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2010/09/08

自称逸般塵の不通の日記(189) 皿には裏と表があるのが普通だったっけな

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今週は朝イチで外出する日ばかりのスケジュールになった。
まあ朝イチといっても訪問先の会社の始業時間の後なので、
たいていは(訪問先が遠方でない限り)通勤ラッシュの後半、
ピークを過ぎている時間帯ではあるのだけれども、重たい
荷物を担いで暑いホームで電車を待ったり混雑した電車に
乗り込むのは、やはり慣れたものではないと実感せられる。

そんな会社員生活から足を洗って自由業になって早何年か。
一人での仕事というのは誰の庇護も受けないリスクを伴う
生活だというのを嫌と言うほど思い知らされてきたけども、
それでも会社員を続けてる連中の我慢強さには驚くばかり。

しかしそれにしても通勤列車の作法というのは非動物的な
ものなのだなあと毎度毎度気付かされて新鮮な思いがする。
他人との距離を気にしていては生きていけない特殊な場だ。
たとえば自分自身と所持品の他はすべて障害物として対処
せねばならないし他者からの騒音や接触なども対物として
警戒対象に見倣すコトのないよう処理しなければならない。

動物的の対義として人間的というコトバを位置付けている
のだとすれば彼らは非常に高度な人間的存在ってワケだな。

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午前中の仕事から解放されて一人、たまたま昼飯時直前の
新橋駅前では、空腹を満たすため丼飯屋に入ったりもする。

見た目は大きな荷物を担いだ不良中年会社員というトコロ。
近隣の雑居ビルやらオフィスビルから時間制限付きで放牧
されてきた同じような姿の連中に紛れて、肩を並べて食う。

彼らが丼一杯掻っ込むのに要する時間は数分乃至十分程度。
箸を置き冷たい茶を飲み干して席を立てばすぐ次の客の番。
あまり早飯は得意ではないものの、このくらいなら大丈夫。
ほぼ同等のペースで掻っ込んで飲み干して席を立ってやる。

朝のアレには対応できなかったが昼のコレには適応できる。
昼のコレは極めて高度に動物的な行動だからかもしれない。

いや考えてみれば同一人物が朝のも昼のも両方ともやって
いたりするのだろうから、実は彼らは物凄い適応力なのか。

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