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2011年3月

2011.03.31

試小説(8) 【お知らせ】エイプリノレフーノレ自粛について

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被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。

今般の社会事情に鑑み、弊社では毎年ほぼ恒例となっている4月1日の行事を自粛することにいたしましたので、お知らせいたします。
なお、本行事につきましては中の人のストレス解消を大きな目的としたものであり、それに代わる行事を、別途検討中です。
他にも楽しみにしていた方などおられないかと存じますが、代案にご期待の上、ご了承いただければ幸いに存じます。

また、自粛や買い控え機運に由来する経済状況の悪化により、今後は弊社の経営にも甚大な影響が及ぶものと思われます。
今後は、経営状況への影響度の把握に努め、可能な限り悪影響を抑えるよう、迅速に施策を実施していく所存です。

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2011.03.30

自称逸般塵の不通の日記(251) 一輪の桜から始まる春

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今年ほど桜の開花が待ち遠しかった年はない。

たしかに東京には直接被害はほとんどないが、
初日の帰宅困難者問題や後に続く停電だとか、
地震酔いとか買い占め騒動とか放射能騒ぎで、
どことなく落ち着きのない空気が漂っていて、
みんな徐々に何か良からぬモノを沈殿させて、
むしろソレにやられてしまいそうで嫌だった。

都心ソメイヨシノの開花が確認された日の昼、
一仕事終えた勢いで近所の桜を調べて回った。
周辺で最も早く開花する緑道沿いの一株には、
例年とは違った枝に最初の一輪が咲いていた。

この桜もまた何か妙な空気を感じていたのか。

……

通りがかった老夫婦と一緒に桜を眺めて喋る。

「ようやく今年も春が来ましたねえ」
「きっとこれからパッと咲きますよ」

この小さな小さな近所の花見が今年最初だな。
本格的な春の訪れを教えてもらった気がした。

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2011.03.29

道を知るべきコトバ(38) 雨の降る道

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雪が雨に変われば春の入口。
風に舞った土埃を洗い流し、
乾いた土を潤して生を育む。

強烈な土の匂いがするのは、
降り始め直後の短時間だけ。
後は雨滴の微かな匂いだけ。

降水の後に日差しが注げば、
そのたびに水は染み通って、
地下から生命を呼び覚ます。

一歩一歩近付いてくるのは、
無機質な風の音でなはくて、
有機的な生命の音の響く春。

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2011.03.28

道を知るべきコトバ(37) 雪の降る道

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関東の冬を締め括るのは雪。
冬と春の交代の儀の始まり。

春がその湿度を以て延べる、
冬を送るための真白い絨毯。

空っ風を吹かせ続けた冬が、
この道を通って帰って行く。

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2011.03.27

自称逸般塵の不通の日記(250) furlong per 15days

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今は亡き人の癖がうつって、
ときたま爪の表面を撫でて、
スベスベした感触を楽しむ。

微妙な窪みがあると気付く。
伸びが弱ったのかもしれん、
精神的なストレスか何かで。

一応は平時に近い生活だが、
あまり落ち着かぬのも事実。
慣れすぎて忘れていたのか。

そろそろ平常運転に戻ろう。
残っている仕事を片付けて、
新しい仕事を作り出すのだ。

週が明けたら再始動するか。
間もなく桜も咲き始める頃。

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2011.03.26

内的要因と外的要因

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いずれにせよ、これほどの状況でないとできないのか、とは思うのだけど、
全てを守りきるコトなど不可能だと知ったとき優先順位は自ずから決まる。
逆にいうなら平時には無理すれば不可能でないと思っていたのかもしれず、
やはり相当な規模・程度の有事でなければ実行不可能だったのかもしれぬ。
ましてや日本の風土と、それに根差す社会の中で生きる人々にしてみれば。

季節が明瞭な風土の中で百姓イコール農民としてしまったクニにとっては、
年度という時間区切りは如何にも農耕牧畜従事者的な感覚であるのだから
分かりやすいというより森羅万象に逆らわぬため厳守すべき規範であろう。
そういった意識を根底に持つだけに例年通りでない変化は忌避されがちだ。
となれば新しいコトに挑戦したり既存の枠組みを変えるような取り組みは、
やはり社会の枠外から、または環境そのものの影響を待たねばならぬのか。

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2011.03.25

たまには時事ネタ(67) 平時における有事観を考える

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たまたま常日頃から不安定な生活を送っているような職種だから、
こんな社会情勢の中でも考慮すべき要素が少し増えたに過ぎない、
そういう意味では普段から心構えはあったというトコロだろうか。

状況は時々刻々と変化し続けており、それに関する情報は多くの
ヒトビトを経て届けられてくるから、繋ぎ合わせていくのも大変。
収集に力を入れれば入れるほど情報は出てくるから、キリがない。

むしろ情報収集と分析にかまけてて行動機会を逸してしまったり、
あるいは当座の行動に役立たない情勢判断ばかり集まってしまい、
かつ不安材料ばかりが蓄積していくようなコトは避けたいトコロ。

時間は無限でないのだから状況の把握など必要充分な程度に留め、
活動時間を確保するコトも大切だ考えている。当面の事態好転に
繋がらないような断罪など落ち着いてから行えばいいと思うのだ。

今どうすりゃいいって? そりゃ自分で決めるさ、自分のコトは。
そういうトコロも含めて、考えるコトは平時の生活と大差ないな。

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普段からロクでもない組織が危機に瀕すれば余計に酷くなりがち。
まだ今はそうなっていないようだから、まだマシなのかもしれん。

そもそも、コイツらをロクでもない組織にしてしまったのは普段
からのステークホルダーの圧力の影響も捨てきれないと思うのだ。

多種多様な圧力の中で上手に政治や経営の舵取りをするのは至難。
周囲のステークホルダーも多種多様なリスクを考慮して動かねば、
どうしたって潮流に流されてしまう。平時が長く続けば尚のコト。

後知恵ていうのは、後の機会に役立てるための知恵のコトを謂う。
やっときゃよかったやっといた方が良かった、などと思いつつも、
普段できなかったコトを、今まさに実践する後押しでもあるはず。

時期が至れば、有事に際して活躍した人々の成果が確認されよう。
同時に、数多くの反省点や教訓もまた残されるコトになるだろう。
そういった課題に直面するのは、しかし復興に着手してから、だ。

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2011.03.24

たまには時事ネタ(66) 牧神的神話論~~ちょっと古い宗教と組織のハナシ~~

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「まず、第一の条件は、緊迫した状況に置かれているという認識が、人びとの間に共有されていて、多くの人びとが、差し迫った脅威を感じている、ということである。」

「パニック発生の第二の条件は、危険をのがれる方法がある、と信じられることだ。もし、絶対に助からない、助かる見込はない、と確信すれば、私たちは、逃走行動を放棄して、諦めと受容の姿勢でその危険をむかえ入れるか、背中を向けるのでなく、正面に向きをかえて、討ち死に覚悟の捨てばちな行動をとるかのどちらかだろう。このような時には、脱出口を求めて、先を争って逃げまどうパニックは起こらない。」

「第三の条件は、脱出は可能だという思いはあるが、安全は、保証されていない、という強い不安感があることだ。たとえば、脱出路には、狭いなどの空間的な制約があったり、限られた間しか使用できないなど時間的に緊迫した条件などがあって、この脱出はフリーパスではなく、自分自身の安全な脱出は、現実には困難かもしれないという危惧を、多くの人びとが共有しているということである。」

「最後の第四の条件は、人びとの間で相互のコミュニケーションが、正常には成り立たなくなってしまうことである。」

「ほんとうに恐いのは、パニックそのものよりも、パニックに対する過度の恐れである。パニックはまれにしか起こらないが、パニック恐怖症は私たちの心の中に常在していて、災害リスクに対する際に、適切な判断力と合理的な意志決定の力を損なうからである。」

「人はなぜ逃げおくれるのか――災害の心理学」(広瀬弘忠/集英社新書)より

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基本的に神話は神話だけど神話を信じ込んだ者たちによって本物となるコトもある。
あるいは神話を信じ込んだ者たちが残した伝承でさえも神話を本物にするコトさえ。
特に第四の条件、適時適切な情報提供が行われていると情報の受け手側が感じない
ような場合には、情報を発信する側に対しての不信感が蓄積してしまうコトが多い。

神話が本物と思われていた過去においての対応手順を今もなお遵守していたりする
ような組織には非常に大きなリスクが隠れて存在し続けていたコトが今よくわかる。

ヒト環境中には平時から常に陰謀論やら隠蔽論などが少数ながら存在してるものだ。
組織内の齟齬やら組織外の情報流通混乱などは完全に避けられず小さな火種となる。
こと有事には適時適切かつ大量の情報で情報顧客を冷却したり中和し続けなければ、
徐々に顧客側が変質したり気化したりして常在する火種による爆発的反応に繋がる。
その反応はさらに連鎖的に拡大しかねないので発火しない状態に保つコトが肝要だ。

神話が神話であるコトが関係者に周知されるようになってきたのは割と近年である。
そもそも組織外の一般市民に対する情報提供手段というか媒体の選択肢も少なくて、
その上いずれも整理された情報を求める傾向が強かったという需要側の問題もあり、
それゆえ昔から重要な情報は内部で処理した上で概要や結果のみ会見場で説明して、
他の資料は後日配布といった対応を柱として多くの組織が有事広報を構築していた。

もちろん大量の情報を手軽に伝達していく手法も近年になって整ってきたワケだが、
いずれにせよ一部の民間企業から徐々に進んできた情報公開の洗練化の流れの中で、
最後尾を走る官公庁でや準官営企業には時代の波も届くには至っていなかったのだ。

とにかくいったん組織内に構築された仕組みがあれば変えまいとする性質が強くて、
より上の権力を持つ者に指示されるか或いは災害に遭って実際に使ってみなければ、
環境変化に取り残された仕組みを変えようにも変えられない残念な組織なのである。

隠蔽体質というのは表層を見たに過ぎない。その中身は劣化し柔軟性を失い脆弱化
した構造体の間を各部署の人々が必死で走り回って日々その補強工事を重ねている。
有事の際には補強工事を行っていた作業員たち全員が最前線へと出て戦ったりする。
ものだから補強工事のために養っているコトは間違いではないなどと思わぬように。

時代につれ変質し続ける情報顧客の実態をきちんと把握し続け緊急冷却システムを
適切な状態に維持管理していくためには平時のシステムも効率的でなければならず、
そのためには組織構造そのものも必要に応じてリニューアルし続けなければならぬ。
組織を構成するヒト個体の配置を定期的に換えるより難しいかもしれないが重要だ。

そういう変化をしてこなかったコトを有事に悔やむのは馬鹿馬鹿しいハナシであり、
また組織外の多くのステークホルダーたちが此の期に及んで組織を攻撃しても遅い。
平時にこそ着実に一歩一歩、変化への対応を進めておくべきものであったのだから。

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2011.03.23

社会の地層から

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震災から約10日間の社会情勢には規模の違いこそあれ、
過去の大規模災害とも共通するヒトの動きがみられる。
特に顕著だったのが、災害心理学でいう非常時規範だ。
コイツは日本人の特性ではなくヒト共通のものだけど、
特に今の日本国内では強く働いているように思われる。

一人の英雄より無数の人々の活躍が目立つ現代の日本。
広域災害時には、まさにこういった活動こそ役に立つ。
過去数十年徹底して巧遅を尊んできた日本ではあるが、
有事に遇い拙速を学んだのは希有な経験となったはず。
まして戦後世代が社会を支えている現代では尚のコト。

一方で平時からの流れとして政治や官僚、大企業への
不信の声も、若干控えめとはいえ相変わらずであった。
地震いて人固まる、とは言えるように思うのだけれど、
何というのか揺れで固く締まった地盤から液状化した
砂泥が噴出してくるようなものなのかもしれないなあ。

地表面を覆うのは噴出物だが下には地盤が隠れている。
ただそれだけなのだけど見た目が一変するのは流石に
多くの人たちが戸惑ってしまうのだろうな、とも思う。

逆に危機的状況からイノベーションが進んだりもする。
今回のような広域大規模災害が、少しずつ動いていた
社会の変化を加速させるケースも、よく知られている。

発災直後の通信輻輳状態の中では放送と並んで情報の
通信網が大いに役立った点は過去の大災害にない状況。
これまでITアレルギーで敬遠してきたような人たちも、
電話やメールが通じない中でも携帯電話のIP通信など
新たな連絡手段が活躍した事実には注目しているはず。

すっかり個人主義に染まったと思われていた日本社会、
だけれど避難所での生活や疎開先への移転に際しては、
隣近所の人付き合いなどを含めたコミュニティ単位で、
つまり個体でなく「人の間」も込みでの動きが目立つ。
そんな社会構造の再確認再認識も着実に行われている。

いずれにせよ幾つのか小さなベクトルが兆しつつあり、
今後いくつかの力が複合して大きな変化をもたらそう。

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2011.03.22

たまには時事ネタ(65) 有事から平時を思う

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平時から有事に備え必要なコトを学んで考えておくコトは大切、
今まさにそのコトを思い知らされている人は非常に多いはずだ。

大規模災害の瞬間や直後の状況では、外部からの支援が届かず、
どうしても被災者自身の「自助努力」が必要となる状況がある、
とは以前より防災関係者の間では認識されており、それなりに
防災教育など事前対策も試みられてたが、救えぬ生命もあった。

しかし教える側が自責ばかりを問うていても、後の祭りである。
そしてそのコトは、教えられていた側もまた何ら変わりはない。
どちらの側も自責の念を抱いているコトは痛いほどよく分かる。
そんなときには周囲から責めたりしても無意味どころか逆効果。

むしろ喪失感や無力感を前向きな力に変えるための支えが必要。
失ったモノが大きければ大きいほど前へ進む反動は強まるもの。
だからその力を可能な限り発揮してもらうための合理的な施策
として嘆く気持ちを癒し明日へ向けた勇気を抱いてもらいたい。

もし何らかの責任を外部から問うコトがあるとしたら先のコト。
再び繁栄して過去の失敗を忘れ奢りに走った時点で行うべきだ。

それこそ今は非常時規範も強く働いていて多少の混乱こそあれ
人々はそれぞれ置かれた立場で自らの力を精一杯発揮している。
規範が自然消滅するまでには新たな平時の規範に移行していき、
再び次の有事が生じるまでの備えを積み上げていかねばならぬ。

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2011.03.21

理系用語で読み解く社会(70) 低信頼性ノード多数により構成されるスケールアウト&耐障害クラスタについての考察

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被災者・地域のために何かしなきゃという焦燥感。
もしや危機が拡大するのではないかという不安感。
その割には何もできない自分自身に対する無力感。

概ね他人は信用して差し支えぬ存在と認識しつつ、
大概ヒトは信頼性の高い存在ではないと思うのだ。
ましてや集団となれば、なおのこと不安定となる。

収集伝達集約整理発表といった経路を経た情報は、
各段階のノイズや誤差や切り捨てなど変質されて、
いわばヒトの信頼性の範囲内でしか読み解けない。

足りない部分を如何にして補うか工夫し努力する、
一方でヒトの能力不足を認識して受け入れながら、
不能なコトは措いて可能なコトを為す以外にない。

ヒトは基本的に死ぬまでしか生きられないけれど、
逆に死ぬまでなら生きていられるとも考えられる。
どっちの観点に立つかは個々人の自由ではあるが。

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2011.03.20

道を知るべきコトバ(36) 液体か気体しか通せないパイプの道

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怒り悲しみ喜び或いは恐怖感だとか不安感といった感情は、
ヒトからヒトへと容易に伝わってヒト集団内で拡大しがち。

ところが情報ときたら感情ほど感染性が高くないというか、
それこそパイプラインを通れない固体のようなものだから、
手渡しするかのような別の経路で時間をかける以外にない。

しかも被災時はパイプラインの破損で感情が漏れたりして、
情報を手渡しできる範囲を大幅に超えた領域にまで波及し、
かなりの広域に二次災害を拡散させかねないあたりが問題。

伝達経路の確認も復旧作業を進める上で重要なものであり、
安全が確認されるまで迂闊な感情を流せないというワケだ。

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2011.03.19

道を知るべきコトバ(35) 枯れた鉄の道

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ヒトのヨノナカの発展過程の上で、
かつては必要だったが今は不要な
ものとなった鉄の道が残るコトも。

人手が入らなくなれば鉄は錆びて
枕木なども朽ち果ててしまうけど、
草は伸び生命の強さを見せつける。

だがヒトもまた地上の生命の一種。
生き残れば集まり再び繁栄の道へ。

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2011.03.18

道を知るべきコトバ(34) 決して平坦ではない鉄の道

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安定した大規模輸送を可能にするため
ヒトは地面に固定された道を巡らした

地面が揺らげば道もまた損傷を受けて
輸送機能を失ったトコロも少なくない

狭い日本の国土を網の目のように覆う
その目を繋ぎ合わせるようにして使い
必要なモノやヒトを運ぼうとしている

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2011.03.17

真相・を知りたいという・心理

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原発の状況に一喜一憂するヒトビトの様子を呆れつつ眺めていた昨日。
事態は「絶望的」と「無問題」の間のどこらへんかをフラフラ推移中。
人間側の措置や情報提供は後手後手の印象はあるものの徐々に慣れて、
積分でみればマイナスのままだが微分すれば二次要素が拡大しつあり、
すなわち事態は収束する方向への加速度を高めているように思われる。

現状の絶対位置、現状のベクトル、ベクトルの変化率、そのトレンド、
また逆に積分量二次三次まで、各次元でのイメージができていないと、
どれだけの数の情報ソースに当たっても不安は解消するどころか逆に
余計に増大して、その熱量で脳味噌の冷却水が沸騰したりしないかね。

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2011.03.16

自称逸般塵の不通の日記(249) 非日常的日常風景

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そんなワケで歯医者に行ってきた。
昨年末頃と今年2月頃の2回に渡り、
昔詰めた歯のあたりが欠けたので、
そのあたりの修復をしてもらった。

四半世紀くらい前の金歯の品質は、
かなり良いモノであったと歯科医。
当時は親掛かりゆえ額は不明だが、
ちょっと高かったのではとのコト。

欠けた分まで覆うよう作り直した、
新しい詰め物は金ではない合金で、
ちょっと鈍い色合いだったけれど、
まあ当分は使い続けられるだろう。

歯医者を出たら目の前の通りには、
500mほど先のGSへ向かおうとする、
給油待ちの自動車の列が並んでた。
こんなときだからこそ治療を完了。

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2011.03.15

自称逸般塵の不通の日記(248) 男鰥の生活の現状について(20時45分現在)(第13報)

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前回情報からの変更は以下のとおり

17:15 歯科医診療。予約より約90分遅れ(連絡済み)
19:30 診療より帰宅。弁当を調達、夕食を実施
20:25 覚醒レベル低下するものの自宅作業を再開

※ なお、地震発生時の雑誌書籍崩落により損傷したカメラについては、目下のところ復旧の目処は立っておりません。

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2011.03.14

理系用語で読み解く社会(70) 自己組織化ヒト集団

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たしかに今回の震災の被害は相当規模になるだろう。
しかしそれでも、日本以外で発生したのとは違った。
途上国であれば人的被害の桁は1つ2つ大きいはずだ。

長年かけて積み上げてきた防災・減災の取り組みは、
「なかったよりマシ」と「完璧」の中間のどこかの、
ある程度の効果を発揮していると言って間違いない。

ハードとソフト、ネットワークは一定の働きをした。
ヒトも組織も、それぞれの立場でできる限り活動し、
整然とした動きで冷静かつ着実に現実と立ち向かう。

各自それぞれの立場で、できるだけのコトをしつつ、
それぞれが協調して動いていくような、そんな機能。
特に日本は何故か昔から、そういうのを持つらしい。

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2011.03.13

このクニのカタチ・ないものねだりの不足変?

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世界的に見れば物凄い減災をしていると思われる現状。
だがその評価に甘んじるコトはなく決して満足しない、
これがクールな、あまりにクールすぎるジャパンの姿。

日本にないものなんて砂漠と国境線くらいであろうか。
それから核兵器(たぶん)、あとはリーダーシップとか。

リーダーシップなんて意外なほど不要であったりする。
それぞれの人がそれぞれの立場で一所懸命に頑張って、
これまで積み重ねてきた備えを活用して活動している。

導いたり放したりしながら育てるという風土もないな。
でも手をかけ暇をかけ愛しみながら育てる風土はある。
だから長年かけて備えを積み上げてこられたのかもな。

自然災害には慣れて迅速に日常を取り戻そうとするが、
被害には慣れるコトなく更なる減災防災を求め続ける、
他国の妥協など気にせず今ないモノゴトを目指すクニ。

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2011.03.12

このクニのカタチ・自信過剰変?

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どれだけ備えをして注意深くしていても
運が悪ければ死んでしまったりするもの
という現実を再認識させられた地震体験

そして起きてしまったイベントは戻せず
ただできるコトといえば事後これ以上は
悪くならぬようにと必死で努力するのみ

せめて世間のヒトビトが現実に目を向け
ついでに将来像をきちんと描いたりして
自信を持って前へと進んでもらいたいな

でなきゃ被災した人たちも浮かばれまい

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2011.03.11

暗箱に針穴(34) 昔の写真を見つめている日もある

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今年は3月7日に雪が降った
昨年は3月7日には雨が降り
3月の9日に雪が降っていた

桜の開花時期は年ごと違う
咲いて散るまでの期間でも
年によって大きく違うよな

出張の際のカットをみれば
今もうない寝台列車だとか
まだ走ってる寝台列車とか

毎年開催のイベントの前後
毎年同じような行動してる
ほぼ意識せず年中行事化だ

写真の記録から読み解いて
今年は何に挑戦しようかと
企むのもまた写真の楽しみ

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2011.03.10

道を知るべきコトバ(33) 木々と岩の間へと入り込んでいく道

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ときにヒトの道は狭く険しくなるコトもある
必要最低限の通行を確保するだけの道である

もともと通ろうとする者の少ない経路であり
今でも多くの人々が押しかけたりはしない道

ヒトの多い場所でも主役という感覚はないが
ヒトの少ない場所ではなおさら主役ではない

そんな感覚を改めて実感させてくれる場所へ
自らの足で踏み込んでいくための修行の道だ

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2011.03.09

道を知るべきコトバ(32) 木で作られた道

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いずれ朽ちるモノだけど
失われる前に通ればいい

腐ってダメになってしまったならば
また新しい木で作り直せばいいのさ

必要な木を育て続ける人々がいれば
木の育つ場があれば道は維持される

道を必要とするのは社会
社会があってこそ道あり

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2011.03.08

道を知るべきコトバ(31) 砂浜の道

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サラサラの砂でも僅かな水を含めば締まって固くなる。
砂も水も力が加われば逃げてしまうような存在だけど、
微妙な交わり具合によっては非常に強固なものとなり、
車が突っ走ったってビクともせぬ道ができたりもする。

逆に言えば今ここで安定しているように見える道でも、
少し具合が違えばグズグズになってしまうかもしれん。
確かめている間にも足許の状態は刻々と変わっていく。
今そこに見えている轍を突っ走れば間に合うだろうか。

走りきった者たちは必ず問題なかったと言うはずだが、
問題があったら必ずや走りきれなかったであろうから、
そんな言葉を真に受けるのは実にリスクの高い行為だ。
比較的安定した時代が長く続いた後だけに余計に思う。

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2011.03.07

自称逸般塵の不通の日記(247) 土埃空高き冬の空地

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雨の夜の散歩からの帰り道では突然の土の匂いに驚いた
近所の戸建住宅が解体された直後の更地の匂いであった

最近は空き地のままとなる土地も見受けられる時代だが
多くの場合は住宅が新築されるし売られてるコトも多い
建替であれば更地の姿も今でしか見られない光景となる

今でなければ撮れない景色というものは数限りなくある
しかもそれこそ自宅から数百メートルという範囲でさえ

ある雨の夕方に北の川沿いへ足を向けたときに出会った
半世紀ほど前の集合住宅を解体した跡地の空地なんかも
再び新たな建物が作られるまでの短い期間しか見られぬ

この広さを記録に残しておくには魚眼かパノラマが必要
できれば昼間だけでなく夜景も撮っておきたいトコロだ

そこで晴れた日に時間を作り三脚を抱えて撮りに行った
パノラマのため冷蔵庫に眠るリバーサルフィルムを発掘
(今や現像所も受け付けてくれなくなった品もまだある)

急激に気温の下がる夕方の屋外の撮影で冷えた指先では
複雑なローラーの間にフィルムを通すのに一苦労だった

日没前の明るさの中では感度400を使って手持ち撮影2本
日没後の暗さには100で三脚上の長時間露光を同じく2本
ついつい忘れがちだが空地が残る間には現像に出したい

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2011.03.06

自称逸般塵の不通の日記(246) 雨と歩けば

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自宅付近、それこそ1kmだの0.5kmだのという
近所の範囲でも実は見知らぬ道など沢山ある

曇や雨や雪の空で方向を見失いやすいときに
ふと歩いてみると非日常を楽しめたりもする

そのせいか最近は雨が降ると散歩したくなり
フラフラと傘を差して家を離れてしまうのだ

冬と春が交錯する今の時季こそ雨は心地好い

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2011.03.05

道を知るべきコトバ(30) 水の上を往く者の道

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水の上の道は道なき道ともいえる
そりゃそうだ

水の上では進んだ後に道ができる
そりゃそうだ

それでも水の上を往く者たちには
その道の決まり事なんかがあるし
実は見えない道も存在するけれど

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2011.03.04

道を知るべきコトバ(29) 空の上を往く者の道

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空の上の道を往くと後ろに雲が残るコトも多いけれど
ありゃあ無理して進んでいるから空に傷が付いたのさ

見てみろ凧を。

風に逆らうコトはないから実に静かなものじゃないか
逆らえないからこそ静かにしているとも言えるけどね

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2011.03.03

道を知るべきコトバ(28) 光の通る道

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水面に照り返す陽光が観る者のトコロへ真っ直ぐ向かうように見える様子は
至って極めて当然のコトではあるのだけども目にすれば印象的なものとなる

基本的には直進する光を反射させたり屈折させたりして撮像する行為もまた
光学的な原理を活用しているに過ぎないが実は実に複雑な精神活動でもある

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2011.03.02

自称逸般塵の不通の日記(245) 三人寄れば文字を拾えぬ件

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仕事の都合で自分から選んだのではないセミナーを聞いたりするコトも多い
4つ5つのセッションの中には知ってるハナシも想像範囲内のハナシもあるが
1つ2つくらいは詳しく知らなかったり興味深いハナシもあったりして面白い

英語の講演を同時通訳で補いつつ聞き取るようなコトをしたりするおかげで
短時間なら2人までの語りを同時に聞き分けるコトはできるけど3人は難しい

各人のフキダシを全て完全には読み取れず混じり合ったりするような感覚は
仕事で聞きに行く講演でなく個人的興味で聞きに行く公演で味わうのだけど
いずれにせよ他人のハナシを聞いて考えさせられる点だけは似たようなもの

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2011.03.01

道を知るべきコトバ(27) 迷うコトも道

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知らぬ場所で迷うコトを嫌う人は多い
そういうのが友人の中にも幾らかいる

そんな友達の誰かにいつかこう言った
「迷わなければ道を覚えるコトもない」

そりゃ地図だのナビだのを持ってれば
見知らぬ土地でも迷わぬかもしれない
(地図を見てさえ迷う人もいるけれど)
でもたいがい次に訪れるときにもまた
地図を持参してないと分からなくなる
覚えなくていいという気分でいるから
それに地図作成時点と現状とに相違が
あるのに気付かず余計迷うコトもある

迷いつつ考えるのは覚えるための早道
いやもうそれこそ迷いに迷えばいいさ

そのウチ迷わぬようにする方法を考え
実践していかねば生きられないと悟る

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