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2011年2月

2011.02.28

道を知るべきコトバ(26) いつも通るけど今日は違う目的で歩いた道

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ちょくちょく散歩に使う暗渠の緑道
の道筋の目の前だと気付いた目的地

当日は時間があったというか仕事を
する気が弱かったので散歩がてらに
開演時間から余裕をみて自宅を出た

歩き慣れてたルートだけに所要時間
の目処も立つけれど春だけに花芽を
撮って歩いたりして時間を食うかも
しれないと思い少し早めに動いたが

気付いたら普段と大差ないペースで
現地に到着していたりするのだった

要するに普段からもフラフラと撮影
しつつ歩くようなスタイルでの所要
時間を把握していたというワケだな

仕事で駅へ向かう際の所要時間など
寄り道せず最短最速での記録を基準
として考えてしまいがちだがコレも
散歩みたいに歩けば違うかもしれん

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2011.02.27

道を知るべきコトバ(25) いつか通ったような道

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多くの人が不思議と懐かしみを感じて
ムズムズして歩きたくなるような景色

どうもヒトのヨノナカにはそんなのが
幾つかあったりするようなので面白い

無数のヒトから抽出した認識について
ロクにヒトの通らぬ道を歩みつつ思う

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2011.02.26

春、花の実の香、是の覚む莢

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春への移行期間が始まると
何故か人々は落ち着かなくなる

周囲では花粉症の症状が出始めたり
体調を崩したり精神的に不安定だったり
そんなのが目立ってくるようになるのが今頃

外を歩けば木の芽も緩み輪郭も暈けて見えてくる
大気には暖かみと湿り気が増え遠景も霞がち
ちょいと身体を動かすと汗だって流れる

そりゃぁ人間だって落ち着かないが
生きてるが故のムズ痒さなので
せめて慣れてしまうがいい

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2011.02.25

道を知るべきコトバ(24) どこへ向かうか分からないような道

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この道の行く先について確実に知らないコトだけは確実だ
どう転んでも予想外の展開となるワケだから新鮮さは確実
逆に言えば散歩道としては非常に堅実な選択肢というワケ

しばしば何故そんな道を好んで歩くのかと問われるけれど
上記のような考え方を理解できない相手には説明もできぬ

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2011.02.24

道を知るべきコトバ(23) どこかに行き着いていくような道

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遠くの何処かを目指して進むも良いが
ついでに道すがら他のトコロも見たい

見えている目的地にさえ辿り着けない
コトがあるのがヒトの道というものだ

もし道に迷ったとしても途中の景色を
楽しめたコトで良しとすればいいのさ

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2011.02.23

道を知るべきコトバ(22) 糸の切れた凧の道

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そのままでは方向さえ定まらない

糸の代わりの錘と
逆風あってようやく
安定して飛んでいける

それこそ滑空体となって

振り返れば確かにそうだな
飛んでるようで飛ばされてる

この逆風が途切れてしまう前に
前へ前へと自力で進める推進力を

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2011.02.22

的っ外れな回答者

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過去に何度となく書いてきたように他の人から
アドバイスを求められるコトが多いのだけれど
多くの人が求めるような具体的な回答は難しい

だいたいにして熱心な質問者なら勉強していて
知識やテクニックなど教えるまでもないのだし
逆に調べもせず質問する輩には教えても無駄だ

学習意欲ある質問者に対してはハナシを聴いて
整理した上で投げ返せば殆ど腑に落ちてくれる
あるいは一言二言の心構えを伝えてやれば済む

後者の場合には言葉で伝えるのでなくて実際に
身体を動かしながら身に付けてもらう方が良い
経験してようやく質問もできるようになるもの

どっちにしろ質問者の期待した通りの回答など
絶対に与えてやるものかと思っているあたりは
如何にも偏屈な回答者と言わざるを得ないよな

基本的には「期待は裏切るべし」がポリシーだ
ああもちろん道は外さないように努力するけど

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2011.02.21

道を知るべきコトバ(21) 逸れると厄介な人の道

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もちろん勝手次第といったって好き勝手というワケではない。
道端に注意書きが並ぶようでは勝手が過ぎたといえるだろう。

然るに昨今の街中の路上など見回せば禁止事項が数多く並ぶ。
曲がるな進むな停めるな歩くな捨てるな喫うな騒ぐな居るな。

ヒトが多いと鬱陶しいから可能な限り街を離れるようにする。
それはむしろ人間としての道を歩きたいからという逆説論理。

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2011.02.20

道を知るべきコトバ(20) どこまでも続きそうな道

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本当にどこまでも続いているのかといえば、
ほぼ確実にどこかで行き止まったりするが、
どうせ途中どこかで分かれ道があるもので、
結果としてどこかに必ず行き着けるのが道。

遠くに見える彼の場所まで真っ直ぐ行けぬ
かもしれないけど遠く巡れば辿り着くもの。
この道程でなければ得られない景色もある。
振り返って初めて気付く脇道もあるだろう。

進むも戻るも折れる曲がるも走るも休むも、
それこそ各人の勝手次第で如何様にも行け。

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2011.02.19

道を知るべきコトバ(19) 予想に反していようと道

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上がった先で、見晴らしが良いとは必ずしも限らない。
期待通りの経験が得られるなんて、むしろ珍しいのだ。

ヨノナカには期待通りに楽しめないコトを残念がって、
期待外の良さそうなデキゴトがあったのに楽しめない、
なんて性質の人も少なくないようだが勿体ないコトだ。

期待していた通りの良いコトは起きないかもしれんが、
期待していなかった良いコトが起きればそれでも良し。

むしろ予想できる範囲のコトで楽しめる範囲は狭いよ。

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2011.02.18

道に入るのも出るのも簡単

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散歩的な概念を総じてみて何が近いかといえば
ヒトの最も古くからの生き方ではないだろうか。
耕作するような計画的な活動では決してないし、
先々を見据え行き先を決めていく放牧とも違う、
ましてや第二次三次の産業の如き管理はしない。

それこそ狩猟採集生活に役立つような感覚にて、
五感をフルに働かせた上でアタマも使って動く。
ともすればスポーツかホビーに堕しがちだけど、
決して体育会系ではなく理系というにも別方向。
どちらかというと文化系だけどむしろ帰宅部的。

たぶん「散歩術」だのを作ったとしたらそれは
散歩の道を外れるものになるだろうと思うのよ。

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2011.02.17

散歩には「道」がある

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帰宅するという大きな目的に沿った帰途においてさえ、
その道中に新たな発見を得て楽しもうとするなら散歩。
てな具合に考えているもんだから時間的精神的な余裕
さえあれば常日頃から散歩をしているようなものだが、
それでも散歩にならぬ場面もあるものだから必ずしも
移動すなわち散歩というコトにはならないワケであり。

改めて散歩とは何なのかと考えてみる。
単に出歩く行為を指すものではないし、
たとえばそれこそ「○○の花を見たい」
として歩き出すのも散歩になるだから、
明確な目的なき移動を謂うのでもない。

散歩だと思われる活動から定義を考え出してみよう。
歩きながら見聞きしたり嗅いだり味わったりするし
足の運びと同じく思うままに思惟してるコトも多い。
いや移動手段が足による歩行でなくても散歩である。
自転車でも自動車でもバスだの列車であっても散歩。

心情や思索の動きを伴いつつ移動する、
そんな具合に考えておけば良いのかも。
それはもしかすると行動様式というか、
生き方そのものまで含む概念なのかも。
まあ何というか茶の湯みたいなもんか。

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2011.02.16

雪の降る街の夜の歩

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深夜というか未明に友人宅から徒歩帰宅
田舎に育った身には都会の夜は眩しくて
その上さらに積雪が照り返して明るい道

数cmの積雪は深みを除けば気にならない
それより行き交う車両の飛沫を警戒して
見慣れたはずの景色の見慣れぬ姿を見る

防滴防塵のレンズとデジタル一眼レフの
所持品中唯一の構成として持ち歩くのは
まだ使いこなしてるとは言い難い中望遠

いつもの路地モノ構図でも日頃と違った
雪化粧があるおかげで少しは絵になるか

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2011.02.15

ホッするトコロ

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実家からの帰りには相当な遠回りをした。

何通りものルートの中から二番目に遠い
路線を選び初めて乗る駅を使ったりして、
途中駅では30分も乗り換え待ちをしたり、
さらに思いつきで途中下車して歩いたり。

前から気にしていた丘の上の神社を訪れ、
夕日とか橙色の空を背景にした富士山を
遠望したり撮影したりして歩いていたら、
散歩ばかりして過ごしていたいと思った。

珍しく明確に認識した欲求がそんなもん。

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2011.02.14

自称逸般塵の不通の日記(244) 二月の丘陵地帯

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関東地方を雪雲が覆い隠した連休中、
実家を拠点に半日ほどドライブした。

平野部では積雪どころか雨だったが、
ちょっと丘陵地帯に入れば雪が残る。

僅かな積雪だけでも雰囲気は変わる。
たまに立ち寄る場所を思い出しては、
訪れてみて少し撮り歩いてまた移動。

気付いたら山懐へと入り込んでいた。
標高差でいえば20m30mというトコロ。
なのに下の平地とは違って雪が降る。

大きな谷間の底の片側一車線道路は
雨だったが小さな谷筋に入ると霙で、
その谷を進んで角を曲がったら雪で、
さらに次の角を曲がれば大雪だった。

山寺は雪に煙って豪雪地帯にも似る。
十数年前から何度となく訪れてきた
馴染みの寺だが雪化粧は初めて見る。
積雪は大変だがたまになら悪くない。

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2011.02.13

夜の雪のベタな写真は斯様に撮らる

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雪の夜の景色は明るいのだけれども
降り続ける様子を撮影するには暗い

おまけに雪は霙雨に変わってしまい
せっかく積もった分さえ溶けてゆく

この分では朝まで残るとは限らない
致し方なく夕食ついでに撮って歩く

普段あまり出会わない被写体だから
せめて少しは慣れておきたいトコロ

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2011.02.12

自称逸般塵の不通の日記(243) ハウス物の雪片?

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東京にしては珍しく雪が降りしきった一日、
昼間ほとんど自宅で仕事などをして過ごす。

とはいえ少しばかり落ち着かなかったので、
ちょっと気晴らしにとばかり室内から撮影。

絞り込みつつシャッター速度も下げないで
撮影するには高い感度でなければならない。
そういう撮影ができてしまうのが最新技術。

自宅窓から雪景色なんて手抜きできる大雪、
なかなか出会えないので歩き回りたいけど、
ひとまず三連休の初日は遠出もできず終了。

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2011.02.11

暗箱に針穴(33) 適材不適所?

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手ブレ補正つき100/2.8マクロを購入してから早くも3カ月が過ぎたのだけど、
散歩写真には向いていないのか使いこなせていないような気がしてならない。
ボディ側がフルサイズでなく画角1.6倍で160mm相当なのが問題なのだろうか。
とはいっても前に使っていた90mmでは使えていたように思うので気分の問題、
そう思うようにしてレンズ1本ボディ1台だけで散歩に出たりしているけれど、
ここ最近の収穫を振り返ってみると路地物ばかりが目立っていて非常に残念。
他にはブツ撮りしたハウス物が多いのは当然というか予想通りというべきか。

それでもシチュエーションに合わないとされる画角を使いこなしたいという、
ワガママなのか反発心なのか何かが働いているようなので懲りずに持ち歩く。
そんなトコロはきっとまだまだ若いのだろうと自画自賛してみたりする中年。

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2011.02.10

自称逸般塵の不通の日記(242) 低温多湿な平日

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30日以上だか降水のない日々が続いた後の湿り気
みぞれ交じりの深夜に最寄駅前まで食事と称して
傘とカメラを担いで出掛けたのは嬉しかったから

今週は仕事量も多くないので週末までに片付けて
週末は雨なり雪の中の散歩と洒落込みたいトコロ

濡れたマンホールやタイルの上でも滑る心配なく
10kmでも20kmでも普通に歩き続けるコトができて
かつ5℃でも3℃でも寒いと感じない体質だったら
東京の冬の夜の冷たい雨の中の散歩も悪くないよ
そんな感覚を共有できる仲間は多くないのが残念

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2011.02.09

自称逸般塵の不通の日記(241) 充実した休日

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全く仕事のない時間を1日、いや1/2日ほど得た。
バックオーダーを完全に解消したのは、久々で、
行く先を決めぬまま、三輪車に跨がり漕ぎ出す。

水道道路にぶつかったので、そのまま疾走する。
真っ直ぐだけど、幾つかの川筋を横切っていて、
けっこう高低差のある、漕ぎ甲斐のある道路だ。

神田川にぶつかったトコロで、ふと思い出した。
昨年の散歩では未踏破だった部分が、目の前だ。
まだ日没まで間がある、一気に踏破してしまえ。

さすがに車輪は速い、善福寺川の合流地点まで、
気付いたら到着してしまっている、というほど。
少し時間があるので、別の道を使って折り返す。

両河川に挟まれた台地上の細街路を、主に走る。
入り組んで曲がりくねった道で、加減速は頻繁。
明確な尾根道のようなのはなく、高低差も多い。

暖かい日差しの中で、ちょっとばかり汗かいた。
だけども、思い切って身体を動かして楽しめた。
また翌日には仕事だが、リフレッシュになった。

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2011.02.08

育っては折れていく無数の柱

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撮影前2~3日から寒気が緩んできていた
地元観光協会によると結氷率は低下気味
ときおり氷瀑から氷柱の一部が崩落する

しかし最も気温の下がる明け方には違う
無数の氷柱が成長していくらしき様子が
未明から撮影してきた写真に見えてくる

もう少しきちんと連続撮影しておいたら
その様子をアニメーションで見せられた
なんて思ったのは写真整理の最中だった

翌日以降も春めいた陽気が続いたもんで
もう今シーズンは期待薄になってきたが
また来期には挑戦してみたいものである

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2011.02.07

闇夜の滝壺

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懐中電灯の明かりを頼りに谷間の道筋を辿っていくと
淵を曲がるたびに空気が冷たくなってくるのが分かる
夜明けまで相当の時間を使えるように見計らった到着
滝を見上げ滝壺を見下ろす岩場に機材をセッティング

ファインダーの中は真っ暗でライブビューも全く同様
目測で概ねフォーカスを合わせて懐中電灯の光で合焦
長めの時間でレリーズしながら崖と滝を照らしていき
撮った像を拡大して焦点誤差と画角を追い込んでいく

暗闇の滝壺に懐中電灯の光が舞いデジカメ画面が明滅
同行者たちもそれぞれに工夫しながら撮っている様子
(あるいは悪戦苦闘あるいは試行錯誤かもしれんけど)
おおよそ闇夜の撮影に慣れてきた頃ようやく空が白む

ようやく肉眼でも捉えられるようになった氷瀑の全貌
まだCMOSには暗かったが明かりを照らしてモノにした

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2011.02.06

夜と朝の狭間の谷間へ

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昼間の暖かさを恨んだのは暖房が強すぎただけ、
というワケでもなく他に一つ理由があったのだ。
氷瀑を撮影するために出掛けていたのであった。
それも未明から朝にかけての冷え込む時間帯で。

夜明けの光線を狙いたいので未明から現地入り。
遊歩道が整備されているとはいえ急峻な谷間で、
落下や落石などの危険もないとはいえないから、
寒さ対策だけでなく行動に支障の出ない装備で。

それゆえ都会の電車では活動に支障を来すのだ。

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2011.02.05

自称逸般塵の不通の日記(240) 少し冷え込む場所へ向かうときに

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寒さに備えた服装で移動していたら
電車内で暑くなって眠くなってきた

あまり暖房の効いたトコロにいると
衣服の中に熱が籠もり上せてしまう

上衣を脱いだくらいでは足りないし
袖を捲ったり襟元のボタンを外して
それでもなおボーッとしてしまって
早く着かないかと思いつつウトウト

やはり都会は人が多すぎるのか暑い
ちょっと寒いくらいが望ましいのに
などと思いながら目的地へと向かう

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2011.02.04

枯れ木に芽吹く季節を待ちつつ

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寒い時期といっても、もう終わりが見えてきている。
気付けば日中の日差しが暖かく、暖房もない部屋も
全室南向きといった条件だからか、普通に過ごせる。

ひょっとしたら寒の戻りがあるかもしれないけれど、
仕事の寒暖もまた季節が移ろう如くに移り変われば、
折々の状況に沿って動いて対応できるコトであろう。

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2011.02.03

自称逸般塵の不通の日記(239) 寒いときにも、のほほんと、ひとまず動く

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残務を片付けたら仕事が暇になってきた
何もしようとしない自分を呪うかの如く
所要の休息を得たら動き回るコトにする

何もしなかったコトが最大の問題なのだ
だから何もしない人間でいはいられない
動かないと考えるコトも停滞してしまう

あとは資金だとか時間の遣り繰りの問題

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2011.02.02

呪いをかけるということ

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人を呪う方法について探し求めてくる訪問者が絶えぬどころか
むしろ増加傾向にあるようにも思えるので補足説明など試みる

ヒトは、ともするとオモテからしかモノゴトを見ようとしない
逆にいえば、ウラから見れば他とは違うモノゴトが見えてくる

凶悪犯罪者が人生を終わらせたいだのリセットしたいだなんて
語っているという報道を少なからず目にするようになった昨今

それくらい自分を呪って(かつ愛して)いてもなお足りていない
他人を呪い殺すなどというのはヒトの能力に余るというワケだ

要するに先ず自分を生かさず殺さず呪って呪って呪い尽くして
その技法を練り上げ熟達し磨き上げた上でようやく達せられる

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2011.02.01

好きな理由なんて探せば幾らでも

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どういう方向に舵を切っても進んでいるのは同じだけど
得意とする方角のようなものがあるらしいとは常に思う

これまで撮ってきて気に入った写真を総じて眺めれば
順光でなく斜光線や逆光の比率が非常に高いと分かる

光から目を背けないとかそんな格好つけてるのではなく
たぶん自分にない存在に対し目を向けたいのではないか

あるいは光を背負うよりも光に立ち向かいたいのかな
どちらかというと光を持たぬ立場に立ってのハナシで

そんなトコロに関しては昔から一貫していたかもしれん
なんというかガキの頃から拗ねたヤツではあったもんで

もちろん逆光に透かすメリットが、ないワケでもない
輪郭を捉えやすいし、自分の影を落としたりもしない

だけどそれよりも光の下に暗い存在が隠れがちだという
ヨノナカの実態を見せるのに好都合だからではないかと

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