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2011.03.24

たまには時事ネタ(66) 牧神的神話論~~ちょっと古い宗教と組織のハナシ~~

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「まず、第一の条件は、緊迫した状況に置かれているという認識が、人びとの間に共有されていて、多くの人びとが、差し迫った脅威を感じている、ということである。」

「パニック発生の第二の条件は、危険をのがれる方法がある、と信じられることだ。もし、絶対に助からない、助かる見込はない、と確信すれば、私たちは、逃走行動を放棄して、諦めと受容の姿勢でその危険をむかえ入れるか、背中を向けるのでなく、正面に向きをかえて、討ち死に覚悟の捨てばちな行動をとるかのどちらかだろう。このような時には、脱出口を求めて、先を争って逃げまどうパニックは起こらない。」

「第三の条件は、脱出は可能だという思いはあるが、安全は、保証されていない、という強い不安感があることだ。たとえば、脱出路には、狭いなどの空間的な制約があったり、限られた間しか使用できないなど時間的に緊迫した条件などがあって、この脱出はフリーパスではなく、自分自身の安全な脱出は、現実には困難かもしれないという危惧を、多くの人びとが共有しているということである。」

「最後の第四の条件は、人びとの間で相互のコミュニケーションが、正常には成り立たなくなってしまうことである。」

「ほんとうに恐いのは、パニックそのものよりも、パニックに対する過度の恐れである。パニックはまれにしか起こらないが、パニック恐怖症は私たちの心の中に常在していて、災害リスクに対する際に、適切な判断力と合理的な意志決定の力を損なうからである。」

「人はなぜ逃げおくれるのか――災害の心理学」(広瀬弘忠/集英社新書)より

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基本的に神話は神話だけど神話を信じ込んだ者たちによって本物となるコトもある。
あるいは神話を信じ込んだ者たちが残した伝承でさえも神話を本物にするコトさえ。
特に第四の条件、適時適切な情報提供が行われていると情報の受け手側が感じない
ような場合には、情報を発信する側に対しての不信感が蓄積してしまうコトが多い。

神話が本物と思われていた過去においての対応手順を今もなお遵守していたりする
ような組織には非常に大きなリスクが隠れて存在し続けていたコトが今よくわかる。

ヒト環境中には平時から常に陰謀論やら隠蔽論などが少数ながら存在してるものだ。
組織内の齟齬やら組織外の情報流通混乱などは完全に避けられず小さな火種となる。
こと有事には適時適切かつ大量の情報で情報顧客を冷却したり中和し続けなければ、
徐々に顧客側が変質したり気化したりして常在する火種による爆発的反応に繋がる。
その反応はさらに連鎖的に拡大しかねないので発火しない状態に保つコトが肝要だ。

神話が神話であるコトが関係者に周知されるようになってきたのは割と近年である。
そもそも組織外の一般市民に対する情報提供手段というか媒体の選択肢も少なくて、
その上いずれも整理された情報を求める傾向が強かったという需要側の問題もあり、
それゆえ昔から重要な情報は内部で処理した上で概要や結果のみ会見場で説明して、
他の資料は後日配布といった対応を柱として多くの組織が有事広報を構築していた。

もちろん大量の情報を手軽に伝達していく手法も近年になって整ってきたワケだが、
いずれにせよ一部の民間企業から徐々に進んできた情報公開の洗練化の流れの中で、
最後尾を走る官公庁でや準官営企業には時代の波も届くには至っていなかったのだ。

とにかくいったん組織内に構築された仕組みがあれば変えまいとする性質が強くて、
より上の権力を持つ者に指示されるか或いは災害に遭って実際に使ってみなければ、
環境変化に取り残された仕組みを変えようにも変えられない残念な組織なのである。

隠蔽体質というのは表層を見たに過ぎない。その中身は劣化し柔軟性を失い脆弱化
した構造体の間を各部署の人々が必死で走り回って日々その補強工事を重ねている。
有事の際には補強工事を行っていた作業員たち全員が最前線へと出て戦ったりする。
ものだから補強工事のために養っているコトは間違いではないなどと思わぬように。

時代につれ変質し続ける情報顧客の実態をきちんと把握し続け緊急冷却システムを
適切な状態に維持管理していくためには平時のシステムも効率的でなければならず、
そのためには組織構造そのものも必要に応じてリニューアルし続けなければならぬ。
組織を構成するヒト個体の配置を定期的に換えるより難しいかもしれないが重要だ。

そういう変化をしてこなかったコトを有事に悔やむのは馬鹿馬鹿しいハナシであり、
また組織外の多くのステークホルダーたちが此の期に及んで組織を攻撃しても遅い。
平時にこそ着実に一歩一歩、変化への対応を進めておくべきものであったのだから。

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要するに、今いろいろと組織やヒトの対応を批判している者たちを目にしていると、
滑稽を通り過ぎて哀れに見えて、そのコトこそ残念に思えてならないというハナシ。

火消しに天手古舞いの最中ああしろこうしろと意見する善意の暴走など辟易するし、
意見したコトそのものを喧伝しているのは偽善に過ぎると思うのだが如何だろうか。

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