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2010.04.23

先見の明暗?

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問題があるからといってそこにばかり注目していけば
視野をどんどん狭くしていくのと同じコトであり、
他のトコロに別の問題が生じていってしまう危険も増える。
それでも少数ながら視野の広い人が存在しているもので、
ときたまポツリポツリと危険性を指摘したりはしている。
ところが、よく見受けられるのは、こんな経過だ。

たとえば子供たちに有害図書を見せまいとしたトコロで、
今はインターネットで容易に手に入ってしまったりするし、
もしネットを規制しようにもせいぜい可能なのは国内サーバのみ、
法律上どうしたって海外のサーバでは手が届かないのが現実だ。
さらにそれをどうにかしたければ長城でも築くしかあるまいが、
そのために検索サイト運営会社を追い出したりするなんてなれば、
もはや弊害だらけの状況になってしまうワケで。

当然ながら反対する声は出ているけれども、その声の挙げ方も問題。
アレはダメだコレはダメだという文句しか言わない国民の中からは、
仕事すべきときに議論するでなく文句ばかり言う政治屋が出てくる。
だって反対する声は常に目立つもので、そこに抗うのは非常に怖い。
有権者を代弁するという大義名分を背負って文句を言うだけの商売。
そりゃ雨後の新党も簇生してくるのは当然だ。

だいたい環境ってのはコントロールが非常に難しい。
だもんだから制約条件など常に付きまとうもので。
だけど環境の中の一部には手が届く可能性もある。
だからこそ制約の枠の外まで広く見渡せば、
だいぶ違った案が見出せたりするものだと思うのだ。

たとえば教科書なんぞ、あれほど面白い筈のモノゴトを
どうやったらここまで詰まらなく書けるのかと不思議なほど。
ここまでも読者の興味を惹かない内容の書物なのだから、
どうしたって生徒は他のコトに興味を抱いてしまうだろうに。
逆に考えれば興味津々になるような新技術やら手法やら
どんどん取り入れてカタチから変えた方が良いかもしれんよ。
いっそもっともっと時間かけて考えを深めてもらったり。
興味を持って調べて考え巡らせて試してみたりして納得して、
ヨノナカいろいろオモシロイと知れば害も避け易かろう。

もちろん考えてもらうといっても、その方向性やカタチ、
思考のベクトルといったものを果たしてヒトが制御できるのか。
そうそう簡単なものではないコトだけは間違いないけど、
取り組んでみないコトには何も良くならぬコトも違いあるまい。
でもそれで問題が出たら困るとばかりに忌避されがちで。

問題が出ると分かってるような人は手を出さないが、
問題が出ると分からないような人がやって失敗する。
問題が出ると分かっちゃった人は、それみたことかと嘲笑い、
そして彼らの仮説検証サイクルが一巡し、さらに補強される。
結局、分かってる人間が自分を疑わないままに、
全体の状況は悪化していって誰も嬉しくない結果が待つ。

分かってると思っている人こそ自分を疑うコトもでき、
ひょっとしたら現状を変えられるかもしれないだろうに、
そういう人ほど問題に囚われて他が見えてなかったりする。

だから先だけしか見てないのでは良くないのだろうと思う。
周りだとか、元も見ておかないと、きっと元も子もない。

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