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2010.07.16

人を呪う方法についての簡単な解説

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「人を呪う方法」などというようなキーワードで検索して、
このブログの過去記事に来てる人がいたりするのだけれど、
検索して見付けられるような程度の方法など偽物に過ぎぬ。

そんなに簡単に見付けられるような方法であったとすれば、
シアワセなヒトなどヨノナカに一人もいないんじゃないか?
またはヒトそのものが死に絶えているかもしれないけれど。

そもそも呪いというのは遠回し遠回しに行う行為だもんで、
人それぞれに工夫して練り上げて培ってやらねばならない。
実演どころか説明するのさえ長くなりすぎて大変なくらい。

というワケで、非常に簡略化した一例を紹介するに留める。
あまりに簡略化しているため誤解を招く危険も多いのだが、
どうやら最近はニーズが多いようなので敢えて記しておく。

なお、言うまでもないコトではあるが、ここに記載された
情報を利用する際のトラブルなどは一切補償いたしかねる。
何となれば呪いとは自ら身に付け自ら考えて実施する行為。
実行するか否かの判断と、実施に伴うリスクは自身にある。

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まず他人を呪いたくなったときに考えてほしい

他者の心理を「悪意がある」と推し量った上で
その相手に対して嫌悪感を抱くのは簡単だけど

……

実はヒトの多くは、そんなに賢い存在じゃない
他者を慮る余裕さえもない連中が、少なくない

身近な他人には多少の配慮をするのが
社会の中で生きる上で重要だけれども

いちいち一期一会の赤の他人にまで思いを馳せていては
考えねばならぬコトが多すぎて手の着けようがなくなる
だから普通は他人のコトなど意識に入れないのがヒトだ

ヨノナカで生きていくには家庭や職場や友人関係など
身近な他人と共存する場面が少なからずあるのだけど
その場において他者への配慮が必要だというコトさえ
認識できてないようなヒトも残念ながら存在してるし
あるいは多様性を認識できないという障害も考え得る

相手が本当に呪うほどの価値のある存在なのかどうか
その相手が実は、もう既に呪われている存在であって
わざわざ呪いをかけるほどの意味さえないかもしれぬ

呪いをかけようかと検討するほどアタマを使うならば
そのような連中に害を為すなど非常に効率の悪いコト
それでもなお呪いたいほど相手を想うならいざ知らず
連中の手の届かぬトコロ考えの及ばぬトコロにおいて
勝手に自らの価値を積み上げていっても構わぬだろう

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