« 自称逸般塵の不通の日記(187) 進まぬ先の方便 | トップページ | 自称逸般塵の不通の日記(189) 皿には裏と表があるのが普通だったっけな »

2010/09/07

自称逸般塵の不通の日記(188) 憂いもせぬ前から備えあり、イザというときには肩にも掛けられる鞄とか

20100907_dscf2301_1s


今日もまた外仕事の後、喫茶店に逃げ込んでデスクワーク。
電源から遠い席に座ってしまったけれども、PDAとノートPCとを
それぞれ電池が切れるまで使っていけば昼から夕方まで保つ。

思えば昔から、何らかの予備を可能な限り持ち歩いている。
「そんなコトもあろうかと」なんてセリフ、何度口にしたかな。
おかげで荷物は、結構な分量を持ち歩いているのが常だが。

それでも背広を着て歩き回るのが外での仕事だもんだから
せめて見苦しくないよう鞄は手提げ、あるいは肩越しに担ぐ。
姿勢正しく歩き、電車内などでも邪魔になりにくいようにと。

結果として上半身の筋肉も多少は鍛えられたようなので、
10kgあまりの荷物も(重い重いと文句は言うが)手提げで
困るコトは殆どなくなったけれども、それでも疲れたとき
他の荷物があるときなどには厳しいと感じる場面もある。

そんなときには、現実に妥協して肩掛けにしたっていい。
手提げに固執してヘロヘロになって周囲に迷惑を掛ける、
あるいは疲れ切って翌日の仕事に差し支えるくらいなら、
むしろ妥協して体力を温存した方が結果的にマシだから。

もともとタフなワケではなくて、
むしろ弱いトコロが多いと自覚しているから、
そういう逃げ道を作っておく知恵が回るようになったのだと思う。

しかし悪知恵が働くコト自体は、
決して悪いハナシではないとも思っている。
どっちにしろ今後いずれ年老いて衰えてくるのだし、
そういう対策を多めに講じておくのは悪くないはずであろう。

もし、この身体が寸法1.2倍でもあれば、
それこそ割と筋肉質のまま身長1.9m体重100kgの巨漢、
なんてコトだったならば、そこまで考えが巡っただろうか。

|

« 自称逸般塵の不通の日記(187) 進まぬ先の方便 | トップページ | 自称逸般塵の不通の日記(189) 皿には裏と表があるのが普通だったっけな »