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2011/04/10

不振なときには不審な不信感が育たぬよう腐心するといいかもね

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心配する不安に思うってのは即ち対象を信頼してない信用してない証拠。
たとえそれが善意によるものであったとしても。

経験不足という理由で後進に道を譲らずにいれば組織は必ず老害に陥る。
そんな長期政権中枢と同じ感覚が日本中で蔓延。

自分たちの声を反映して動いてるはずの相手を掴まえ責任転嫁するのは、
もはや自分さえ信用信頼していないような状態。

とりあえず何でもかんでも気に入らないのを手当たり次第に排除したい、
というだけの、八つ当たりに過ぎないんだよね?

「だから言わんこっちゃない」と言わんばかりの予防的発言なんかも嫌。
それは保身したいキモチが外に漏れてるのでは?

不安に駆られていたり不満を抱いたりしているのは、一人だけではない。
自分も他者も共通する感覚があるというワケで。

判断を託すにしても情報提供を託すにしても何をするにしろ、基本的に
自分でやるのと同じくヒトの不確実性があって、

だからヒト自身のリスク低減には自ずから、相応の限界が生じてしまう。
最後にはヒトとして、残存リスクを取る他ない。

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