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2010/05/03

自称逸般塵の不通の日記(158) 茶でも一杯

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昔から多めに水分を摂取する生活であるらしい。
そういえば小さい頃は水田地帯に暮らしていて、
夏などは水田の水路に設けられたポンプ小屋の
冷たく澄んだ水を虫取りの合間に飲んだものだ。

今でも外では冷たい飲み物を選ぶコトが多いし、
自宅にいれば年間を通じて冷たい麦茶が基本だ。
もともと猫舌だから、という理由もあるけれど、
昔から冷たい飲み物に親しんでいたせいもある。

とはいえ徐々に高齢化の道を進んでいるせいか、
熱い飲み物にも好んで手を出すようになりつつ。

たとえば出張先で買ってきた碁石茶とか蕎麦茶、
独特の風味が好きで、すぐ飲み尽くしてしまう。
あるいは近所の茶屋が焙煎して売る焙じ茶など、
その煎りたての香りにつられて、よく買ってる。

でもウチには長らく急須がなかったものだから、
とりあえず不織布パックを使っていたのだけど、
それが近所の店から消えてしまったのであった。
他の店で探しても見付からないので万事急須だ。

いいかげん急須を買わねばならないのだったが、
ところが出掛けて帰る途中など忘れるコト数度。
普段あまり寄らない店だから通り過ぎてしまう。
習慣の慣性力というのは非常に強いものなので。

結局、出先の仕事の帰りなどではなく、友人宅
から一緒に駅前に移動する途中、という微妙に
非日常的なシチュエーションの中で、ようやく
茶屋に寄って急須を買うコトができたのである。

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インタプリタ的にもコンパイラ的にも動作できるのがヒトの身体。
最初、動きに慣れない間にはインタプリタとして処理しているが、
何度か繰り返すと徐々にコンパイルされていって自動化していく。
Just In-Timeってほどではないが、若干遅れたインタイムな感じ。

そんなヒトの身体の、半自動化された行動を微妙に変えるために、
自分自身に自分を期待させたり裏切ったりする思考処理を加える。
まあデバッグ用にブレークポイントを仕込んでおくようなものか。

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