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2010.11.07

反省するのは簡単だけれど実践するのは難しいコトについて

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そんなワケで気を引き締めるコトが望ましいと感じた出来事が連続した。
少しくらい効率的でなくても注意深く生活をする方が良いという感覚だ。
もちろん当然だけれど常にピリピリと警戒して生きるワケにもいかない。
ヒトは長時間に渡って張り詰めた状態を続けるコトができぬ限界がある。
ある程度の範囲までであれば慣れれば対応できたりもするものだけれど、
限度を超えれば心身に異常を来してしまうので適切な制御が求められる。
まあ逆に気を抜きすぎれば心身とも衰えてしまうものでもあるとは思う。

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性善説・性悪説という善悪の二元論よりは、
悲喜の二元論、性喜説・性悲説の方が性に合う。

ていうか楽観的か悲観的かという表現でいいのだな。
その個人の感覚がどちらの方向に向いているかの違いだ。

ヒトはわざわざ情報を探しては残念がったりするコトがある。
もちろん逆に、情報を見出しては喜ばしい話題に繋げる者もいる。

沈んだ感情に染まっている時間はどちらが短いか言うまでもないだろう。
ただ楽観的に過ぎると危険が差し迫らなければ対応をしない傾向もある。

どっちが良いというのではなく、どっちも一長一短というだけのハナシ。
楽観的でありつつも警戒は怠らない、そんな生き方なら性に合っている。

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