« 自称逸般塵の不通の日記(171) 借りてでも、しなければならないコトとか | トップページ | 横並び階層と、そこに含まれない成分について »

2010/07/12

自称逸般塵の不通の日記(172) 一方向に伝える行為を対話とは呼ばない件について

20100712_img_4458_1s


さてようやく騒々しかった選挙戦も終わりを告げた。
有利な側は自由を主張し、不利な側は保護を求める。
無党派層というのは、もしかすると反与党というだけ?
だいたいヨノナカそんなもんなのかもしれんと思った昨今。

自分の立場で主張するなど、慣れてしまえば簡単だ。
そういう意味では、一部の弱者を除けば誰でもできる。
ここで誰かが声高に主張し始めると、その主張には
従えないとする対立勢力もまた声を大にして叫ぶ。

声の大きさには声の大きさで対抗しようとする本能。
全員が諦めるまで騒々しさはエスカレートしていく。
街宣車の騒々しいこと、街頭演説の邪魔なこと、
ビラ配りや電話攻勢の、なんと鬱陶しいこと……。

伝えたいコトが山ほどあるのは事実なのであろう。
だから拡声器やポスターやビラなど、ありとあらゆる
手段を使って、伝えたくなるのは当然の成り行き。
でも、やればやるほど、情報は一方通行になっていく。

ついていけなくなった人たちは徐々に離れていって、
ある種の弱者だと思い知らされつつ、眺めるのみ。
(本物の弱者ではないかもしれないが強者ではない)
基本的に支持政党なしとする人の、どれだけ多いか。

|

« 自称逸般塵の不通の日記(171) 借りてでも、しなければならないコトとか | トップページ | 横並び階層と、そこに含まれない成分について »