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2010/05/10

暗箱に針穴(24) 撮影は実体験ありき

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周知の如く多様な趣味に手を出しており、写真や鉄道旅なども好む。
たまに出張の機会がある仕事ゆえ、鉄道写真も少なくないのは事実。

でも、鉄道というのは数ある被写体の中のわずかな一部分に過ぎぬ。
たいていは「鉄分入りの風景」、それも散歩や旅行中の一齣が大半。
可能なら撮るが、何が何でも撮らねば気が済まぬという程ではない。
そうだろう、あくまでも多くの趣味の中の一つに過ぎないのだから。

むしろ現地での人物風物との出会いという貴重な体験を得て考える、
そういう点にこそ主眼を置いて、旅をしている。だから他は従目的。
同じ表現をするにしても、自らの感覚で対象を味わって、その上で
対象への想いを表現に乗せていくコトができるのなら、それが良い。

撮影に適した機会があったとしても、それより旅の道連れとの対話
や地元の人たちとの方が興味深いのであれば、迷わずそちらを優先。
あるいは旨いモノに出会ったならば、よほどネタになる飲食材なら
ともかく、自ら味わう経験を優先して、撮影は二の次にしてしまう。

出会いというのは一期一会であるがゆえに、そこで何を得たいかが
最初に行う動作の基準となる、てな具合に考えれば良いだろうかね。

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出張のついでに旅をするコトが多く、かつ撮影より体験を優先して
いるせいもあって、遠出する際にも撮影機材はあまり多く持たない。
普段の散歩でも、レンズ1本ボディ1台だけで出歩くのが通例である。
つまり撮影条件や機材の上で大きな制約がある状態で撮影している。

写真作品作りを至上目的としているワケではないし、ましてや写真
という表現を以て仕事としているワケでもない。だからそんなもん。

撮影のためには全てを捨ててもいい、というのであれば、それこそ
他人の迷惑を顧みず傍若無人に振る舞っていいのかもしれないけど、
それは自分自身の感覚で味わう体験を捨てているだろうし、さらに
自らの評判をも地に捨てる、という大きな不利益を得ているはずだ。

もし写真作品を生業とするのならば、機材だけでなく予算や日程も
きちんと確保して、現地の体験や自己の評判も大切にするだろうよ。

まったく鉄に限ったハナシではなくて一般論となるけれど、むしろ
機材や撮影の条件を絞って出て、かつ被写体との出会いをこそ重視
して歩き回った方が、被写体や構図に集中できるので好ましい結果
になりやすい、というのが、これまでの経験上かなりあったりする。

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