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2011.06.24

半生紀(28) 時代の、いにしえーション

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地域と時代の、その場あるいは空気が、人間を育てる。
全く完全に他のヒト個体から隔離されたのでなければ、
ヒトは社会性動物として他の個体と相互に影響し合う。

その繋がりがあってこその人であって、逆に言うなら
もし仮に現代と全く同じ個体を異なった時代や地域に
置いて育てたとしても、まるで違った個体になるはず。

もちろん成長過程だけでなく成体となってからも同様。
生物は死ぬまで常に変化し続けていくものだから当然。

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社会構造の中心から少し外れたポジションにいながら、
その枠組みから完全に離れて生きていくコトはできず、
そもそも、そうしたいという気にもなっていないのだ。

そう、決して単独個体として生きたいワケではなくて、
とはいえ社会構造の中に入り込むのが少し苦手なので、
もう少し容易であってくれればいいなとは思っている。

そういった微妙なポジションで暮らしているからこそ、
構造の問題について執拗に考えているのかもしれない。

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