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2010/04/19

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(52) 「遠交も近交も」

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デモの話題を書いていて思い出したのだが、
過日、都内某所の公園で黒詰襟を着込んで日章旗を掲げた
30人ばかりの一団を見掛けたコトがあった。
見たトコロ、右側通行の集団にしては微妙に違った雰囲気。

ちょと違和感があるのは、ノートPCやらデジカメやら情報機器の
装備が充実している反面、黒塗り8ナンバー車など大道具がない。
近くを通ったとき、叫んでいる内容を聞いてようやく理解した。
“海洋牧羊犬”を自称する環境原理主義集団に対する非難だった。

もとより示威や実力行使のような活動に参加する気はなく、
そもそもヒト集団に馴染めない社会不適合を自覚していて、
そのうえ大声や大音量が苦手なので近寄らぬコトにした。

この集団や参加者に対し非難する気など毛頭ないのだけれども、
むしろ知恵を使いたいので傍見するに留めたいのが実感である。
てなワケで少しばかり深掘りして考察してみるコトにしよう。

この国は環境原理主義者のテロリズムに対して
どのような対策を重点に置くのが得策だろうか。

テロ行為に負けぬように現場の力を強化する対策は、
直近の対策として必要であり効果も期待できようが、
力での対抗だけではアタマが悪すぎるのではないか。
思考コスト節約が過ぎると後で面倒が増えてしまう。

むしろ彼らの地盤を弱体化させ力を削いではどうか。
あの過激な活動のためには多額の費用が必要であり、
無数の支援者の寄付があってこそ可能なはずである。
支援者層の考え方を変えていくのは地道だが着実だ。

それも、意見を押しつけるのではなく、
自発的に寄付などの支援を停止する、
という状態を最終的なゴールとする。
だから対話を通じ説得するのが適切だ。

日本型の環境意識とはどのようなものか、
欧米人型の環境意識とはどこが違うのか、
そういったディスカッションをアチラの
現地で積極的に行ってみてはどうだろう。

もちろん相当な費用が要るし、勇気も要る活動だ。
だから個人や任意集団よりは役所の仕事となるか。

環境意識のディスカッションなどとなってくれば
環境省の仕事であり水産庁が手出ししづらいかも
しれないが、そんな官僚体質は改善が必要だろう。
そう考えると政治による主導が求められそうだな。

安全保障だのエネルギー問題だのもまた、
似たようなトコロがあるような気がする。
要するに国と国とが分かり合えていない。
つまりは国民と国民の理解が足りてない。

相互理解なんてコトバで示すのは簡単だ。
けど、これほど実践が困難なコトもない。
理解するのも、してもらうのも、いずれ
劣らず非常に難しく大変なのであるから。

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自分が自身を信頼できないのに相手に自分を信頼するよう求めるなんて、
それこそ詐欺のようなものだから最初に自分が自身を信頼するのが前提。

といったって契機もないのに自己不信など解消できるものでもないから、
他者との対話の中で少しずつ自身への信頼を取り戻しつつ相手にもまた
信頼の度合いを高めてもらうような進め方が現実的なハナシなのだろう。

おそらくはヒトの個人であろうと集団であろうと、
そういう理解信頼プロセスは大きく違わないはず。

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