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2010/07/15

不等号の小さい側から眺めるヨノナカがどんなものか想像したコトはあるか?

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非対称の魔術に囚われやすい人物像を、ある程度は
類型化するコトも可能なのではないかと考えている。

たとえば働き盛りの社会人。社会の主流派だ。
高等教育をアタリマエのように受けて育って、
その中で競争をアタリマエのように経験して、
社会に出ても企業間の競争や企業内の競争を
アタリマエのように経て、そして勝ち残った。

そのコト自体は必ずしも悪いコトではないかもしれないけれど、
限られたセカイの中でしか通用しないルールだの不文律だのを、
他のセカイにいる人たちにまで押しつける勝手さが問題となる。
「アタリマエだからアタリマエなんだ」と言ってしまう感覚が。

あたかも大きな声を出して身体を動かすのが当然という
体育会系の連中が静かな場でも声量を落とせないような、
あるいは、あまりに大音量の音楽を聴いてばかりいると
難聴になってしまうのと似たような、ある種の社会障害。
過ぎたるは尚及ばざるが如し。過度の適応は障害と同義。

現代社会は情報の爆発的増加の渦中にあって、
そのせいで感覚器官が慣れてしまう(可逆)か、
あるいは飽和して機能が損なわれる(不可逆)、
いずれにせよ得られていた情報を見失いがち。
おかげで誰もが「群盲撫象」な状態となって、
その感覚そのまま情報発信してくもんだから
余計に社会ノイズが増えてくばかりの悪循環。

英語圏から半ば隔離されている日本でさえも
その印象は酷く感じられるのだから英語圏の
先進国となればさらに酷いコトなのだろうか。
ともあれ、これでは誰が社会に出たとしても、
同じように非対称の魔術に囚われかねないな。

どんな人物が座っても全く同じように誰も彼もが
ふんぞり返ってしまって問題になるような椅子は、
きっと基本設計や骨組みから作り直した方が良い。
あるいは土台から作り直してもいいかもしれない。
そんなコトを思う対象、議会の椅子だけじゃない。
社会の主流派という椅子もまた厄介な存在なのだ。

よくある戦犯捜しの問題だとか特に週刊誌などが
よくやってるような悪人作りの主張などをみると、
異質な一部を排除するコトで自らの立場を守ろう
とする動物集団の本能剥き出しに見えてならない。
これまた、やはりヒトの構造的な欠陥なのだろう。

ともあれ。

「規制は守って当然、危なっかしいコトは最初からしないさせない」
なんて優等性生活してきた人たちだけが全てだと思っているような
連中がヨノナカを牛耳ってたらハミダシ者など生きるのも一苦労だ。
せいぜい異質ゆえに演じられるような道化か何かを試みてみようか?

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ところで、
日本は無数のムラ社会の集合体だと思っている。
だからこそ、日本のカミサマは無数にいるのだ。
それゆえに小さな村で細々と然し連綿と続いた
海豚漁など少数民族の狩猟風俗と何ら違わない。

逆にみれば、
単一民族単一文化だなんてとても信じられない。
万世一系に通ずる一神教ではないといった考え
にも繋がってくるし日本文化を守れなんていう
主張に必ずしも首肯できかねるのは、そのへん。

要するに当事者からすれば、どちらも同様に余計なお世話のはず。
余計なお世話というのは一見すると善意に見えるからタチが悪い。
たとえばアタリマエのセカイ中でアタリマエでないような存在に
手を差しのべる行為が自らの優位性を再確認するようなものだと
思っているような連中がいれば、それはそれで問題になるワケだ。

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