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2011.06.13

半生紀(27) 諦観を決め込んだ頃

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他人が感情を露わにしているような場面では
個別具体的なハナシならば共感するけれども
抽象的一般的な話題ともなると感情が薄れる

怒っている人に対して冷静な言葉を浴びせて
後で思い返して申し訳なく思ったコトもある
そういったトコロが未だ至らないものと思う

実は小さい頃、かなりキレやすい少年だった
それが何故こんなヒネクレた中年になったか

ただ考えてみれば怒りを示したのも自分の為
誰かの代わりにと怒ったコトは少ないはずだ
そういうふうに見える場面があったとしても
自分自身に置き換えて勝手に怒ったものかと

変わっていないとすれば、偏屈である点だな
転換点を探っていくには、その点が鍵だろう

偏屈なる利己的な思考ポリシーの延長線上で
怒りが却って自らを害するコトが多いと判断
以て自ら変わっていったという理由が浮かぶ

もう一つ、怒りの背景として持ち合わせてた
さまざまな自尊心や欲求のようなのが剥げて
いろいろ諦め割り切ってきたというのもある

だから少年から青年を経て中年になるあたり
いくつかの段階を経て少しずつ変化が進んで
どうやらこれから老年へと向かうようである

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どこかの誰かの視点を借りるのは好きになれないので飽くまでも自己評価で
自分が何をインプットして何をアウトプットしてきたかという複雑な関数は
自分自身を監視する困難さもあって、なかなか分析が難しいコトではあるが
せめて自分で自分をみたとき嫌なヤツだと思わないで済むようにしていたい
そんな自分ルールは可能な限り厳しくして自分自身にのみ適用していきたい

きっとそれが自己限定の定款。

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