« 自称逸般塵の不通の日記(256) 四月に収穫した四つ葉 | トップページ | 役に立つか苦言かどうかは受け手次第(68) 「一連・畜生」? »

2011.04.25

恣なる示威行動よりは強いて行わず動かず思惟して行動するコトを好む所以を強いて挙ぐれば

20110425_img_4816_1s


未だ不得手なモノゴトも幾つか。
例えば偏食など人生経験の中で
徐々に克服してきたりしたけど、
まだまだ解消しきれない部分も。

群衆なども苦手の最たる一つだ。
繁華街のヒトゴミも苦手だけど、
もっと駄目なのはデモ行進など。
いつまで経っても克服できない。

こういうのを克服しない限りは、
政治など社会活動に深く関わる
コトもできないだろうと思うが、
幸か不幸か興味も薄いままだし。

何故どのようにアレが怖いのか。
おそらく節足動物や環形動物の
集団を苦手とする心理に似てて、
不可知なる恐怖のようなものか。

だからもう可能な限り回避する。
精神衛生上の問題を避けるため。
全くにして思想信条以前の問題。

--
もとより示威行動という施為は、
参加者一人ひとりの熱意が基礎。
「何とかしなきゃ」という思い、
その部分は尊重するのが当然だ。

そして熱意が対象に伝わるよう、
さらに他の人々にも伝わるよう、
熱意×数の迫力を以てするのも、
充分に理解はしているつもりだ。

ただ、そこに乗れない者もいる。
そんな一人が、偶々ここにいる。
ソレだけのコト、単純なハナシ。

もし仮に「反対の反対なら賛成」
との考えで矛先を向けられたら?
そう思うと非常に恐ろしいのだ。

--
もし仮にヒトビトこぞりて死を
求めてくるような事態に陥った
としたら如何なる対応をするか。

最終的には受容するコトを選ぶ
かもしれないが現時点では当初
逃避脱出を図るのではないかな。

そこまで他人を信用していない
という点については反省しきり。
二千数百年前の爺にも及ばない。

|

« 自称逸般塵の不通の日記(256) 四月に収穫した四つ葉 | トップページ | 役に立つか苦言かどうかは受け手次第(68) 「一連・畜生」? »