない地域でありながら、そのあたりは
かなり真っ直ぐな道が地形を無視して続いている。

比べれば自宅の近所は曲がりくねった道ばかりだ。
せいぜい2~3kmしか離れていないが大きく異なる。

おそらくは昔の川筋や地形に応じた田畠の区割りを
整理する暇もなく宅地化が進んでいった結果だろう。

直線的な道の地域では少し遅れて開発されたものか、
車両の通行に便利なように区画と道路を整理できた。

まあそんな過去の経緯はともかくとして現在では
アップダウンのある直線的な道路が楽しい景色だ。

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2010/03/29

桜と剪定鋸

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全般的に日本人は議論をするのがとても下手だよな、と普段から思う。
論争を避ける傾向が強く、どちらかというとナアナアで済ませたがる。

そのくせ近年では妙にヒトビトが多様化してしまってるもんだから、
時候の話題くらいしか無難なハナシはできないんじゃないかと思う。

そんなワケで今回も桜について。時候の話題で。

何度も話題にしているが日本人の大好きな桜とされるソメイヨシノは、
20~30年もすれば幹が醜く肥大化し裂け節操なく芽吹いてくる品種だ。

あまりに節操がないものだから幹はすぐに劣化して腐り落ちたりする。
それはそれで生命力溢れる存在ではあるが少し思慮不足ではないかな。

桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿とはいうが本当に桜を切ってはいけないのか。
ひょっとしたら少しくらい切ってやった方が良いのではないだろうか。

もし上手な切り整え方を見出して実践していけるのであるならば、
こんな節操なさも少しは改まって良くなったりするのかもしれん。

良い剪定方法など見付からないかもしれないが試さねば分かるまいよ。
それはそういうものだと思考停止しているのであれば見付かるまいに。

そんなふうに思いつつ、咲き具合を眺めて歩いた。

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2010/03/28

自称逸般塵の不通の日記(147) 捨てる人、捨てない人

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撮影した写真データが容量を圧迫するようになってきたので
HDDの入れ替えを行った。

過去に何度となく実施したから慣れた作業ではあるのだけど、
それにしても時間がかかる。

古いデータを捨てず整理しつつ蓄積するようにしてるせいで
合計すると相当な量なのだ。

もちろん古いデータなんてのは使う機会もまずないのだけど、
でもやはり捨てられない。

そんなワケで今後も順調に増え続けるであろうデータのため
こうした作業は繰り返す。

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2010/03/27

所持品紹介(23) ちょっとだけ押し出した印象

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発注していた名刺が届いた。自営業としての名刺。
取引先の肩書きで活動するときを除いては基本的に
この名刺を使っている。

最初に作ったのは2年半前。
銅の凹版を使い微妙にエンボスさせたような印刷を
得意とする会社に発注した300枚が、そろそろ尽きる。

個人的な友人知人にも配ったので知ってる人は多い
かと思うが、この簡素さ上質さが、気に入っている。

相手によっては、それを一目で理解してくれるので、
渡したときの反応を密かに楽しみにしていたりする。

久し振りに連絡を取ってみれば、まだ版があったと
いうので同じく300枚の増刷を発注していたのだった。

2.5年間に、いろいろあって追加したい情報もあるが、
少なくとも前回から変化した点はなく、製版費用が
不要となる分だけ若干は安くなるから、そのままだ。

あとは必要に応じて裏面にシールかゴム判ででも、
情報の追加をしてやろうかなと考えているトコロ。

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2010/03/26

自称逸般塵の不通の日記(146) あめゆきトコトコ健脚

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冷たい雨に誘われて歩きたくなり、散歩へ。
ついでに、道すがら桜の開花状況も偵察。

気温が低いので、早足で歩き続けても
身体が熱くなりすぎる心配はない。
やはり冬の散歩に適した身体なのだろう。

途中、ときたま雨音が変わった。
傘やら屋根やら路面やらに落ちる音が違う。
ザラザラザラッと乾いた印象の音。
霙、いや霰混じりの氷雨。

靴底には路面で砕けるジャリジャリした感触。
ちょっと心地良くて、足の裏が、こそばゆい。

今回は撮影を主体とするのでなく、
単純に歩く楽しみを味わうのが目的だった。
ついでに、既に知っているルートの脇道探索。
しかも一人だから、ついつい足が進む進む。

帰ってきてから詳細な道筋を調べてみれば、
100分程度の散歩で8.6km歩いていたという。
時速にして5kmくらいの計算だな。

おそらく一食分を軽く越える消費カロリー。
帰りがけ、駅前の丼飯屋で空腹を満たし、
程良い疲労感とともに、自宅に帰り着く。

桜は今年も満開まで長くかかりそうだ。

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2010/03/25

自称逸般塵の不通の日記(145) 階下の敵?

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今の世も年度末となれば引っ越しシーズン。
1階から物音と話し声が絶えなかった一日。
笑い声も普通に聞こえるくらいに薄い壁の
安普請のアパートだもんだから、騒々しい。

しかも今のご時世となると「隣は何を
する人ぞ」とばかり顔さえ知らぬ間柄。
しかし逆に下の輩も五月蠅いと思って
いたりするかもしれんからお互いさま。

引っ越し準備か、はたまた大掃除か、
下の物音が何を意味するかは知らぬが、
もし出て行くのだとしたら、次には
もっと静かな人が入居するといいな。

あるいは引っ越しの挨拶に来てくれて
顔馴染みになれるなら、それでもいい。

知ってる相手なら、敵とは思いにくい。

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2010/03/24

自称逸般塵の不通の日記(144) 微妙な善意?

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冬、道を歩いていると、ときたま
フェンスなどに手袋が片方だけ
差さっているのを見掛けたりする。

けっこう頻繁にあるので、ちと
不思議に思っていたのだけども、
先日、謎が解けたような気がした。

路上に落ちていた手袋の片方。
通行人の鞄から落ちたのであろう。
いずれ別の誰かに踏まれそうだ。

それは忍びないな、と思ったとき
近くの塀の隙間にでもひっかけて
おけばいいじゃないかと、浮かんだ。

なるほど、そういう結果だったのか。
こうして「はやにえとなった手袋」
が出現するコトになったのだろう。

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2010/03/23

たまには時事ネタ(63) 欲しがりません、いつまでも?

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省エネ型世代の消費活動が徐々に見えてきたというニュース。
生活は基本的に最低限度で、限られた趣味に贅沢をするという。

たぶん日本は新興国くらいの生活レベルになろうとしているのだろう。
といっても落ち目の勢いにあるだけに、より低いトコロかもしれんけど。

イケイケ経済しか知らず単に頑張れば復興できると信じて疑わない人々は、
そんな現実を認識して受け入れて時代の変化を納得していかねばなるまいよ。

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2010/03/22

大樹の子は双葉

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再び鎖国したがっているのではないか、
という印象が散見される今の日本社会。

外国人と接するのも好まないどころか、
日本人の間での対人関係さえ不安気だ。

でも否応なしに他者との関係は生じる。

放っといても黄砂は飛び込んでくるし、
食料さえ他者に依存しているのが実態。

内省するのも大切なコトではあるけど、
多少の瑕瑾は人の常だから完璧は無理。

少しくらい割り切って外に目を向けて、
光を浴びないと育つのも難しかろうよ。

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2010/03/21

自称逸般塵の不通の日記(143) ある夕、ある朝

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晴れているのに暴風が吹き荒れるような天候には、不慣れだ。

夕方以降、深夜から翌未明にかけて状況の推移を注視せねば
ならぬ事態が生じていたため、まんじりともせず明かした夜
には、轟々たる風の唸りと事態の先行き不安感とが相俟って
とにかく落ち着かぬ気持ちを振り払うのが、大変難しかった。

そして翌日、空は曇っているという風でもないが視程は短い。
黄砂が生じているというから、低気圧が運んできたのだろう。
事態の今後も見通せない。遠隔地ゆえ限られた情報しかない。
黄砂の空の向こうでは、心に掛かるモヤモヤをどうにかして
晴らしてほしいと切に願う人たちがいる、という状況なのに。

この風に立ち向かい、見通せぬ空を越えるには人は弱すぎる。

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2010/03/20

たまには時事ネタ(62) モう、委員会?

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モ提案は委員会で否決されたが自主規制の強化を引き出した。
欧米を中心に一定の支持を得ており彼らの目的も達せられた。
当面は追加の提案も考えていないというあたり退き際も好い。
やはり外交巧者なのだなあというのが、率直な感想である。

目的のためなら手段を選ばずという言葉の裏には、
目的を果たしたなら手段を捨てるコトも惜しまず、
という考え方も含まれているのだなと改めて納得。
敵対ではなく、資源保護を求めていたのだから。

農水大臣が一安心したような顔つきで喋っていたけれども、
そういうトコロまで実は彼らの狙いだったのではないかと、
そんなふうに穿って思えてしまうくらいに妥当な落とし処。
いや、まあ最終的には本会議の結論を待つ必要はあるが。

資源枯渇といえるかどうかという段階で提案した点も、
さらに穿って考えるならば問題への早期対処だったか。
本当に逼迫した状況であれば提案が可決されてしまい、
望まぬ敵を作ってしまう結果になった、かもしれぬ。

なんといっても彼らは条約対象となったとしても
大して困らないし苦痛にも感じないであろうから、
逆にいえば条約の対象として決まってしまったら、
困ったり苦痛に感じる側の反感を買いかねない。

あまり強い反発を招くようでは将来的に禍根が残り、
規制の反動によって人々が更なる危機に陥りかねぬ。
適度なメッセージを伝えた上で相手の自主性に委ね、
その動きを尊重する形に持ち込むのが得策である。

しかし先日提案を見送られたという東京都の条例案は、
そのへんまで考慮しての対応なのかどうか疑問に思う。
といっても具体的な経緯を知らんので詳しく語れない。
実際のトコロ、どうなんだろうね。

どの国でも基本的に輿論ならぬ世論で動くヨノナカであるからして、
民意に沿った対応をしなければ為政者の立場は危うくなるワケだが、
ただ平伏盲従ばかりでは衆愚の先を行く存在になりかねないだろう。
世論そのままの政策では弊害があるからこそ為政者の知恵が重要。

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2010/03/19

脅威苦悶題

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先日の散歩の後の四方山話は、ずいぶん長かった。
話題も幅広く、時間を忘れて話し込んでしまった。
(気の合う相手だと、たまにあるコトだけれども)

その中の一つに、教育の話題があった。
中学校の生徒が、数学が好きだという。
理由を問えば、「答えがあるから」と。

回答欄に何らかの数値や数式を記入すれば、
それが○か×か明瞭に判別され点数となり、
合理的で納得できるといったトコロなのか。

少なくとも国語の読解問題なんぞに比べれば、
計算練習を繰り返して慣れている限り簡単だ。
これほど思考能力を問われぬ科目もあるまい。

教員の仕事を規定するカリキュラムなども
あまりに緻密に構築されすぎているからか、
生徒が考えなくても先へ進むコトが可能だ。

どうりで学校の数学には興味を持てなかったワケだよ。
きっと昭和の後半から平成の現代に至るまでずーっと、
その教育体系は大きく変化せず受け継がれ続けてきた。

そして昭和の数学の授業で育った教員たちが
今は平成の生徒たちに対し同じような数学の
授業を提供しているというコトになるのだな。

この教師たちは、きちんとカリキュラムを消化して、
その教え子たちも、それなりに良い成績で推移して、
高校受験でも良い結果を出す、というコトであろう。

だけどきっと「答えがあるから好き」な数学は、
その生徒たちが社会に出て少しも経たぬウチに
ほとんど脳裏から消え去っているだろうと思う。

なにしろ一通り回答をを書き終えてしまえば、
あとは誰かが採点してくれるのを待つばかり。
つまり思考停止。考える力も残りゃしないさ。

「好きでも嫌いでも頑張れば成績が伸びる」
「思索するより記憶した方が成績が伸びる」
つまりは作業員養成コースというワケだ。

あるいは高名な解剖学者の言葉ではないが、
「ああすればこうなる」的な思考パターンを
徹底的に刷り込むための洗脳とさえ思える。

教員もカリキュラムも教科書も試験もひっくるめて、
つまり日本における学校教育の仕組み全体を通じて、
そんなメッセージが含まれているように感じられる。

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2010/03/18

根幹より樹皮を割り出る春

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この時期は、出掛けるたびに木々の枝先を見て歩いてしまう。
枝先だけではない、ゴツゴツと節榑立った幹のところどころ、
その裂け目から生えている花芽、その育ち具合が特に注目だ。

近所のソメイヨシノの中で、毎年のように一足早く開花する
高架線路の南側の私立校の目の前、暗渠緑道沿いにある桜は、
まさに開花日を迎えた当日なのだろう、二輪ばかり幹に咲く。

その北側には高架線や校舎やフェンスがあって寒風は遮られ、
一方で南側は東から西まで陽光を遮る邪魔者はほとんどなく、
暗渠になる前から岸辺に生えて深く根を張っているらしい桜。

枝葉末節にあるより冷え込みは和らぐのであろう、幹の花芽。
相変わらず今年も、他に先駆け開花を迎え春を告げてくれる。

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2010/03/17

桜のアーリーアダプタ

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買い出しがてら近所の桜を見て回ってきた。
どこも開花が迫っている様子は間違いない。

昨日も書いたが一部の早咲き品種は
もう満開か、散り始めているくらい。

ソメイヨシノというボリュームゾーンへの
普及に先立って、もう春は動き出している。

いや染井村の吉野さんの中でも気の早い若手は
先月末にも一輪、咲いているのがいたりするが。

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2010/03/16

自称逸般塵の不通の日記(142) 春を尋ねて三千㍍超(たぶん)

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「春をさがしに近所をぶらつく」というテーマで、
友達とともに近所の自然歩道などを歩いてきた。

暗渠の歩道周辺には河津桜や桜桃などが咲き誇る。
少し離れた公園を訪れてみれば菜花で満載の花壇。

ソメイヨシノの蕾も、ずいぶん大きくなってきた。
おおむね開花まで1週間といったトコロだろうか。

もう少し暖かくなれば、また違った景色になろう。
来週か再来週あたり、もう一度辿ってみようかな。

この時期は散歩仲間が一時的に増える希有な機会。

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2010/03/15

鵜呑みにして消化不良

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何が欲しいですかと質問するのは、とても間抜けなハナシ。

欲しいモノが決まっているならば、より好い条件を求めるのみ。
そうでなければ、何を求めているかさえも明確にはイメージできぬ。

いずれにせよ「より良く、より安く」といった単純な声しか返ってこない。
はいそうですかと単純に応じるだけでは、新しいモノは作り出せない。

良い意味で期待を裏切るようなモノを作り上げるための叩き台、
というくらいに考えておいた方が、良いのではないかと思う。

でなけりゃヒトが仕事してる意味がないんじゃないかと。
ヒトを相手にしている以上、ヒトのアタマを使わねば。

もちろん、それは製造業に限ったハナシじゃない。
サービス業も、行政や立法の連中も同様だろう。

皆が喜んでアタマを使う仕組みを考えたい。

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2010/03/14

自分で自信をなくしていく原理と、その対抗策について

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ビジネスの上ではオキャクサマを相手にする可能性を考慮して、
あるいはモンスターに備えておかないと危ういものだから、
ついついそうしてしまいがちだけど、たとえば公共に関わる
コトなどについてみれば、それだけで良いとは到底思えない。

いや民間企業だろうと客の理不尽な要求など受け入れぬ方が、
むしろ顧客を育てていって共存できるようにしていくのが
後々の為には重要なのではないかとは思うのだけれども、
実際ほとんどそうなっていない現状が問題なワケでね。

現実問題としては、対抗するには体力も気力も時間も、
ひいてはコストも必要になるものだから、ちと難しい。
中長期はともかく直面した際の対応としては、妥当だ。
だけど、それだけではないような気がしているのよね。

姿勢だけでなく気持ちも低くしてしまいがちなのは、
仕事をする上で自信を持てなくなっているから?
つまりは胸を張って生きている実感がないから?
というコトは確固たる自負を持てていないから?

アタマを下げてばかりいるコトが中長期的に影響しているのだ。
気持ちの上でも劣位に立ってしまう性質を、ヒトは持っている。
強い個体が群れを統率しやすくするための本能的な反応だから、
その影響を受けぬようにするのは、なかなか難しいものである。

逆に面従腹背するとしたって、その心理は意識無意識を問わず
微妙に表面に現れるものだから、感覚の鋭い客に見透かされて
むしろモンスター化させてしまう危険が高まってしまうだろう。
どちらが高い低いと考えていれば、どちらかの危険に陥りがち。

--
短期的にのみ物事を捉えていると、
自分の弱みや相手の強みが大きく見えて
すぐ不安に駆られてしまうコトだろう。

というワケで自らモンスターになっていって、
限定条件下での優位をことさら強調して
押し出すような存在となってしまったり、

あるいは逆に優位性の弱い状況下において
モンスターに服従する立場に陥ったり、
そんな関係を避けるコトは非常に難しい。

ほんの少しの変化でも、それが続けば
どんどん加速していって強い変化となり、
中長期的には好ましくない状況ができる。

けど今そこで強いヤツでも、トコロ変われば、
あるいは時代が違えば結構弱かったりする。
あくまでも限定条件下の優位に過ぎない。

そもそもヒトなんて万能じゃないのだし、
しかも成長したり老いて死んだりする。
そこまで考えておけば、多少はブレーキにもなろう。

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対価を受け取って商品やサービスを提供する立場であれば、
その対価を払ってもらえるだけの価値がある存在として、
自信を持って仕事をしていく意識が、本来は必要であろう。
上でも下でもない。対価と商品を、対等に取引する関係だ。

企業が顧客に、自治体が住民に、政治家が有権者に、など
そういった関係は社会の中で無数に、網目のように巡る。
その中のどこを良くすれば改善される、というのでもない。
ただ、それぞれの意識をこそ、変えていかねば、直るまい。

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2010/03/13

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(50) 「遠慮なき衆生は度ーしよーも難しー」

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外交チャネルは拡大し、今や個人レベルにまで裾野が広がっている。
昔は国内にいる外国人との接触、外国に出ての接触がせいぜいであり
その人数も多くはなかったはずだが、今はインターネットが仲介する。
おかげで、半ば否応無しにナマの外国人と接する機会が増えてきた。
Webを開けば外国の連中が投稿した動画やら文章やらが、目に入る。
逆もまた然り、あらゆるルートから日本の情報は世界中に伝わっている。

主権者である国民が自らの手で担うという意味では良いのかもしれんが、
一方で当然ながら適切な対応が国民一人ひとりに求められるワケだし、
そういった対応について考え、行動する準備も、まるでできていない。
また国家として統一性のある外交ができなくなっていく課題もある。

国際的な問題が生じたとき、国内では吠えてれば済むというワケではない。
もはや誰かが解決してくれる、というのではなく、解決へ向かう行動の
主体は自分たち自身であり、相手国の国民全体というハナシになっている。
むしろ吠える声そのものが、望まぬ方向へ進めてしまう危険も少なくない。

不平不満や怒り、不安などはヒト集団内の個人を最も強く衝き動かす。
だからどうしても、そういった声は噴出しやすいし、集まりやすいし、
集めようとすれば容易に集まってくるもの(束ねて動かすのも簡単)だ。
これが、相手にも強い影響を与えてしまい、余計にこじらせていく。

不安のあまり排斥しか考えないような発言も少なからず見られるけれども、
何かを脅威と判断したら、むしろ注視して動向を見極めた方が良くないか?
どちらかというと、より深く相手に接して理解を深め、その上で考えて
いかねばならないんじゃないかな。同時に相手もそうするよう仕向けて。

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2010/03/12

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(49) 「それは単純なままにしておくのが最善」

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日本人は単純化が下手なのかもしれない。
いつも行為や思考ルートそのものを対象に、そう呼ぶフシがある。
つまり単純に考えるだけで行動できる思考ルートや行動パターン、
もしくは考えずに行動できるようにする工夫を称して単純化だ、と。
思考コスト節約が、単純化の目的であり手法にもなっている。
他の基準を議論して練り上げるようなことを決して行おうとはせず、
「例外なくコスト削減」と言って全体の予算枠を一律カットしたり、
先の一律1割減の社長みたいなのが正しいと思っているフシがある。

だが、均等とは、必ずしもイコール平等ではない。それを忘れてる。
給与を本当に平等にしたいなら、まずは実際の額面を揃えてから、
つまり同一労働同一賃金を実現した上で、一律コスト削減だとか
一律ベースアップ、としていかなければ、必ず不公平感が残る。
そういうトコロに関しては経営側だけでなく組合側も同様で、
同一労働同一賃金とした場合に給与が減ってしまうような人が
いるから、しかもそれが長老格だったりするから、決して
そこに踏み込もうとはしない、否、できないのである。

新卒採用終身雇用年功序列。高度経済成長時代を支えた特殊な体制。
旧軍にも似た強固な集団だったので時代環境に適合した時期は異様な
までの強みを発揮した。それは間違いない。しかし強固すぎた。
それは人間の手に余る存在になってしまったのである。
誰も根本的に解体するコトなどできず、時期を逸したまま今も残る。

傑出した個人よりも、集団の論理を前面に出した体制の日本社会。
ワンマン社長だとか、オレサマな社員は決して好かれるコトはない。
権限を中央集権させるといいつつ、縦横に細分して各組織に割り当て、
全体として自動的に動いていくように作られているのが日本の組織。
だから、各自が大きな枠で考えて判断を下す場面など用意されないし、
そんな機能も求められないし、それを勝手にやれば規律違反となる。
社長さえも、下の組織に分け与えられた権限の集約を決済するのみ。

こうして全体として細部に至るまで統制が行き届き、組織そのものが、
まるで意思を持っているかのように動いていくのである。
構造的に強固であり、構造が目指す方向に組織全体の力を向けられる
ために特定目的に対して驚異的な力を発揮するコトが可能になる。
しかし状況が目まぐるしく変化する中では、小回りが利かず勝てない。
あるいは、自らの組織に適した環境を作り出そうと暴走してしまう。
日露戦争以降の軍部内の動向などをみていると、多少は特異な個人の
動きに引っ張られたトコロもあるが、まるで組織が勝手に動いてる。
それは戦後の企業や官僚組織にも、どこか通じるものがある。

そんなワケで、中の人は全体像を深く考えることなく、それぞれに
与えられた仕事を頑張ってこなすコトが強く求められているのである。
組織に対する批判的な考えは封印せねば存在を許容されないけれど、
組織内の仕組みを利用して地位を高めていこうとするのは許される。
つまり利己的であっても組織の中の構造やルール、暗黙の了解などに
沿って動いていさえすれば、たいていは許容されるのである。
逆に、組織のルールから外れたら排除されていく。
あるいは組織内で大きな失敗をしたら首を切られる。
そうでなくても自発的に辞職して、退職金も辞退するコトを求められる。
ほとんど無言の、しかし非常に強い圧力で。
組織構造の問題が、いつの間にか現場の個人の責任に帰してしまう不思議。
組織を守るために人を殺す、と批判されるのも、当然といえば当然。

構造上、独裁者や反乱分子、不純物の存在は許容されにくい設計だ。
余談だが、このような組織において、ある程度以上の強い権限を持つ
人物がさらなる権限強化を図ろうとする場合、それに対して独裁者と
安易に批判する行為は、却って対象人物やその周囲の人たちにとって
「排除すべき抵抗」と受け取られ、結果として独裁色を強めさせる
方向に動く可能性が高いのではないかと考えている。粛正の原理だな。

興味深いコトに、組織の目的とは全く別に用意されたルールもある。
基本的には構造そのものに由来するルールであり、しかもそれが
組織内個人の抑圧された自由意思を排出する圧抜き弁としても働く。
上意下達は当然、先輩後輩の関係は死ぬまで続き、同期の序列も
常に気になるトコロだし、その結合体から外れれば先はない。
だから老害が頻発してしまう。上り詰めたが最後、下りはないから。

長々と、ハナシがズレた。

二者択一なんかだと、単純化の下手さが如実に表れるように思う。
すぐどっちかに偏ってしまう。選択しなかった方は破棄、だ。
そして結果、他のトコロで負けて嘆いていたりする。
一つの物事に徹底するのは決して悪いコトではないのだけれど、
それ以外の物事を等閑にして良いというわけではないだろうに。
頑張れといえば頑張る以外のコトを許容しないし、
規範が大事だといえば規範だけ守れば良い、となってしまう。
だいたいにしてヒトのような複雑な存在が、
そんな単純な、機械的基準だけで動けるはずもないというのに。

二大政党の一方を支持する者は他方の不支持で、
互いを絶対に相容れない存在と思っているのか、
そこかしこで政治談義を宗教戦争にしてしまう連中がいる。
おそらく現在の大多数は「どっちも総じて駄目」だろうけれど、
その中には人それぞれの判断基準があり、無数の指針があり、
「ここは評価できる」「ここは評価できない」といった
個々の事象に対する判断に限ってもバラバラであるはずなのに、
「批判したい点も多々あるが全体としては賛同」だとか
「他はともかく、この政策に関しては賛同」といった
条件付き支持など、こういう人たちには理解できぬらしく、
さまざまなレッテル貼りをして自ら思考停止を宣言しつつ
魔女裁判だの廃仏毀釈だののような活動を精力的に展開する。
こいつらがまた、声でかいから、妙に目立つんだよな。

そういうのを世論だと考えてるのかマスコミでもまた、
火に油を注ぐようなネタを喜んで提供してくれたりする。
以前から政治の話題は日本において避けることを推奨されるが、
感情的な争いに陥らぬように、という理由なのであろう。
でも、忌避されているから余計に論争が下手になるなどとは、
きっと想像も及ばぬコトなのだろうね。多くの日本人にとって。

またも、ハナシがズレた。

基準を満たせば○、そうでなければ×、例外なし。
試験で○か×か、ばかりやってたせいか、あらゆる事象において
その○と×の基準が厳然と用意されているものと思っている。
基準を求めれば何処かに書いてあるとでも思っているのだろう。
それさえ知れば、悩むどころか深く思考する必要もなくなり、
快刀乱麻を断ち天網恢々疎にして漏らさず天下太平家内安全。
要は、思考コスト削減のための魔法の粉を探してるワケだ。

即断即決それ自体は悪くはないのだけれども、短気は損気。
過度の期待と短慮短絡とは結びつくと拙速の弊害ばかりが出てしまう。
弊害を避けるためには状況に応じて柔軟に基準を改訂していかねばならぬ
はずだというのに、何故かそれが金科玉条のような崇拝対象になっている。
「そんなの、守って当たり前、できて当たり前だろ」と思考停止。
「組織の中で働いている男性の常識」に照らしてみれば、
どうしてもそうなってしまうのかもしれないけれども。

もっと酷い場合には、自分が間違っていないという大前提、
そして相手に善意がないor悪意がある、誤謬があるという前提
でのみ考えており、それらを疑うコトさえ知らない、気付かない。
ある意味で、オトナたちまで純真なのである。
まあ致し方あるまい。組織が組織だし。教育が教育だし。

純真、悪く言えば幼稚。それだけであれば、まだ状況は維持できた。
国の将来に夢と希望を無邪気に抱いていられた時代が続く限り。
でも、特殊な組織が闊歩した特殊な時代は終わりを告げて久しい。
もう日本の蓄えは尽きてるどころか借金生活に入っていて、
放っておいても良くなるような期待感は持てない。
さまざまなトコロで、悪循環という正のフィードバックが加速する。

昨日までの繰り返しになるが、そんな現状に対して、いささか理想が
高すぎ、著しく乖離してるるのではないかね。この国の有権者たちは。
「商品に文句を言えば替えてくれる」「待っていれば新製品が出てくる」
なんて消費者としての体験に慣れすぎているせいで、まだまだ次があって、
もっともっと良くなってくれるなんて、軽く考えてるんじゃないかな。

あえて自分自身のコトは棚に上げて言うが、ここでいう借金てのは、
経済的な借入金もあるが、未来の自分に損をさせる抽象概念も含む。
生きるか死ぬかの瀬戸際なら致し方あるまい、あるいは借金してでも
投資をすれば大きなリターンを高率で期待できるといった、
極めて限定された状況に限っては、それを採るのも良かろう。
でも漫然と借金するのでは、間違いなく泥沼に陥っていく。

もしかしたら食って排泄してブーブー言うだけの家畜に成り下がって、
檻に閉じこめられて最期は処理される、なんて運命を望むつもりか?

使い捨てるのではなくて、持続可能な政治経済を作れないだろうか。
ヒト個体はもちろん、ヒト集団もまた、ある程度の柔軟性があり
適応力があり、成長したり老化したりするようになっている。
いずれ朽ちて世を去るヒト個体/集団に依存するコトはできない。
むしろ生物としての再生産機能を上手に活用した方が良かろうよ。
より良く成長させる、より柔軟に適応させる、そんなのがいい。

もうね、ハナシがズレた。

同じく単純化するのであれば、むしろゴールに対して、の方がいい。
行動を考える際の目標だとか、基準といったものに対して、である。
あるいはせめて目的に優先順位をつけて、「考えながら行動する」
手順を単純化するようにできないだろうか。
目標に向かう考えを効率的に進めて、動いていく、という感覚だ。

たとえばこのブログ、途中から意識的に仕込んでいる意図がある。
「読んだ人が自発的に思考してくれるように」といった考えだ。
そこから導き出した多種多様な要素を使って、書き続けている。
目標を単純化すれば、一見した内容はバラバラになったとしても
きっと全体としては大きくブレずに済むのではないか、と思う。

もうちょっと噛み砕いてみよう。
補足説明を書くべきか書かざるべきか、と考えたときには、
「思考してくれるように」という単純化された目標に沿って
ヒントを出すかもしれないが具体的な詳細は書かない。
逆SEO的に固有名をほとんど出さないものの、ほぼ簡単に
推測できる表現にしていたりするのも、思考してもらうため。
可能な範囲で短めにしているのも、余韻を残すようにして、
その余韻の中で思考してくれれば、という期待から。

故事成句や歌詞、歌曲名などのパロディを多用したり、
ところどころ微妙に韻を踏んでみたり、行数や文字数を
なんとなく整えてみたりするなども、試行錯誤しつつでは
あるけれど、そこに読者が引っ掛かって思考の切っ掛けに
してくれればいいな、という些やかな試みだったりする。
ちなみに、文章はリズムとメロディーで意味の流れを構成し、
そこに詞を乗せていく、といった感覚で書いていたりする。
なかなか会心の文は出ないが、読みやすさと伝わりやすさ、
そしてもちろん「思考してもらう」コトを目標としたものだ。

而して、ハナシがズレた。

現状、有権者の前に並ぶ選択肢は、いずれも最善とは思われない。
「全部駄目」と切って捨てる発言は、いかにも簡単で、安易で、
どうにも思慮が足りていないのではないだろうか。
拙速なる単純化、の弊害が前面に出ているように思われてならない。

代議士は国民の支持がなければ仕事も始めららない。
短気を起こして短期的な動向だけで判断していては
長期的に育つかもしれない芽も摘んでしまうだろう。
多少でもマシだろうと思われる選択肢を選んで、
そこにさらに投資をして期待値を高めていく、
そんな戦略的な発想を、政治にも経営にも期待したい。

もちろん、期待する相手というのはトップ層もさることながら、
主には、それらの主権者である有権者や株主に対して、である。
政治家ってのは、突き詰めて言えば国民が自ら生み出した存在。
それを育てるか歪めるかは、やはり国民次第。
怒るのでなく、叱れますか?

難しいものだと思って考えていては、難しいまま。
「難しいから回答をくれ」も、難しさを解決しない。
難しくないものにするためには、考えていかないと。
そのためには、効率的に思考を展開できるようにする、
ちょっとしたテクニックを身に付けておけば、楽だよと。

「戦略といったって、日本人はファンシーなものと捉えがちだけど、
そんなに大それたものじゃない」と、先日会った元会社経営者は
語っていた。実際、そうだろう。本当は敷居が高いものではないし、
それさえあれば万能、というような性質のものでもないのだから。
ただ単純、空転せず適時的確に判断を下せるようにするための
目標や指針、思考手法などの総合を指すのだと、個人的に思う。

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2010/03/11

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(48) 「心証膨大」

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このところ「相手に伝わったメッセージ」を中心に考えている。
ヒトの脳は膨大な知覚情報から得たい情報のみを得る生物である。
本能や経験から導き出されたフィルタを用い、必要そうな情報だけ
抽出して処理していくようになっているのが、ヒトの脳だ。

明確に意図していようといまいと、人為に接したヒトは多くの場合、
そこから何らかのメッセージを読み取ろうとする傾向も、またある。
同種の生物に接したとき、その相手が敵か味方かを見極めるべく、
発達してきた機能なのであろうとは、容易に想像できるトコロ。

ところが、そこでしばしば陥りがちな罠があったりするもので、
明らかにヒトの脳で処理するには情報過多な現代社会においては、
これがしばしば「誤ったメッセージ」の弊害を生じたりしている。
とはいえ、現象を探っていけば、その回避のヒントも得られよう。

さて、今回は、一つの作り話から。

経済状況の悪化に伴う経営危機でコスト削減が至上命題となり、
断行するにはトップダウンの強いリーダーシップが必要だ――。
なんてハナシを聞いて、部下に怒鳴り散らした社長がいたとする。
大幅な経費削減となれば、どうしたって人件費の見直しも迫られる。

けど上司に怒鳴られながら、外注先に涙を飲ませて価格を下げさせ、
品質や安全性が損なわれるかもしれないと知りつつ材料や工程をケチり、
節電で薄暗く壁紙の補修も先送りで貧乏感たっぷりの事務所や工場や倉庫で
必死に仕事して、その努力の見返りとして、部下が得るのは収入減か。

仮に一律で1割の報酬カットをして率先垂範だーなんて、社長が考えて
いたとしても、社長報酬の1割減と平社員あるいは派遣社員やバイトの
1割減では意味合いが全く違う。社長はそこに気付いている必要がある。
でないと間違いなく、間違ったメッセージが、部下に伝わるはずだ。

「そうか、社長は部下の連中を暮らせなくするつもりなんだ」――。
従業員のモチベーションやモラルは1割どころでなく下がるコトだろう。

解決のヒントになるかと思えるのは、先日あるコンサルから聞いた話。
全体のコストダウンを図りつつも、部分的には報酬アップとなる方策。
コンサル氏はアウトソース先について、改善成果の大きいトコロに対し
業務を集約させ、全体の対象企業数を減らす方策を提案していた。

そのまま従業員に適用するのは別のメッセージが混入しがちなので
(どんなメッセージかについては省略。各自適当に推測してください)、
こんな感じでどうだろう。あくまでも一例として。
まず全体としては1.5割減だが累進式で適用、現場で仕事をしていない
人たち、つまり管理職や経営層ほどカットされる率が高まる形にする。
それから、経営上の課題であるコスト削減に繋がる提案、活動について
一つひとつ吟味し、その内容や成果に応じる形で報償を与える。
この報償に使うための原資として、0.5割分を使う。
基本として、「上も下も苦痛を担う」「上手く行ったら報いがある」
というメッセージになればいい。もちろん、運用面の課題は残るが。

知恵を絞れと言いつつ、その知恵の例も示さなかったり、
そもそも知恵を出せる状況を作ろうともしないようでは、
おそらく受け入れられる上司の姿ではあるまいよ。
部下が受け取るメッセージは「敵対者」に近付くはずだ。

現実に見られる政治家と官僚の関係も、まあそんな感じだな。
高い理想を掲げて現実的な政策に落とし込んでいく政治家と、
それをさらに効率的効果的に実施していく官僚機構がほしい。
もちろん実際には、そんな理想的な関係は存在してないワケだが、
だとすれば適切な管理運用が為されない限りは、組織も動くまい。
そして政治家は巨大な官僚機構を、明らかに管理しきれていない。

だもんだから上から押さえつけるばかりで、どうにも成功しやしない。
シゴトしなくても問題を起こさなければ報酬が上がる、なんて具合に
誤ったメッセージを与え続けているもんだから、どうしようもない。
だから、着手すれば問題が生じる可能性のあるような新しい仕事に
どうして取りかかれようかと、そう思わせてしまっているのである。
新政策を実施せよ、行政改革をせよと命令したトコロで、動くまい。

結局のトコロ、関係者全員に問題があるのが現実の姿といえるだろう。
だから政治家も官僚も、そしてもちろん有権者たちも意識を変えねば。
組織を変えるためには目的を、そのためには意識を、変えねばならん。
たとえば、税金を収入として活動している企業だとは考えないのだろうかね。
そして住民と呼ばれる顧客たちと、より密に接する意図はないのだろうかね。
あるいは顧客たちの満足度なども、本気で考えたコトなどないのだろうかね。

顧客が、どんな相手と取引したいと考えているのか、についても……。
決して「オキャクサマ」なるカミサマを育てろとはいわない。
そして狡賢い連中に良い顔をする組織であってほしくもない。
むしろ賢い顧客と対等に付き合う、賢い組織であってほしい。
そんな感じのメッセージが、伝わっていくようになればいい。

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2010/03/10

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(47) 「病は気から治せるコトもある」

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ニュースに取り上げられるのは、
基本的にヒトに関わるハナシである。
そして目立つ声は、多くが批判か非難。
不平不満を持つ者の方が声がでかいのは
言ってしまえば自然の成り行きだけれども、
批判ばかり前面に出ては何も進みやしないよな。

ヨノナカなんて基本的にスッキリしないものだ。
スッキリしたいのだったら自分の中身を整理して、
それで以て、その気持ちで世を眺めれば良かろうに。
細かいトコロに一つひとつ不平不満を挙げるのみでは、
きっと自分の中にモヤモヤしたものを増やすばかりで、
結局スッキリできず楽しく暮らすコトも難しかろうに。

生活習慣からくる体質の問題でスッキリしないのなら、
健全な生活にするのが先決ではないかと思う次第。
ましてや精神的な生活習慣病なら、なおのこと。

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2010/03/09

一億総カミサマ?

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政権発足当初は支持していて、1年もすると
掌を返したように不支持に回っていく世論。

何をどのように期待していたのだろう、と、気になって
仕方がない。もしや期待過剰だったのではないかと。

ひょとしたら、単純に旧政権に対してネガティブだった、
というだけなのではないかとも、穿って思えてしまう。

でも人々のネガティブだけを集めて動かすだけでは、
きっと民主主義政治は成り立たない。むしろ衆愚化だ。

考えてみれば近年では選挙戦略が急速に洗練されてきつつあり、
より“効果的に”浮動票を取り込んだ者たちが政権を勝ち取る構図。

マーケティング戦略ばかりが上手になって、
客の教育が“なっていない”のかもしれない。

「考えるんじゃない、消費するんだ」といわんばかりの
近年の企業のマーケティングに馴らされてしまった消費者。

要するに消費経済の原理が行き過ぎてしまっていて、
民主制を傾かせているのではないかと、さえ思える。

この世を支配しているのは、「オレサマ」あるいは
「オキャクサマ」という名のカミサマ、そんな構図だ。

もともと共生関係として考えられているトコロだのに、
いつの間にか片利共生さらには寄生関係にしてしまう。

そんなワケで規制だけが既成事実として積み重ねられ、
寄生虫に矯正を強制された宿主は能力も発揮できない。

仕舞いには誰もがオキャクサマとなって、
きっと誰もが他人に要求するのみだろう。

あっちが悪いこっちが悪いなんて、
何をか言わんや。見てる阿呆が。

言うだけならタダだからとばかり気軽に言っているの
だろうけど言われる側はきっとタダじゃ済まないはず。

それが世論のメッセージだと誤った受け止め方をして、
仕事の優先度を安易な順に差し替えてしまったりもする。

まず先に求めるのは品格か成果か、あるいは努力か結果か。
どちらも大切だと言いたいのだろうけど優先順位どっちだ。

土壇場の状況下で、あるいは一瞬を争う場において、
大目標を差し措いてまで議論すべき話題かどうか。

ていうか、そういうトコロで余計な議論をしていても
きちんと仕事できる連中だなんて、とても思えない。

さしたる努力もなく両面での完璧を求めるのは
さすがにワガママすぎるだろうと思うのだな。

日本という国は長年、楽をしすぎていたので、
そういうトコロの工夫や知恵が足りてない。

役にも立たぬ夢想など、とっとと捨てて、
本来の役割に立ち戻りやがれ。

地道な努力、地に足のついた工夫、
現実と理想のギャップを埋める知恵へ。

文句を言うのは、ひたすらソレを続けてから。
そう言われて、育ったのではなかったっけ?

政治家というのは国民の中から育つものだと、
そういう事実を全く意識していないのだろう。

考えなしに酸素を消費するだけの卵からは
考えなしにつつき回る鶏が生まれるばかり。

あるいは親子丼なら鶏が先だけれども、
いずれにせよ卵も最後に煮られる運命。

食う側からすれば、それぞれの味わいが
楽しめる食い物であるワケだけれども。

鶏卵いずれが先かという問い掛けなんぞは、
こうなってしまっては大きな問題ではない。

それこそ喧嘩両成敗どっちもどっち。どっかの呪文で、
「われとともにきたり、われとともにほろぶべし」と。

そういえば前衆議院議長が、その任を終えたときの談話には、
「戦前回帰が心配だった」という主旨の言葉があったような。

おっと、もう一つの出演者を忘れるトコロだった。
正のフィードバックを促進する強力な触媒がある。

国民の不安に応えるマスメディア。
そこに映し出されるのは亡国の幻影。

漠然とした不安に、ある程度の具体性を持たせると、
これが妙な具合のスッキリ感をもたらすという原理。

ところが、こんな人工甘味料は正直なトコロ、
ヒトの栄養素にならぬどころか副作用も強い。

人々は幻影に怯えるあまり萎縮してしまい、
そうして幻影は、着実に現実化していく。

「それみたことか」と、ほくそ笑む様子が
目に浮かぶようだ。と、先に呆れておくよ。

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2010/03/08

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(47) 「あんまり寄せられても困るよ、大樹の陰」

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日本人の常識とされているものって、大半が
「組織内でバリバリ働く男性の常識」だよねと、
友達と電話で話しながら、喋っていた先日の夜。
お互い、微妙にマジョリティから外れた存在だ。

「組織内で(略)」の連中というのは一般的に、
身体でかい、態度でかい、声でかい、主張強い、
要するに押し出しが突出している存在なので、
どうも正直に言うと苦手な存在だったりする。

いわゆる「身内」なら気にならないけど、
全くの他人で、そんなのが近くにいると、
どうにも辟易してしまうのである。

それはともかく。

そんな彼らが得意とする考え方の一つに「責任論」
があるんではないか、という話題だったのだった。

何をしようと勝手だけど、その結果は全て自分のもの。
成功は他人の援助があろうと自分のものだと主張し、
失敗したら運が悪かろうと、やはり自分で被れという。
とにかくこっちはこっちで一生懸命やってるんだから
外から余計な邪魔するな迷惑かけるな、という。
そんな責任論が、「組織内」での主流なのだろうね。

彼らを子細に眺めれば、とても体力があって行動的、
仕事をテキパキあるいはバリバリと片付ける手腕、
成績を上げるための努力は怠らず、おまけに遊びも
いろいろ激しくやっていて、そういうトコロは凄い。

成功が期待できる組織に入って、その中でさらなる
成功を目指して突き進んでいくために、そのような
「常識」を身に付けてきた、とは推測に難くない。

けれども。

だから、同じく日本国籍を有しているにも関わらず、
あるいは逆に「同じ日本人なら」という論調の下で、
さもなければ「日本人ですらないのに」と突き放し、
「オレサマたちの日本に恥を掻かすな」なんて怒る。

総合すると彼らのいう日本人というのは、
基本的に彼らと同種の生物に限られる。
「組織内でバリバリ働く男性」である。
彼らが日頃から相手にしてるのも同人種。

組織内、あるいは同種の別組織に属する集団
でしか通用しない常識を拡大解釈していって、
まるで日本国の法律か何かのように勘違いして
いるのではないかと思ってしまったり、もする。

日本人というのは、もっとずっと多種多様な
存在じゃないかと思うのだけれども、ただ
彼らの声がでかいので、その「常識」ばかりが
日本社会全体を支配するような構造になってる。

働き盛り男性ってのは、仕事で心身共に磨り減らして
挙句には過労死したり自殺したり、そんな連中でもある。
彼らが振り翳す責任論は、確実に彼ら自身の心身をも
蝕んでいる、というトコロなのじゃないかと。

もっとアタマを使って、自分のワークロード減らして、
働き盛り男性以外の人たちにも仕事を分けてやったり、
同時に社会の代表としての立場についても、
もう少しくらい分けてくれればいいのに。

それから、この手の人たちは、人の育て方を知らない
傾向が強いんじゃないか、という印象もある。
部下に指導するといいつつ、むしろ束縛していて、
「権限なくして責任なし」という環境にしてしまう。

他人の、特に部下の失敗の責任を被りたくないからか、
逐一の報告を求め、内容が駄目だと思えば叱咤する。
一方で、細かな指示を出して判断をさせなかったり、
あるいは方針も示さず「頑張れ」とだけ、激励する。

部下を育てたいという考えはあるのだろうけれども、
そんな中長期的な視点よりも、目前に迫るかのように
思えるリスクにばかり気を取られ、短期的な感覚が
異常に突出している結果、そうなってしまうのだろう。

自分に責任が及ぶのを強く嫌うあまりの行動か……。

もうちょっと、賢くやってみたらどうだろうかねえ。
そんなふうに、「組織内でバリバリ働く男性」でない
身としては、思えてならないのでありました。

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2010/03/07

同じ阿呆なら一緒に踊りませんか

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「面倒になる前に動き出した方が良い」
別のニュアンスでも、やはり最近気付いた件。
面倒だからといった理由で気付かぬフリをしていると、
ときたま却って失敗する。そんな経験をいくらか。

というのも周囲が「気付いてない」と想定してたり
するもんだから、それが混乱の原因になったりする。
なので、気付いたフリをしていた方がいい、
というふうに思うようになってきたのである。

--
責任というのは、本人が思っている以上に
後になってから発覚したりするものだけど、
そのために目の前の問題から逃げる行動が
多くのヒトにみられる対応パターンだったり。

たとえば二者択一の、どちらも望ましくないような、
卑近な例では二大政党のどっちを選ぶか、といった
選択を迫られたときなどには、「選択しない」
という選択肢を採ってしまっていたりしないか。

どちらにもリスクが想定される選択肢だから、
そのリスクを恐れて手を出せないというワケだ。
でも、選択しない行為の先には、見落としている、
あるいは気付こうともしないリスクが隠れている。

さらにいうなら、選択肢が2つ提示されていて、
もう一つ隠れた選択肢として「選択しない」が
選べるとしても、ヨノナカそんな単純じゃない。
選択した後の行動が、さらにリスクを変動させる。

選ばれた政党は、他から切り離されて活動してる
ワケではなくて、むしろ世論調査の結果なんぞに
一喜一憂しながら、支持率ばかりを気にしていて、
目の前の数字に縛られてしまっているのが実態。

世論が政治を動かす、というのは民主主義として
真っ当なハナシではあるのだけれども、現実には
それが効きすぎて短期的な国民感情がそのままに
政治へと反映されてしまって、どこかズレている。

選択したら自動的に結果を出してくれると過剰な
期待をかける国民。相手もまたヒトだというのに。
選択されたものの不安ばかりだから目先の数字に
ばかり縋る政治家。国民もまたヒトだというのに。

皆が憂えるような日本の現状は、きっとずっと前、
「選択しっぱなし」だとか「選択しない」という
人たちが、つまり国民の多くが自ら招いた結果。
そう思えば、甘んじて受ける以外にあるまいよ。

--
時間の経過につれ物事の複雑さは増していく。
「ちょっと面倒だ」という程度の早めの段階から
動き出してみれば、気持ちの上でも次へ次へと
思考や行動が進んでいくのを実感できたりする。

むしろ事態が動き出すより先に動き出し、
意識して先へ先へと行動し続けてみてはどうか。
ときたま疲れたときには意図的に休んでいい。
休んだ後には動き出すトリガーを用意しておく。

気張って動き回ったところで、すぐ疲れるのだ。
また気を抜いて動き回っても、大した利はない。
意固地に止まっていても、まあメリットないね。
怠慢で動かないのは、もうそりゃ論外だろうし。

動くも止まるも積極的にせよ、というコトか。
阿呆だから、そういうトコロに気付くにも
中年になってしまうくらい時間が掛かった。
これから先、そんな風にしていけるかなあ。

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2010/03/06

莫迦も休み休み生きる

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最近になって、分かったコトが一つある。
「面倒になる前に動き出した方が良い」。

仕事や家事の合間、ゆっくりしていたりすると、
なかなか次の作業に動き出せなくなってしまう。

精神的に疲れていれば気力が出ずに動けず、
体力的に疲れていれば寝てしまって起きず。

いずれにせよ疲労が出てしまうと
進みが遅くなりがちなのである。

動き出せば次々と進められるのだけど、
休息のタイミングによっては、止まる。

ただし、ひたすら動き続けているばかりだと
精神的にも肉体的にも疲れ切ってしまうから、

ひょんなトコロで眠り込んだりして
身体が勝手に長く休もうとしてしまう。

そこらへんの問題点も、
考えておかないとな。

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2010/03/05

自称逸般塵の不通の日記(142) 雨に歩けば

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小雨の中、ちょっとした用事で出歩いた。

雨は好きなので、気が乗れば散歩に出る
トコロなのだが、気乗りしない作業など
控えてるもんだから、用事だけで帰宅だ。

あまりに小雨なので傘も持たずにいたが、
道行く人々のほとんどは傘カサかさ……。
歩道が普段より狭くて少し歩きづらいな。

散歩でなく用事で出てるから余計に思う。

いや、まあ、アレだ。
さっさと仕事片付けりゃいいんだけどね。

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2010/03/04

暗箱に針穴(22) 構造的な構図設計

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普段通りに散歩するといっても、名所旧跡やら
神社仏閣などに全く立ち寄らないワケでもない。
東京だろうと京都だろうと、他の地だろうと、
そういうのも適宜折り込みつつ歩くコトが多い。

今回は、少しばかり庭園など歩いたりしてきた。
桜が咲く前の時期の平日だから混雑していない。
さほど遠くない少人数旅行なのであろう近畿系
イントネーションの人たちや、外国人が主な客。

明治期に造られた苑地は細部まで緻密に作られ、
かつ日頃から常に綿密な手入れが為されており、
歩けば自ずから、練り上げられた構図が次々と
視界に入ってきて飽きさせぬようになっている。

何処を如何に切り取っても、たいてい画になる。
人が歩いていれば、それさえ構図に折り込んで。
逆に奇を衒った切り取り方をしようと試みても、
それは他の場でも得られそうな画ばかりとなる。

だので結局のトコロあまり撮影せずに終わった。
“撮らされている”ような感覚に陥りつつもなお、
我ながらと思えるような写真をモノにするには、
まだまだ遠いように思えてならない。

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2010/03/03

出張旅行記(28) そうだ、京都行ってきたんだった

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残念ながら宿泊する金銭的余裕はないし
幸か不幸か一泊する時間的余裕もなくて、
例によって日帰りだが、朝イチに出て
昼過ぎに仕事を終えるスケジュールなので、
夕方近くまでブラブラする時間があった。

といっても例によって駅ビル屋上から
京都駅に出入りする列車を眺めたり、
それから疏水沿いに歩いていたり、
ほぼ東京でブラブラするのと変わらない。

とはいえ土地勘に乏しいのが却って楽しい。
知った道から少し入れば、もう知らぬ道。
さらに歩き回れば、また知った道に出る。
そんな繰り返しで、知った道は増えてく。

名所旧跡神社仏閣を端から巡るでもなく、
大量の土産を買い込むでもなく、
ただ普段通りに、歩く。
人が生活している地では、それが楽しい。

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2010/03/02

いずれ芽生えて育って実るかもしれない種子説明

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明確なメッセージを意図してアクションした上で、
それがきちんと相手に伝わっているかどうかまで、
しっかり考えているだろうか、と。

答えなんて、誰かが用意して採点しようと待ち構えているワケじゃない。
あれやこれやと苦労して試行錯誤しながら自分で導き出していって、
今の世や後の世に、問い掛けるべきものであろう。

逆にいうなら、ああしろこうしろと押しつけるばかりでは、
その相手が持っているかもしれない、自分で導き出せる可能性を
切り捨てるコトになりかねないのではないか。

あるいは、好悪どちらとも受け取れるような
曖昧なメッセージが伝わっているだけだとしたら、
「どうでもいい」的な受け取られ方になったりはしないか。

相手が考え、工夫して、努力して、失敗を重ねながらも
なんとかして導き出そうとするのではないかと、
そう信じて託すコトはできないのだろうか。

そして、そういうサイクルを繰り返していくうちに
少しずつ知力体力技術力を蓄積していって、いつしか
運が向いたときにはブレイクスルーも見えてこよう。

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2010/03/01

科学系ヨタ話(12.5) 研究も下から動く

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太平洋を渡った津波も、どうやら一段落した模様。

さすがに50年前の教訓が残っていて
避難行動も迅速に行われた様子だが、
これで「避難して良かった」という
良い教訓を残しておきたいトコロ。

だもんで実用性のある研究はもちろん大切だ。
こうして過去の知見から被害を小さく
抑えるような行動を取ることができる。

だが、それと同時に、基礎研究もまた欠かせない。
特に中長期的な、継続性のある分野での研究が。
たまたま先日読んでいた理系新書の一冊、
海洋研に関する内容だったのを思い出した。

「最近の若い研究者は時限で切られた職に就くことが多い。職を得るために少しでも早く論文を書かねばならない。そのためにはすぐに答えの出るようなサイエンスを選ばないと他の研究者に負けてしまう。これは悪循環であり国の科学政策が貧しいとしか言いようがない」
(藤崎慎吾・田代省三・藤岡換太郎「深海のパイロット」光文社新書)

基礎研究の厚み、広がりこそ応用科学を支える土台。
特に大切なのは、長期的に眺めて観察し続けること。
定点でデータを収集し続けるコトが、変化を捉える
ために欠かせない。着実・確実と地道とは表裏一体。

長期となれば機械の方が適切、という背景もあろう。
最初はフロンティアゆえ人間が取り組むべきだが、
フロンティアでなくなったトコロはシステム化して、
ヒトはさらなるフロンティアへ進むのが望ましい。

ヒトの知見の及ぶ範囲は拡大を続けているワケだが、
フロンティアというのは常にその周辺に存在する。
それを拡大しようとするのはヒトの種としての本能に
近いレベルの衝動であり、そこに人が進むのは当然。

それゆえ常に人手も要るし、システム化するまでの
設備投資や、前段階の試行錯誤などにカネもかかる。
ヒト・モノ・カネの投資を惜しんでいては進めない。
進まなければ、いずれ土台から弱っていくだろう。

科学と同じく芸術などもまたヒトが作るものである。
機械に作らせるコトも可能だろうけれど、その仕組みは、
やはりヒトが仕込んでいるのだから、ヒトの作品だよな。
機械が自発的に芸術を作れるようになるのは、まだ先。

この構図、他の分野でも基本的に大した違いはない。
もっと身近な、たとえば製造業でみても開発や試作は
主にヒトの手によって進められ、それから徐々に
量産へ向けてシステム化の工夫を積み上げていく。

どちらにせよ仕組みそのものを考案して練り上げて
構築して稼働させ、そして運用を見守るのはヒト。
結局のトコロ、ヒトは頭を使って工夫して努力して、
やれるコトを全てやっていかないといけないのである。

もちろん、それでもなお成功するとは限らないのだけれども。

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