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2011.01.15

残らないならせめて充実させたいというキモチ

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とはいえどれだけ達観していようと
生き続ける上では食わねばならない

試算するほどの資産など持たぬから
食うために働き続けなければならぬ

そんなワケで日々呻吟しているのは
自由業でも勤め人と基本的に違わぬ

長くて一世紀そこらの借り物の一生といったって
少しくらいは夢や希望のようなのがあったりする

そんなあたりと目の前の現実との格差についても
やっぱり人並相応に悩んだりもしているのである

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そういう夢というか希望というか何というか
好きなコトやりたいコトを仕事とする為には
大きく分けて二通りの方法があると思うのだ

・ライフワークとライスワークの使い分け
ライスワークで稼いでライフワークに注ぎ込むといった方法
アルバイトで生活しながら何らかの作品作りに打ち込むとか

・好きなコトの周辺で仕事を見付けていく
ライフワークとライスワークを一体化させていくような方法
自分の作品でなく依頼を受けて製作する仕事をしていくなど

・仕事してるウチにソレが好きになってく
人生というのは実は自分自身の作品そのものであるからして
行き当たったトコロに作品となる素材が見付かる場合もある

いや実は三通りだった

可能性は幾通りもある
中には行き止まりなど
あるかもしれないけど

なにせ身の丈より高い障害物が周囲を囲んでて
ちょっと先となれば全く見通せないものだから
迷って立ち止まるより踏み出してみたいトコロ

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