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2010年4月

2010.04.30

非日常の中に日常を探すのか、日常の中に非日常を探すのか

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南米へ長期旅行をするといって旅立っていった友達もいる。

親しくなったのは比較的最近だけど、ここ数カ月間などは
一緒に歩いたりドライブしたりしていて、いろいろ喋った。

いわゆる日本の一般的な社会人とは違った行動をしがちで、
何となく日本社会に馴染みにくい性格のようなトコロなど、
どこか親近感を覚える友達。心から楽しんできてほしいな。

それにしても旅というのは、予想外の事態がつきものだ。
早速、夜行バスに乗り遅れたというメールが届いていた。
でも、旅慣れている人なので、さして心配はしていない。
トラブルをも笑い種にして、文句を言いながらも楽しく
乗り越えながら、先舳先へと旅を続けていける人だから。

旅の幸運を祈る。

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2010.04.29

自称逸般塵の不通の日記(155) 雨模様の中にも垣間見える春

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新年度から転職した旧友の、新しい仕事場はウチから徒歩圏内。

午後になって雨が止んだ日の夜、買い出しに出ようとしていた
トコロに電話が掛かってきて、「今、目の前にいる」とかいう。

缶詰生活といっても、食事や買い出しなどで小一時間くらいは
出掛けるのが通常なので、最寄駅まで案内がてら一緒に歩いた。

時間と予算の余裕があれば、きっと駅前ででも飲んだとは思う
けれども、さすがにそこまで付き合える余裕は、現状なくてね。

駅前で丼飯を食って別れ、一人買い物をしながら家路を急げば、
雨の後の湿気の中に暖気を、僅かながら感じ取るコトができる。

この区には数多く植えられている街路樹、住宅や公園の木々に、
芽吹いた若葉が、日一日と育ち色濃くなっていくのも、楽しい。

今年の春は、いろいろあったが、どうにかこうにか春らしくは
なりつつあるのだと、ようやくにして思えるようになってきた。

旧友は新しい職場の人間関係に早速、複雑な思いを語っていた。
まあ愚痴を言えるだけマシだろう。仕事なしで迎える年度より。

ウチの仕事も不規則極まりないが、それなりに忙しくしている。
まだまだ稼ぎは乏しいし不安定だけど、春は巡ってくるものだ。

もうすぐ5月。新年度だなんて言ってられない時期になりつつ。

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2010.04.28

自称逸般塵の不通の日記(154) イベントの間に缶詰生活

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訂正。さらに翌週末の用事も忘れていたので5週連続だった。

ドタバタしている間に仕事が詰まってきているもんだから、
次の予定を予定通り過ごすためにも缶詰生活に入らねばな。
打合わせやら出張の間に、作業すべき点も煮詰まってきた。
もちろん外出を減らして出費を抑えるにも役立つはずだが。

さあ、これから数日ひたすら自宅で忙しくしてやろうかね。

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2010.04.27

自称逸般塵の不通の日記(153) 4週連続イベント

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このところ妙にイベント週末が続く。
レンタカーを仕立てて都内の山中まで
親しい音楽家たちのライブレコーディングを
鑑賞しに行ってきたのは、もう前の前の日曜だ。

その翌週には「帰国祝い」があって、直後に出張。
さらに次の日曜にも友人たちで集まる予定がある。

仕事は、そんなに多忙ではないはずなのだけれども、
妙にドタバタして時間が少ない上に出費が多くなって、
主に懐の具合が、かなり予想を超えて余裕がなく大変。

こういうときには落ち着いて周りを見渡して
しっかり状況を把握した上で動かないとな。

まあ面白いデキゴトが連続しているから
金銭的肉体的に厳しくはあるけれど、
決して飽きるコトはないのが幸いか。
精神的には、やっていけそうだ。

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2010.04.26

自称逸般塵の不通の日記(152) 帰国困難者という生活?

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そのu君、夫婦で旅行中に滞在先の北欧で1週間も足止めされていた。
日本でも大きな話題になった、例のアイスランドの火山灰の影響だ。

空港閉鎖を知った時点で、航空会社や旅行代理店などに連絡を取り、
滞在する宿を確保した上で早期帰国へ向けて情報収集や交渉を進め、
少なくとも空港で寝泊まりするような事態だけは避けられたという。
最後まで空港の閉鎖解除が遅れたヘルシンキ経由での帰国ルートを
予定していたため、他空港からの帰国者より遅れてしまったものの、
スペースシャトルに遅れること数日、ようやく無事に帰国できた。
天災は人為の及ばぬものであるが、人の備えは役に立つコトもある。

成田からの帰路、「酒飲みたい」と連絡を寄越してきたu君夫婦。
親しい友人たちが集まって、ささやかな帰国祝いを催したのだった。

当初の予定では1週間程度だったトコロへ1週間あまりの滞在延長で
いろいろと余計な出費が嵩み、また事後処理に若干の面倒な手続きが
予想されるとはいうものの、無事に帰国できた以上、もはや笑い話。
それこそ一生の記憶に残るコトだろう。2人にも、周囲にとっても。

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2010.04.25

活性賛阻?

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何かに押しつけて溜飲を下げるばかりの人々には、
週刊誌やワイドショーのようなものも役立つのか。
……とは思うのだけれど、いやはや。個人的には
好きになれない、というか理解し難く眺めている。

太平洋の対岸の統領の掛け声は自分自身も含めて
皆で動こうという意識を前面に出していたけれど、
レストランの客が出てきた料理に「チェンジ」と
文句をつけているようにしか聞こえない列島の声。

あまつさえ評価できるトコロが何一つないとでも
言わんばかりに絶対的な非難めいた見出しの数々。
何もせず文句だけ言えば結果に繋がるのだろうか。
正直なトコロ、見苦しい姿に思えてしまうのだが。

「MITTOMONAI」を忘れた日本人、とu君は言った。
「MOTTAINAI」が世界的な流行語となったものの、
その感覚は一歩間違えれば「しみったれ」である。
醜くならぬよう気を配るコトも忘れてはいけない。

なにしろヒトは不安や不満や不足などに根差した
欲求に対しては非常に脆弱な精神しか持ってない。
だから容易に短絡近視眼的自己防衛状態に陥って、
とにかく他者を排斥する行動に出てしまいがちだ。

不都合な情報は受け入れないとか苦手な相手には
会わないなんてのは自己に内在するリスクに目を
向けぬコトでもあるから脆弱性にも繋がってくる。
破綻するより先に気付いておければ良いだろうに。

個人的には現状、必ずしも最悪ではないと考える。
良くない点は少なからず残っているし一部だけを
注目してみれば悪化しているトコロもあるけれど、
それでも別の観点では改善された部分も見られる。

こんな良さそうな先行きの印象というのはしかし
一見すると良くなさそうな情報を山ほど眺め渡す
ウチに漠然と見て取れてきたりするものだったり
するものだからヨノナカというのは興味深いよな。

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2010.04.24

自我自賛?

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ヒトってのは、如何なるモノゴトに接した場合においても
見たいようにしか見ないし、聞きたいようにしか聞かない。
でもって、言いたいようにしか言わない。

だいたいにおいて誰だって、自らの知っている、あるいは
自らの持つ興味の範囲でしか、モノゴトを把握できぬから。
投影法の性格検査、に似たトコロもある。

ただ、そのような性質そのものには已むを得ぬ面もあって、
いうなればヒトの能力の限界のようなもの、とは思うのだ。
だから決してソレ自体は、責められない。

問題となるのは、そこに短絡的近視眼的自己保身の意図が
微妙に盛り込まれがちであるという点と、その結果の行動。
実際問題、ほぼ良くない結果が待ってる。

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2010.04.23

先見の明暗?

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問題があるからといってそこにばかり注目していけば
視野をどんどん狭くしていくのと同じコトであり、
他のトコロに別の問題が生じていってしまう危険も増える。
それでも少数ながら視野の広い人が存在しているもので、
ときたまポツリポツリと危険性を指摘したりはしている。
ところが、よく見受けられるのは、こんな経過だ。

たとえば子供たちに有害図書を見せまいとしたトコロで、
今はインターネットで容易に手に入ってしまったりするし、
もしネットを規制しようにもせいぜい可能なのは国内サーバのみ、
法律上どうしたって海外のサーバでは手が届かないのが現実だ。
さらにそれをどうにかしたければ長城でも築くしかあるまいが、
そのために検索サイト運営会社を追い出したりするなんてなれば、
もはや弊害だらけの状況になってしまうワケで。

当然ながら反対する声は出ているけれども、その声の挙げ方も問題。
アレはダメだコレはダメだという文句しか言わない国民の中からは、
仕事すべきときに議論するでなく文句ばかり言う政治屋が出てくる。
だって反対する声は常に目立つもので、そこに抗うのは非常に怖い。
有権者を代弁するという大義名分を背負って文句を言うだけの商売。
そりゃ雨後の新党も簇生してくるのは当然だ。

だいたい環境ってのはコントロールが非常に難しい。
だもんだから制約条件など常に付きまとうもので。
だけど環境の中の一部には手が届く可能性もある。
だからこそ制約の枠の外まで広く見渡せば、
だいぶ違った案が見出せたりするものだと思うのだ。

たとえば教科書なんぞ、あれほど面白い筈のモノゴトを
どうやったらここまで詰まらなく書けるのかと不思議なほど。
ここまでも読者の興味を惹かない内容の書物なのだから、
どうしたって生徒は他のコトに興味を抱いてしまうだろうに。
逆に考えれば興味津々になるような新技術やら手法やら
どんどん取り入れてカタチから変えた方が良いかもしれんよ。
いっそもっともっと時間かけて考えを深めてもらったり。
興味を持って調べて考え巡らせて試してみたりして納得して、
ヨノナカいろいろオモシロイと知れば害も避け易かろう。

もちろん考えてもらうといっても、その方向性やカタチ、
思考のベクトルといったものを果たしてヒトが制御できるのか。
そうそう簡単なものではないコトだけは間違いないけど、
取り組んでみないコトには何も良くならぬコトも違いあるまい。
でもそれで問題が出たら困るとばかりに忌避されがちで。

問題が出ると分かってるような人は手を出さないが、
問題が出ると分からないような人がやって失敗する。
問題が出ると分かっちゃった人は、それみたことかと嘲笑い、
そして彼らの仮説検証サイクルが一巡し、さらに補強される。
結局、分かってる人間が自分を疑わないままに、
全体の状況は悪化していって誰も嬉しくない結果が待つ。

分かってると思っている人こそ自分を疑うコトもでき、
ひょっとしたら現状を変えられるかもしれないだろうに、
そういう人ほど問題に囚われて他が見えてなかったりする。

だから先だけしか見てないのでは良くないのだろうと思う。
周りだとか、元も見ておかないと、きっと元も子もない。

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2010.04.22

卵を産む鶏の在り方についても考え巡らす

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ところが育てるだの教育だのというと、これまた日本人の良くない習性か
学校など特定の場においての教育にばかり、ハナシが集中してしまいがち。
でも「子は育てたいように、でなく育てたように育つ」てな格言もあるし、
以前ちょっと話を聞いた元会社経営者が語っていた「環境を与えてそこで
育ってくるヤツが伸びる」といった意見を考えれば、教育機関に囚われる
コトなく、広く人材を取り巻く環境全体に目を配らねばならないだろうに。

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2010.04.21

生えてきたら叩くより引き抜いてみれば面白いかもしれない

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目指したい方向性はあるけれど、その押しつけはできない。
きちんとした議論を踏まえて、皆で決めていくことが大切。
結果も大切だけどプロセス抜きでは、必ず誰かが反発する。
こういう風に書いていくと、残念ながら日本人の特性か
「結論ありき」の議論を進めたがる人が少なからずいる
もんだから、そういう結論を出す“タメにする”議論だ
なんて思われてしまいがちではあるのだけれども、
そうならないよう皆が各人の意見を尊重しないと
どうにもハナシが良い方向に転がらないのも事実。

何もかもが唐突に出てくるような風に見えたりしてしまえば、
何処も彼処も必ず反対意見が噴出してきて後はこじれる一方。
だから実際には逆なんだよね。
良い方向に進んでくよう地盤固めをした上でないといけない。

そもそも最初まず実現したい考えがあって、その上でさらに
実現していくための手腕・能力も充実し、かつ実績も豊富で、
その上で気力体力が充実していて、今後にも期待感が持てる、
そんな為政者候補が数多くいてくれないと、選挙にもならん。
もちろん選挙結果だって、誰も望まぬ方向に転がるだろうさ。

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2010.04.20

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(53) 「遠慮は深謀の賜物」

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外交手段の一つとしての軍事力の使い方も、きっと似たようなものだ。
策源地攻撃能力とか核武装論といった話題もあるが、そういう部分も
「経済力などの面からみて取得や運用は可能だけど、やらない」などと
宣言するのが、有効なカードとして使えるポイントになるように思う。

そういうメッセージを伝えて理解を得ていって、数多くの味方を得て
おくならば、少々の敵対者があったとしても周囲に助けてもらえる
期待は少なからずあるはずだ。それこそ大きなリスク軽減策だろう。
縦割行政の弊害は防衛省と外務省と関係にも、あるのだと思うけど。

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こういう対話を通じた安全保障の施策は、
生活習慣病対策に似たトコロがありそうだ。
手を抜けば状況が悪化してしまったりするし、
定期的に検査して見落としがないかどうか
確認しておかねば効果も上がらないだろう。

当然、その金銭コストや思考コストは
ずっとずっとついて回るものであり、
そういった軽減策をやめたときには、
リスク拡大の入口に立つ結果となる。

コスト的にみれば保険にも似てるが、
あくまでも事後の補償である保険は、
予防策を補完する機能しか持たない。
国家安全保障における軍事力などは、
そういう保険に近い性質と言えよう。

そも余裕がなければ保険なんて無理だ。
ずっとコストがついて回るものだから。
ちょっとした利息が入るコトもあるが、
それはオマケのようなものでしかない。
むしろ保険を使ってもなお埋められぬ
ほどの大きなリスクもあったりする。
保険にばかり頼りすぎては、良くない。

また一方で事前のリスク削減策だって、
これまた必ずしも特効薬にはならない。
リスク低減する効果は期待できるものの
それを完全に消すのは非常に困難であり
どうしても少しは残ってしまいがち。
残存リスクを埋めるだけの適度な保険を
併用するのが望ましいのではないかな。

リスク軽減策を打つことなく放置して
さらにリスクが高まってしまうようなら
保険料率は累進で高くつくようになる。
だからこそ保険と予防策をバランスして
適度なトコロに落とし込むのが現実的。
許容できる程度にリスクを低減しつつ
その維持費用と保険金とを支払うのだ。

現状では経済的に不安があるのだから、
むしろそれを逆に活用する手もあろう。
経済活動を通じて味方を増やしていき、
そこから次の施策のコストを捻出する。

経済危機は程度の差こそあれ世界規模。
多くの国で共同施策は歓迎されるはず。

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2010.04.19

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(52) 「遠交も近交も」

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デモの話題を書いていて思い出したのだが、
過日、都内某所の公園で黒詰襟を着込んで日章旗を掲げた
30人ばかりの一団を見掛けたコトがあった。
見たトコロ、右側通行の集団にしては微妙に違った雰囲気。

ちょと違和感があるのは、ノートPCやらデジカメやら情報機器の
装備が充実している反面、黒塗り8ナンバー車など大道具がない。
近くを通ったとき、叫んでいる内容を聞いてようやく理解した。
“海洋牧羊犬”を自称する環境原理主義集団に対する非難だった。

もとより示威や実力行使のような活動に参加する気はなく、
そもそもヒト集団に馴染めない社会不適合を自覚していて、
そのうえ大声や大音量が苦手なので近寄らぬコトにした。

この集団や参加者に対し非難する気など毛頭ないのだけれども、
むしろ知恵を使いたいので傍見するに留めたいのが実感である。
てなワケで少しばかり深掘りして考察してみるコトにしよう。

この国は環境原理主義者のテロリズムに対して
どのような対策を重点に置くのが得策だろうか。

テロ行為に負けぬように現場の力を強化する対策は、
直近の対策として必要であり効果も期待できようが、
力での対抗だけではアタマが悪すぎるのではないか。
思考コスト節約が過ぎると後で面倒が増えてしまう。

むしろ彼らの地盤を弱体化させ力を削いではどうか。
あの過激な活動のためには多額の費用が必要であり、
無数の支援者の寄付があってこそ可能なはずである。
支援者層の考え方を変えていくのは地道だが着実だ。

それも、意見を押しつけるのではなく、
自発的に寄付などの支援を停止する、
という状態を最終的なゴールとする。
だから対話を通じ説得するのが適切だ。

日本型の環境意識とはどのようなものか、
欧米人型の環境意識とはどこが違うのか、
そういったディスカッションをアチラの
現地で積極的に行ってみてはどうだろう。

もちろん相当な費用が要るし、勇気も要る活動だ。
だから個人や任意集団よりは役所の仕事となるか。

環境意識のディスカッションなどとなってくれば
環境省の仕事であり水産庁が手出ししづらいかも
しれないが、そんな官僚体質は改善が必要だろう。
そう考えると政治による主導が求められそうだな。

安全保障だのエネルギー問題だのもまた、
似たようなトコロがあるような気がする。
要するに国と国とが分かり合えていない。
つまりは国民と国民の理解が足りてない。

相互理解なんてコトバで示すのは簡単だ。
けど、これほど実践が困難なコトもない。
理解するのも、してもらうのも、いずれ
劣らず非常に難しく大変なのであるから。

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2010.04.18

信頼を作るための関係論

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どちらかというと不信感だの不安感だの嫌悪感だのといった
ネガティブな情報の方が発信量の多さゆえ目立ちやすい傾向。

ヨノナカに“他人に任せられない”人が目立つという現象は、
そういった情報流通環境の変化を如実に示すものなのかも。

支持率が頻繁に調査され発表されるなんてのは比較的近年のこと。
良くも悪くも、こうした指標を上手に使うことが政治家に求められる。

情報の流れは大きく変わって、失敗や失言はすぐに伝わるし、
事件や事故の情報は無数に飛び交って他の情報を埋もれさせる。

でも今までの情報から価値が全く失われたワケではなくて、
むしろ過去の経緯をより重視していくような対応が欠かせない。

情報ばかりが早く流れるようになってしまっているけれど、
ヒトのキモチはそんなに早く切り替わったりしないものだから。

むしろ蓄積された情報へのアクセス手段も発達してきていて、
経緯を辿るコトも難しくないのだから実績の積み重ねは重要だ。

社会に関わる立場の人々にしてみれば従前の如き姿勢も不可欠だけど、
同時に現状および今後の情報流通をへの対応も身に付けねばなるまい。

そして丼勘定でなく費用対効果を重視したマネジメントだとか、
適時の情報公開といった企業経営のような側面も求められてくる。

もちろん経済効率一辺倒では困るトコロもあるだろうけれど、
利害関係者の説得が必要な点は経営者が株主を説得するのと同様。

翻ってみれば利害関係者だとか有権者といった立場の人々にしても、
そういった観点で政治家の資質を考えてみた方が良さそうだと思う。

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2010.04.17

たまには時事ネタ(64) それでもデモを行うかい?

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大学生の頃、タイ語を少しだけ覚えたコトがある。
といっても挨拶と、少々の日常会話くらいだったが。
そのとき便利な単語だと思ったのが「マイペンライ」。
この語を置き換えられる日本語はないんじゃないかな。

そんな人たちでも我慢できないトコロはある、
というコトなのか、今の首都の混乱振りは。
終には軍とデモ隊の衝突で死傷者も出てしまった。

似たような大規模な混乱は他の国でも見られる。
大統領が追い出されるような事態に陥ったり、
あるいはテロが頻発するなど、珍しくはない。

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2010.04.16

同じ損ならモンスター?

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もちろん一方でヨノナカというのには有象無象が存在するもので、
本当に善意を期待できそうにない相手も実在するのは確からしい。

教育機関を単なるサービス業としてのみ捉えている怪物ホゴシャ、
鉄道用地内に勝手に入り込んだ挙句に三脚を立ててたりする鳥鉄、
たかが数百円の運賃でも遅延すれば駅員に掴みかかる背広会社員、
自分のクルマはピカピカにして道路に吸い殻を捨てる日曜運転手、
部下や子供やペットが命令に盲従するなど当然だと信じている人、
ソレこそ枚挙に暇がないワケではあるが氷山の一角なのだろうか、
それとも逆に僅か一部の悪例だけが目立つような原理なのだろか。

おそらく一歩間違えば内側の自己不信が外向きに反転して突出し、
こんなふうになってしまうのであろうとは想像に難くないのだが、

結局のトコロ何かを信じられない状態にあるときヒトというのは、
妙なほどに攻撃的になったり排他的だったりするものなのだろう。

きっと「信じる者は救われる」のだろう。本人よりむしろ周囲が。

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2010.04.15

卑下と保身?

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他人に任せたり委ねたりするのが苦手な人は多いよね。
特に相手の善意に期待するような頼み方なんか難しい。

どうも今のヨノナカに善意が期待できないもんだから、
そんな適応してしまってるのだろうと思うんだけれど、
逆に言えば他人から頼まれたときにも善意では応じぬ、
てな意思も含めていたりするのだろかと案じてしまう。

あるいは他人に頼むのではなく金品授受を伴うような
サービス契約的な関係であれば安心したりするのかね。
さもなきゃ従前の関係において貸し借りのよな判断が
あってそれに報いるだとか逆に今後の報いを期待して?

善意を期待されても応えられるほどの存在ではないと、
それほどにまで自分を卑下しているのかもしれないな。

まさか友達にさえ善意を持てないほど悪人であるとは
思えないものだから自己の善意に対する不安感として、
あるいは能力に対する不信感として考えざるを得ない。

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2010.04.14

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(51) 船頭オーバーヘッド多くして船漂流

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ヒト個人と同じくヒト集団、それこそ国家なんてのも、
「決めるために動く」「動かしつつ決める」は大事だ。

「決めてから動く」「決まってから動く」だけでは、
状況の変化に対応しづらく混乱を避けるのは難しい。

決めつつ進めつつ悩みつつ、できるようなのを、
きっと“成熟した国家”というのだろうと思う。

まったく、そんな国になってもらいたいものであるが、
それじゃあ一体、どういう存在が必要になるのだろう。

まず、決断を下す立場の存在に関していうならば、
利害関係者の相反する声だとか一喜一憂ばかりの世論調査なんぞに
右顧左眄してばかりで誰も嬉しくない方向に進んだりするようでは、
誰も任せたいとは思わないだろう。

一方、決断の影響を受ける側の立場についても、
特定集団の理想を絶対として押しつける上に損失やリスクを許容せず、
その上で右往左往する政界に愛想を尽かすといった態度ばかりでは、
誰がそれに沿えるであろうか。

だいたいの要求や条件を示した上で“細部は任せる”としてくれる
ような参加者ばかりなら、イベントの段取りをするのも難しくない。

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2010.04.13

モノゴトの決め方と進め方と悩み方

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今回の友人の結婚式では少しばかり準備も手伝ったワケだが、
実際やってみないと分からないコトは数多くあるもので、
決めつつ動くような進め方にせざるを得ないトコロもあった。

続いて翌週の別のイベントに関連した段取りを進めている。
結婚式ほど大掛かりではないし危機感も小さいのだけど、
一人の作業じゃないので面倒な点は似たようなもの。

あっちにメールしたり、こっちに電話したり、そうして
スケジュールを決めて必要な品物やサービスを手配して、
全体として問題がないように調整していかねばならない。

決めてから動ければリスクも軽減できるし成果も期待しやすいの
だけれども、しばしば相反する要素が出てきたり、動いてから
でないと確定できないような要素もあったりするから面倒なのだ。

しかし面倒だからといって動かないでいては何も決まらない。
「決めてから動く」「決まってから動く」だけでは足りず、
「決めるために動く」「動かしつつ決める」も必要だ。

こういったイベント事の準備というのは、
だいたいそんなもんなのだろうと思うのだけど、
決めて動く人のトコロに作業が集中しがちだったりもする。

モノゴトが決まる前から動き出してしまったり、
あるいは決めずに動き回ったりするような人間たちが、
しばしば必要に迫られて仕事をするコトになったりしていて。

数人ほどの小さなイベントでさえ大変なのだから、
数十人数百人では苦労するのも道理であろうし、
億もの人を動かしつつ決めていくのは非常に困難だよな。

だけど人間の動かし方やモノゴトの決め方進め方は様々で
一つの手順に決めて掛かったり他の手順を無視していては
きっと必ず失敗するに違いないと思うのだけれど如何か。

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2010.04.12

自称逸般塵の不通の日記(151) 縁は異なもの味なもの

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若い友達の結婚式に招かれ撮影をしてきた。

自宅が近く半ば家族のような関係だもんで、
準備段階でもいろいろと手伝ってきたから、
大きな支障もなく無事に終えられて一安心。

友達と友達との関係を結ぶのも得意な彼ら。
披露宴や二次会三次会では新たな縁を作る
機会もあって興味深く最後まで突き合った。

彼らは今頃、北欧行きの空の上か。

こちらは疲労を癒しつつ写真データを整理、
帰ってくる頃には渡せるようにしておこう。

一足先に日常生活に戻って仕事をせねばな。

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2010.04.11

主食物だけでは旨くない

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いや稲麦だって一斉開花するよう作られた植物であるコトはソメイヨシノと同じ。
綺麗に揃って植えられてヨノナカの役に立つよう管理されている点も変わらない。

こんなメインストリームが主にヨノナカを動かしているのは事実であるけれども、
しかしそれだけではヨノナカが回っていかないコトもまた見落としてはいけない。

むしろヒトの手など無縁なままに生じて伸びて長じて殖える生命も無数にあって、
その僅かに一部だけがヒトの目に触れたついでに名をつけられ語られているのみ。

ヨノナカといったってヒトの目や手が届き足を運べる範囲など微々たるものだし、
その中でさえもヒトの営みが強い影響を与えられる領域など小さなものではある。

さらにそんなヒトのヨノナカの内実を見ていけばヒトにも細かな種類がある模様。
合うの合わぬの揃うの揃わぬのといっては群れたり群れから外したりしていたり。

そんなヒト関係の模様というヤツは単に揃った個体が並んでいるだけでは成らず、
どころか少数の異質な存在がなければ全体を引き立たせるコトさえできないのに。

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2010.04.10

此の花昨夜散ってましたよ

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惜しまれつつも時季が過ぎれば潔く去ってゆく桜が好きでないワケではない。
桜が散ったら別の花を楽しむのに佳い季節が訪れるのだから楽しみでもある。

だけど日本を彩る花々は非常に多種多彩であってソメイヨシノ以外の花など
無数にあるにも関わらず他の花など存在しないかのように振る舞う人たちは、
きっと日本人のフリをした何か別の生物なのではないかという気がしている。

日本人であるなら当然とばかりソメイヨシノのような行動を他者に強要する
なんてそれこそ間違いであろうと思うのだけど彼らには理解できないらしい。

むしろ稲だの麦だのの花の目立たぬながら稔を約束してくれる慎ましやかな
咲き方などイワナガヒメのような勁さ逞しさ堅実さを感じさせて佳かろうと、
そういう風にも思っていたりするのは果たして非国民なのであろうかと思う。

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2010.04.09

たぶん歩かなければ道も見出せない

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考えてみれば道路や線路や河川などの遠くを見通す構図を好んで写す。
ついつい真っ直ぐな道路や水路や線路などに出くわすと撮ってしまう。
だからよほど好きなのだろう。

先のコトなど見通しが立たぬものと普段から語っているにも関わらず、
それでも出来得る限りは見通したいという感覚が強く表れているのか。
とすればよほど高望みなのか。

曲がろうと狭かろうと起伏や凹凸があろうと草に覆われていようとも、
あるいはもしかしたら周囲の雑音など気にも留めず一人往こうとする
道そのものとも捉えられよう。

周囲を彩る多様な被写体の中で手前から向こうまで一筋に伸びる線は、
足を運ぶ期待感を持たせてくれるような気がして好きなのであろうか。
さらなる先へ歩きたいのだと。

とはいえ見渡す限りの広々とした光景など(出くわす機会も少ないが)
ほとんど撮影していないトコロをみると一定の方向性は求めているの
ではないかとも受け取れるな。

まあ少なくとも歩けば道は作れるはずなのだけれども。

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2010.04.08

自称逸般塵の不通の日記(150) 線路は途切れて、その先へ

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廃線(実際には廃止されておらず長期休止中の路線)を少し歩いた。
40年以上も列車が運行されぬままの線路は新しい道路で寸断され、
枕木は朽ち果て土に還りバラスも埋もれたか形跡も見当たらない。
それでもレールや橋や架線柱さらには吊架線の多くが残っていて、
柵が設けられているにも関わらず線路には花壇まで作られている。

途中の高架線を横切る川に架かった鉄橋の上には幾人かの少年が。
間もなく終わろうとする春の休みを惜しむ中学生であろうか屯す。
鉄橋をくぐり川沿いに歩こうかと近付けば一人が声をかけてきた。

「線路、好きなんですか?」
「線路も好きだが川も好きなのでね、どっち歩こうか考えていた」
「がんばってください」

曲がりくねる川を辿ってゆけば遠からず道に出て再び線路へ戻る。
ふと振り返ってみれば少年たちの姿は遙か幽かに望み見えるのみ。
周囲は住宅街から農村風景へと変わり広く見渡せるはずの場所で
春の霧雨の中を真っ直ぐ伸びる廃線は畑を貫き向こうの雑木林へ
霞んで消えゆき東京近郊とは思えぬほど鄙びた様子を見せている。

雑木林の中を往く線路の向こうには林と軌道を横切る新しい道路。
断ち切られた先を辿れば河川敷へと続いているのを記憶している。
川砂利を運ぶ目的で作られた貨物路線であったが採取禁止となり、
役割を失って休止されて以来は久しく手を入れられていない状態。

だから自動車の普及著しい中で数々の道路が新たに作られていき
特に新道を作りやすい河川敷あたりは寸断された形となっている。
川に近いあたりの雑木林の中の一部の軌道は復元されたとのこと。
だがさらに先の駅の手前などは川を渡る橋の取り付け部となって
当時の様子を推定するコトさえ難しいくらいに変わってしまった。

新しいコンクリート構造物は実用的だけど面白みを感じられない。
復元部分なら誰でも気軽に行けるが緑には覆われていないだろう。
そんな感覚もあったし日没が近いコトもあって散策を切り上げた。

またいずれ訪れるつもりで。
先々のコトなど相変わらず霧雨の空模様の如く見通せはしないが。
もし再び少年たちに会ったら「がんばらないよ」と言ってやろう。

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2010.04.07

自称逸般塵の不通の日記(149) 花冷えの中の小夏日和に雨を想う

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いよいよ暑い日が訪れるようになってきた。
急に暑くなっては体調を崩しかねないので、
こういう日には注意が必要だ。

ていうか一人で歩き回ってるときには花冷えが続いていて、
久し振りに会う友達と一緒に花見をするときに晴れるのは、
やはり雨男かと自覚させられてしまうが気にしない。

一人で雨の中を歩くのは昔から好きだから。
雨に煙って見通しの利きにくい景色の中で
ウロウロするのが楽しいから。

そういうときには遠くの景色は白く霞み遠近感が強調され、
歩き慣れているはずの土地でも非日常感を堪能できたりと、
様々な感覚を刺激してくれるあたりが気に入ってる。

だいたいヒトが生活しているトコロならば、
完全な日常などないし完全な非日常もない。
ただ割合が違うだけのコトだ。

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2010.04.06

このクニのカタチ・現在変化形

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社会構造は常に少しずつ変化し続けている。
テクノロジーの発達によってヒトモノカネ
そして情報の流動性が高まったコトで、
さらに変化は加速しつつあるような状況だ。

このクニのカタチも変化すべきだと、
多くの人たちが意識するようになったけど、
実はこれから先の変化の方向性が未だ
不明瞭なままであるトコロが若干の不安。

天誅だの斬奸だの成敗だのといった
危うい方向性に陥ったりする可能性なども
まだまだ捨てきれなかったりするし、
“戦前回帰”だって、未だに否定できぬ。

情報の流通・拡散の速度が高まってきて
多くの人が多くの情報を得られる時代だが
逆にいえば誤解もまた迅速に広まりかねず
事態が一気に悪化する危険も高まっている。

ヒトの意思など浮動しがちな存在であり、
それを情報網が同期させ増幅し発信して
強い悪意のカタマリとして何処か一点に
集中させればそれは非常に危険なものだ。

とはいえヒトの意思には悪意だけでなく
善意だって含まれているものであるから、
その方向性を少しでも強められるような
工夫をしてやれば将来にも期待が持てる。

得た情報そのものよりも各人の判断こそが
重視されるという点においてはフェアな
情報流通体系になっているとも言えるので、
その長所を活かした社会であってほしい。

このクニのカタチも今後は大きく変化し、
いろいろな軋轢も生じるとは思うけれど、
少しくらい時間が掛かっても構わないから
せめて悪くはないと思える方向にしたい。

むしろヒトは常に変化し続ける存在なので、
容易に動かせぬ固定化された社会構造など
作るのではなく柔軟性を高めていく方向に
変化していかねばならないのではあろうが。

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2010.04.05

願わくば桜の下ででも語り合わん

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今年の桜は開花が早く、開花期間も長くなりそうだ。
これは景気動向の上では好ましいジンクスとされる。
消費マインドを底上げしてくれるという論拠である。

だがいつまでも「前向きな消費マインド」にばかり
期待しているワケにもいかないのではないだろうか。
いくら消費したくても財布の中身が伴わないのでは。

個人的な景気では二番底の危機が迫りつつある気配。
桜が咲くまでは年度末へ向けた仕事で立て込んだが、
いよいよ空き時間ばかり目立つスケジュールである。

それでも少しばかりは歩き回る楽しみを思い出した。
これまでの仕事の報酬が桜と相俟って気を楽にして、
加えて多忙期が過ぎたコトもあって一時的にである。

しばらく、おそらく半年近くは忘れていた気がする、
四小葉シロツメクサの発見などもあったし、歩きを
専らにするようになって腹囲も少しは、減ったかと。

足の運び方だとか腹式呼吸だとか長距離を速く歩く
ための方法なども久しく忘れていたのであったけど、
そういうのも思い出しつつ楽しく歩くコトができた。

もちろんそんな花の咲く楽しい期間は長く続かない。
懐具合が暖かければ寒気も氷雨も苦にならんのだが、
財布が冷えると気持ちも冷えてしまうのが困りもの。

同世代の友人たちも幾人か転職活動を余儀なくされ、
それぞれに苦労している様子なので一人だけのコト
ではないのかもしれないが、ならば今春は妙な様相。

「俺もないけど心配すんな」とは、なかなか言えぬ。
「そのうち何とかなるだろう」とも、楽観できない。
ただ「ないヤツ」皆で知恵を出し合うくらい、かね。

あとは皆で励まし合って元気を出して勇気をつけて、
パーッとやってから世に出て人と交わりに行くのだ。
山積した問題の解決には皆が語り合わねばならない。

一人で勝手に考えていたトコロで何も変わりゃせぬ。
分かっちゃいるけど止められない。花はすぐに散る。
あるいは人事を尽くせば「そのうち何とか」なるか?

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2010.04.04

暗箱に針穴(23) 白には色がある

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夜桜も昼間の桜も光に透かして撮るのが好きだ。

花弁の白さを強調するには白く飛ぶ寸前にまで
明るく写し撮るのが一番。
ところが特にデジカメでは白く飛んでしまうと
後から修正するのも困難。

ギリギリまで白く描写するためにギリギリまで
露出を明るくするのだが、
最後はどうしても現像段階で調整せざるを得ぬ
あたりが現状の限界だな。

透過光にばかり頼りすぎるのも良くないのかも。

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2010.04.03

定形外の否定形?

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読書感想文みたいな定型文でも、
ソツなく書き上げている連中はいた。
ある意味で彼らは凄い連中だと思っている。
与えられた課題をきちんとこなすだけではない。
課題を出した側が期待しているような内容を外さない。
詰まるトコロそういう人たちが“優等生”といわれるのだな。

彼らは主に他者との競争の中での自分の評価を重んじるものらしい。
特に試験のような数値化された評価軸での競争には驚くほど強い。
評価を与える立場の人たちからみれば評価しやすい相手だろう。
しかし他の評価軸が見落とされがちな傾向は好きになれない。

彼らは基本的に他との競争の中での自分の評価を重んじるものらしい。
中でも試験のような数値化された評価軸での競争には驚くほど強い。
評価を与える側の立場からみれば彼らは評価しやすい相手だろう。
しかし他の評価軸が見落とされがちな点は好ましくない傾向だ。
それとは別に自分で自分を評価する軸も成り立つではないか。
といってもそれが希望的観測に基づく評価では役に立たず、
かといって特定の他者や点数評価などでも意味を成さず、
過去の自分の思考や言動を振り返って評価してみたり、
自己の描く将来像に対する達成度で評価してみたり、
要するに自分の中にある基準で自己の評価をする。
その評価を継続することで自信や自負を裏付け、
さらには自己を支え前向きな挑戦にも繋がる。

自ら考え判断して行動する性質が身に付いていないと、
そんな評価をするコトなどできないとは思うけれども。

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2010.04.02

自称逸般塵の不通の日記(148) 提携して書き上げる定型文

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友達が経営する小さな会社で、
本格的なサイトを立ち上げようとしていて、
それを手伝っていてニュースリリースの文章に
大して賢くもない頭を妙に悩ませるコトになった。

こういう定型文は苦手だ。

思えば小さい頃にも似たような経験があった。
作文の課題。中でも「読書感想文」という定型文。
こいつがクセモノ、どうしても筆が進まないので結局、
書かず仕舞いにしてしまったりしたものだったりしたな。

そんな昔の宿題の話を別の友達としていたら、
「粗筋書いて原稿用紙を埋めていけばいいんだ、
なんて書かせ方がおかしいよね」という結論に達した次第。

とはいえ仕事で使う定型文となると、
さすがに書かぬままではおけないワケで。
しかし考えてみれば読書感想文とは違って、
読まねばならないのは空気くらいなものであろう。

現状、まだリリースの数は多くないから、
今のウチに会社の定型スタイルを決めてしまおう。
そういう考えで、一緒に相談しつつ作ろうと考えている。

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2010.04.01

たまには友と一緒の歩き方でも

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散歩は一人でも楽しいが、仲間がいれば
それぞれの視点で歩を進められて楽しい
ものであり、可能ならそうしたいのだが、
歩きたいという衝動が強い性質らしく、
暇があれば歩き回っているものだから、
一人で歩いた方が安全で気楽だったり、
といった皮肉な状況になってたりする。

しかし春の桜の頃のように、
あるいは秋の紅葉の頃のように、
他の人も歩きたくなるような時季なら、
割と高い確率で散歩の相手がいてくれる。

これ幸いとばかりに散歩に出ていくのも、
特定時季ならではの状況ではあるのだな。

さて、誰ぞ共に歩く者はあろうか。
あってもなくても、歩いてくるけど。

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