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2010/05/30

陰謀論者についての陰謀論的解釈

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ヒトには何かを疑う思考回路もあるけれど疑義の対象は他者に限定されているのが通常である。
自己を除外するコトで困惑による行動の遅れや自身への攻撃を避け安全を図る設計なのだろう。
とはいえ、それは完全な安全回路とは言い難い存在であり、弊害をもたらすコトも少なくない。

単純な構造の安全装置なので現場の工作で機能を停止して使うコトも難しくはないのだけれど、
とても奥まったトコロに装備されていて手が届きにくいので器用さが要求されるし作業も大変。

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さて陰謀論とやらを、試みに私見で総論概観してみよう。

曰く、少数(地理的限定条件なども含めて考慮)が多数を、
恣意的に、私利私欲のために陰謀する、てなトコロかね。

さらに、その謀を働かせる主体についての印象をみると、
ある意味で理想的なくらいに理性的、迷い惑いも葛藤も
良心の呵責さえ持たぬような存在、などと見受けられる。

そんな人物になれるとしたら、そんな集団にいられると
したら、そりゃあヨノナカを動かす実感で楽しかろうよ。

なるほど、そこには羨ましさとか嫉妬とかいった感情も
あるのかもしれないね。愚鈍で平凡なる多数にいるより、
理知ある恵まれた少数にいたい、そういう感覚もあろう。

幾らでも恨み言をぶつけられる仮想敵を仮想的に作って、
そこに羨望や諦観をも塗り込めて叩いてるのかもしれん。

対抗する論拠としては、極言すれば「少数でないコト」。
集団のうち少数が有利になるのは許せない、というのだ。
「最大多数の最大幸福」を単純に考えれば、そうかもな。

個体の理知では負けても、数を頼りにしてるってワケだ。
その少数派を圧倒していく様子は、まあ酷い封殺だけど。

でも、もともと多数なんてのは共同幻想みたいなもんで、
そもそもヨノナカなんぞ、てんでバラバラであるものが、
何か甘い汁があったので集まり、多数を称したに過ぎぬ。

魚は魚礁など大きなモノの周りに集まりやすいものだし、
ヒトだって寄らば大樹の陰だのというのだから同様だな。

多数派というのは、その集団が一時的に大きな塊として
他を圧する勢いを持っていたに過ぎない、一過性の状況。
だけど集団外よりは甘い汁に手が届きやすかった、はず。

むしろ実際の局面では恵まれた多数と追いやられた少数、
そんな非対称性が強く存在するのだといわざるを得ない。

その恵まれた多数を多数たらしめるべく、追いやられた
少数を陰謀論によって敵視し、現実に存在する非対称性
を強化するように、ヒトはできているのかもしれないな。

ひょっとしたら、そんな陰謀がヒトに盛られてるのかも?

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