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2011/05/27

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(69) 実は得をするから正直者で馬鹿を見ても良いんじゃないかという説

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それに基づいて判断し他者糾弾に用いた、
未確定の情報が後に誤りだと知ったとき、
他の人たちは一体どうしているのだろう。

間違いに乗った過去を早々に忘れ去って、
だけれど良からぬ感情だけを残し続けて、
また別に非難の材料を集めるのだろうか。

もしそうだとしたら何の為に行うものか。
どうせ攻撃に使える情報なら山ほどあり、
非常に容易なコトだけに躊躇ってしまう。

きっと躊躇もまた非難する人はいるけど、
安易に拾える材料にはヒト一般論も多く、
要するに自分に返る諸刃の剣でもあって。

逆の状況もまた同様の問題を抱えていて、
予断を含んだ不確定情報に基づく発言が、
後に裏付ける情報が出たときはどうする。

最も容易な道筋は「それみたことか」か。
でも自分偉い的感情の垂れ流しでもあり、
ちょっと恥ずかしいので使いたくはない。

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投機的発言を規制できるのは本人だけだ。

だけど自分の行動を時系列に眺めたとき、
「こうあってほしい」姿を考えていくと、
利己的な理由でも自己規制が掛かるはず。

公人にてはもちろん私人においても同様。
今じゃ私的発言もログに残ってたりして、
改めて検証しようと思えばできるのだし。

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