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2010/06/10

自称逸般塵の不通の日記(164) ふくれっ面してると大損するかもよ、というハナシ

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以前、電車の中で見掛けて、妙に気になった人物がいる。
なんかものすごく嫌そうな顔をした中年女性、だ。
周囲の人々の動き一つひとつにも睨みを利かせているような。

ひょっとしたら親しい相手以外には笑顔を見せない、だとか、
見知らぬ他人に愛想を振りまくのは損するとでも考えているのか。
まあたしかに、無理に笑顔を作るのは面倒かもしれないよな。

しかしそれでは逆に勿体ないような気がしてならない。

まるで彼女を不機嫌にしてしまう要素を持っていないかどうか、
他人を監視しているのではないか、と思うくらいの雰囲気だった。
それは残念な予言を自らの力で成就させてしまった結果かもしれない。

見知らぬ他人であっても、同じ場にいる限りは接触の機会もある。
ところが不機嫌そうな表情であれば、相手の対応も最初から
不安や不信感から始まる、あまり好ましくない接触になろう。

そして、そういう経験を重ねて自らの仮説を固めていったのでは。
結果、「見知らぬ他人からの接触は好ましいものではない」なんて
決意を固くしているのだろう、といった推測は大きく外れていまい。

それにしても最初どれだけ違いがあったのか、どうなのか。
こういう強い正のフィードバック回路を構成するような場合、
案外、ちょっとした差が非常に大きな変化をもたらしそうだけど。

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逆に、ずっと笑いを絶やさずにいるのも少々不自然だよな。
その笑顔の理由に周囲が思い至らないような状況においては、
むしろ場にそぐわない態度を示すものとして敬遠されよう。

外界の刺激に反応して喜怒哀楽を示す普通のヒトの応答を、
特に意識するコトなくヒトは他者に求める性質があるので、
そういうものだと認識して接していくのが良さそうだよね。

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