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2011/03/26

内的要因と外的要因

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いずれにせよ、これほどの状況でないとできないのか、とは思うのだけど、
全てを守りきるコトなど不可能だと知ったとき優先順位は自ずから決まる。
逆にいうなら平時には無理すれば不可能でないと思っていたのかもしれず、
やはり相当な規模・程度の有事でなければ実行不可能だったのかもしれぬ。
ましてや日本の風土と、それに根差す社会の中で生きる人々にしてみれば。

季節が明瞭な風土の中で百姓イコール農民としてしまったクニにとっては、
年度という時間区切りは如何にも農耕牧畜従事者的な感覚であるのだから
分かりやすいというより森羅万象に逆らわぬため厳守すべき規範であろう。
そういった意識を根底に持つだけに例年通りでない変化は忌避されがちだ。
となれば新しいコトに挑戦したり既存の枠組みを変えるような取り組みは、
やはり社会の枠外から、または環境そのものの影響を待たねばならぬのか。

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仕事が立て込んでしまっている際に陥りがちな自分自身の精神状況に似て、
何処から手を着けていいのかも分からなくなっていたかのような日本社会。
その片隅に生きる身とて他人事ではないのだ、知恵を働かそうじゃないか。

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